天王洲で現代アートの現在地を辿る—「TENNOZ ART WEEK 2025」レポート
ジャンルや世代を超えた作品を通じて、日本の現代アートの「いま」を幅広く紹介する「TENNOZ ART WEEK 2025」が、2025年9月11日から15日の5日間、天王洲で開催されました。
国際アートフェア「Tokyo Gendai」のオフィシャルパートナーである寺田倉庫株式会社が、連携企画として実施した本イベント。
寺田倉庫の6施設をすべて活用し、大規模な展覧会や体験型の展示、ワークショップなど、多彩なプログラムを展開しました。
現代日本のリアリズム絵画を代表する画家、諏訪敦(すわ あつし)氏の軌跡を辿る個展や、国際的に活躍するアーティスト、ナイル・ケティング氏によるパフォーマティブ・インスタレーションなど、アートシーンの最前線を体感するプログラムが多数行われました。
この記事では、諏訪氏とケティング氏の展示を中心に、「TENNOZ ART WEEK 2025」のイベントレポートをお届けします。アーティストやキュレーターの言葉を交えながら、作品が生まれた背景も紹介しますので、ぜひ現代アートの魅力に触れてみてくださいね。
「諏訪敦|きみはうつくしい」—人物画と静物画のはざまを描く
WHAT MUSEUM 展示風景 「諏訪敦|きみはうつくしい」 Photo by Keizo KIOKU
中央の作品は、最新作の《汀にて》(2025年)。
卓越した描画技術によって、対象の本質に迫るリアリズム絵画を描き続けてきた諏訪敦氏。現代日本におけるリアリズムの第一線で活躍する画家として、国内外から注目されています。
およそ3年ぶりの大規模個展となる本展では、約80点の作品を通して、これまでの制作活動の変遷を辿ります。
「emptiness」 2024 Photo by 筒口直弘
諏訪氏は、実在のモチーフを精密に描写する従来の写実絵画とは異なり、徹底した取材をもとに、不在の対象に迫る表現を追求してきました。
亡くなった人々や、神話・古典文学の登場人物など、不可視な存在を描くリサーチプロジェクト型の制作スタイルが、高い評価を得ています。
本展の最大の見どころは、これまでの表現とは一線を画す大型絵画《汀にて》(2025年)です。
《「諏訪敦|きみはうつくしい」短編ドキュメンタリー 諏訪敦 — Still Life》(2025年)のワンシーン。諏訪氏が《汀にて》を制作する過程を記録しています。
家族の死と向き合う中で、様々な心境の変化があり、人物画から静物画、そして両者の境目とも言える表現へと、移り変わっていったそうです。
諏訪敦氏(右)と本展のキュレーターを務める宮本武典氏(左)
ここでは、本展のキュレーター・宮本武典氏による展示解説をご紹介しながら、諏訪氏の表現の変遷をレポートします。
展覧会レポート—対象の本質を見つめる表現
諏訪敦《美しいだけの国 ver.2》2015〜2016年
本展は、Chapter1〜5の5つのパートで構成されています。鑑賞者が最初に足を踏み入れるのは、「どうせなにもみえない」と名付けられたパートです。
正面に立つ女性が、頭蓋骨の目の向こうからこちら側を見ている作品や、キリンの頭部の骨格があらわになった絵画など、諏訪氏の代表作がひとつの部屋に集結しています。
WHAT MUSEUM 展示風景 「諏訪敦|きみはうつくしい」 Photo by Keizo KIOKU
Chapter1「どうせなにもみえない」
キュレーターを務める宮本氏は、「どれだけリアリズムを追求しても、その中身や本質を描くことはできないという大きな矛盾を、諏訪さんは自身の命題として取り組んでいます」と説明。
写実的な表現をシニカルに捉えながらも、逆説的な状態から真理を見出す画家のあり方を示しています。
さらに、宮本氏は、諏訪氏の作品テーマについて、次のように解説しました。
「精緻に描くほど、時間をかけるほど、永遠の不可能性や死というテーマも浮かび上がってきます。だからこそ、諏訪さんは、多くの死と向き合ってきた画家でもあります」
「山本美香」 2014 Photo by 南高正
続くChapter2のタイトルは、「喪失を描く」。この部屋に並ぶのは、ご遺族やパートナーの方から制作を依頼されて描いた、肖像画の数々です。
国際的なジャーナリストとして活躍し、シリア内戦の取材中に亡くなられた山本美香氏や、若くして息を引き取った方々が、精緻に描画されています。
「作品の背後には、丹念な準備と徹底的な取材、そして、積み重ねられたコミュニケーションがあります。写真を受け取ってその通りに描くということは、一切していません」と宮本氏。
ご遺族の方々に直接会って何度もお話を聞き、残された人々の記憶の中に、モデルとなるご本人の姿を捉えています。
諏訪敦《father》(1996年、佐藤美術館所蔵)
Chapter3では、「横たえる」というタイトルの通り、横たわる人々の作品が展示されました。
誰かの死を描く中で、同時に、自身の家族の死を見つめてきた諏訪氏。代表作のひとつである《father》(上の写真)は、父親が亡くなるまでの時間と向き合い、親子の関係という視点で表現した作品です。
最近では、母親が病床に横たわる様子もスケッチしています。
彼が経験した壮絶な日々について、宮本氏は次のように語りました。
「亡くなって横たわっている人間は、果たして人物なのか静物なのかという問いが、彼の中で生まれました。『今は、静物画でしか自分を表現できない』と話していた時期があり、家族の死から静物画を考えるフェーズへと移行していきます」
WHAT MUSEUM 展示風景 「諏訪敦|きみはうつくしい」 Photo by Keizo KIOKU
Chapter4「語り出さないのか」
Chapter4「語り出さないのか」のパートでひときわ目を引くのが、中央に展示された静物画のモチーフです。蚕の繭や稲穂など、豊かさを象徴するものがある中で、剥製や酸素マスクも並んでいます。眺めていると、生と死を同時に感じるような、不思議な感覚になりました。
諏訪敦《頸椎の上に豆腐が載って在る》2024〜2025年
コロナ禍で人と会うのが難しかった頃、静物を通じて自分なりの絵画論を展開したいという思いから、諏訪氏は「食物起源神話」というテーマに辿り着きます。これは、日本をはじめ、アジア各地に継承されている神話で、地母神が殺められた後に、その遺骸から生命を育むための食物や資源がもたらされるという共通のストーリーがあります。
諏訪氏は、亡くなったものから、新しい物語を生み出せないかと考えた時に、この神話がヒントになるのではないかと考え、静物画のプロジェクトに着手しました。
諏訪敦《東西の酒器と洋梨》2025年
シリーズのもうひとつの特徴は、蚕やタロイモといった、ヨーロッパの伝統的な静物画にはないモチーフを選んでいる点です。
対象を目に映るままに描写するのではなく、背後にある地母神の存在を浮かび上がらせようと試みています。
しかし、プロジェクトが進行する中、彼の母親が息を引き取ったことをきっかけに、「食物起源神話」をテーマとする静物画から、さらに表現が変化します。
アトリエ風景 Photo by Keizo KIOKU
静物画のプロジェクトを休止した後、彼が作り上げたのが、本展のメイン作品である《汀にて》(2025年)です。宮本氏がアトリエを訪れると、骨格標本に少しずつ手足が肉付けされ、徐々に人間の形になりつつあるモチーフが出現していたと言います。
Chapter5では、諏訪氏が骨格標本に手を加えたブリコラージュと、その過程を記録したスケッチ、そして大型絵画《汀にて》(2025年)が展示されました。
WHAT MUSEUM 展示風景 「諏訪敦|きみはうつくしい」 Photo by Keizo KIOKU
Chapter5「汀にて」
展示室の壁面には、《汀にて》の制作に至った心境が、諏訪氏の言葉で綴られています。
父を亡くした時と同じように、死の床の母を静物のように描いた自分は、ちゃんと悲しむことができない、
こんな〈人間もどき〉なのかもしれない。
この絵は静物画に似ているし、風景のようにも私には見える。
〈ひと〉と〈モノ〉の汀に立ち尽くしているみたいだ。
彼の言葉を受けて、宮本氏は、「もう一度人を描くためには、自分でまずモチーフを作るところから始める必要があったのだと思います」と補足しました。
また、本作が「九相図」という仏教絵画から題を取っていることにも言及しました。「九相図」とは、人間が亡くなり骨になって朽ちるまでを9枚の絵で表したものです。
ただし、「九相図」をテーマとしながらも、母親が亡くなった後に生きていた時点を立ち上げている点は、本来の時間の流れとは逆行していると指摘しました。
これまでの制作スタイルとはまったく異なるプロセスで生まれた《汀にて》。諏訪氏の作品を丁寧に辿ると、新しい表現が何を語っているのか、見えてくるかもしれません。
「ご覧になった方が、それぞれに色々なストーリーを作って、タイムトラベルしてもらえたらいいなと思います」と宮本氏が締めくくりました。
《汀にて》の前で挨拶をする諏訪敦氏
最後に、《汀にて》を制作に至った心境について、諏訪氏が次のように語りました。
「コロナ禍で、2人の高齢者を自宅で介護していたのですが、その中で、人間の美しさをあまり信じられなくなることもあったんです。母親は誰にとっても大きな存在だと思いますが、知性や運動能力などを、見えない病気で剥がされていく感覚がありました。それに臨む時に、自分の醜い感情が浮かんできたんですね。
僕は、望まれることでしか人を描けないタイプなので、人間の美しさを全肯定したいのですが、それが難しくなってしまいました。
その時に、静物画が、自分にとって救いになってしまったところがあります。一方で、人物画に復帰しなければならないという義務感も、心のどこかで持ち続けていました」
彼の言葉からは、人物と静物のはざまを行き来し、新しい表現を模索していた様子がうかがえます。
生と死に向き合い続け、緻密に描き出してきた諏訪氏の軌跡を辿る本展は、2026年3月1日(日)まで開催しています。ぜひ会場に足を運び、最新作《汀にて》に至るまでの変遷を体感してください。
ナイル・ケティング《Blossoms – fulfilment》—体験型のパフォーマンスから鑑賞する行為を考える
TENNOZ ART WEEK 2025「Blossoms – fulfilment」展示風景 Photo by Asuka Yazawa
パフォーマティブ・インスタレーションという形式の作品で、国内外から注目されるアーティスト、ナイル・ケティング氏。
本プログラムでは、2024年にリスボンのCAM Centro de Arte Modernaで発表した《Blossoms》をもとに、新作を展開しました。天王洲の倉庫空間を舞台に、鑑賞という行為そのものや鑑賞者のあり方を問いかけます。
日本で初めて公開されたケティング氏のパフォーマティブ・インスタレーションに、多くのアートファンの関心が集まりました。
体験レポート—パフォーマーと鑑賞者が一体となるコミュニティ
《Blossoms – fulfilment》Blossomによるパフォーマンスの様子
《Blossoms – fulfilment》は、インスタレーションの中で常にパフォーマンスを行い、鑑賞者を含めてひとつのシチュエーションを作り上げる作品です。
会場を訪れると、作品の一部としてハンドアウトが手渡されます。そこに掲載されたQRコードから専用のWebアプリケーションにアクセスすると、体験がスタート。
《Blossoms – fulfilment》のWebアプリケーションの画面。Blossom1のプロフィールが表示されています。
アプリケーションを開くと、5人のBlossoms(パフォーマー)のプロフィールや現在どのような行動を取っているかが表示されます。
Blossomsは、ミュージアムで作品を見る気力を養うために、トレーニングと呼ばれるパフォーマンスを行い、屋外の施設へ出かけて行きます。
彼らが今どこにいるのか、アプリケーションのマップで確認することも可能です。
《Blossoms – fulfilment》のWebアプリケーションの「マップ」
さらに、鑑賞者もBlossomとして展示に参加できるのが、本展の面白いポイントです。展示会場の入り口にある「ステムライン・エントランス」を通れば、作品の世界へとすっかり入り込んでしまいます。
《Blossoms – fulfilment》「ステムライン・エントランス」
パフォーマティブ・インスタレーションでは、鑑賞者であるBlossomsが、ベンチに腰掛けて作品の一部になったり、アプリケーションを通じて交流したりすることができます。
《Blossoms – fulfilment》展示会場の様子。鑑賞者もBlossomsとなって、空間を自由に歩き回ったり、ベンチに座ったりしています。
《Blossoms – fulfilment》のWebアプリケーションの「ブルーム」
アプリケーションの「ブルーム」は、匿名のテキストメッセージサービスで、Blossomsが交流する場です。
テキストや写真をアップすると、「ブルーム」の空間がひとつのコミュニティになっていきます。
「ブルーム」のチャットが映し出されたモニター
「ブルーム」のやりとりは、会場のモニターに時折映し出され、鑑賞者が「自身も作品に参加している」と実感し、人々とのつながりを意識することができます。
展示を通して、パフォーマーと鑑賞者が一体となり、ひとつの作品を作り上げていく感覚を味わえました。
会場では、ケティング氏による挨拶があり、Blossomsとは何か、なぜ鑑賞という行為に焦点を当てたのかを語りました。
ナイル・ケティング氏
「ある日、『SNSのフォロワーを買いませんか?』という広告を目にした時に、インターネット上の「サクラ」が思い浮かんだのです。現代のデジタルテクノロジーと自然観、貨幣価値や経済価値が、「サクラ」という言葉を介してすべて結びついた瞬間でした」
また、ケティング氏が活動を続ける中で、「今回の展覧会は、集客ができて、とても良かったですね」など、来場者の価値を数字で伝えられることが増えたと言います。成功や良いものが数値化される世の中で、鑑賞者の感情を表すパラメーターがない状況に、もどかしさを感じたそうです。
鑑賞者が美術館を訪れた時に、どのような行動を取るのか、何を感じているのかという疑問からスタートして、様々なリサーチを行い、今回のパフォーマティブ・インスタレーションが完成しました。
TENNOZ ART WEEK 2025「Blossoms – fulfilment」展示風景 Photo by Asuka Yazawa
さらに、本展にはもうひとつ重要なポイントがあります。
「1916年に、ベンジャミン・アイブス・ギルマンが『美術館の来場者は、鑑賞後になぜ疲れてしまうのか』という点にフォーカスした論文を発表しました。
その中で、鑑賞中に人々がよく取るポーズが、モノクロ写真で30パターン紹介されています。《Blossoms – fulfilment》のパフォーマーは、ヨガのポーズをキープするように、このポーズを取って、美術館で鑑賞するための力を養います」
パフォーマンスを通してトレーニングを行ったBlossomsは、やがて外へ出かけて行き、周辺のミュージアムへと向かいます。この行動がポリネーション(受粉)であり、花開いたBlossomsは、循環の最初に戻りサイクルを回し続けるのです。
ケティング氏は、「鑑賞という限定的な所作をもう一度立ち上げて、私たちの社会やものに対する価値感を見つめ直すきっかけになれば嬉しいです。パフォーマーや来場者とともに、どうすれば数字に感情を入れられるのかを考えたいと思っています」と話しました。
インスタレーション、パフォーマンス、アプリケーションなど、あらゆる手法を模索し、数字に隠れた感情を浮上させたケティング氏。
来場者は、作品の一部になる体験を通して、鑑賞する行為をより能動的に考え、数値よりも感じたことにフォーカスできるようになるでしょう。
Blossomsが集まる倉庫空間から、新たな価値観が解き放たれるプログラムとなりました。
アートシーンの最前線を天王洲で体感
WHAT MUSEUM 外観
5日間にわたり、様々なプログラムを展開した「TENNOZ ART WEEK 2025」。WHAT MUSEUMでの大規模な展覧会や、倉庫空間を活用した展示などを通して、アートシーンの最前線に触れることができました。
「TENNOZ ART WEEK 2025」の会期は終了となりましたが、現在も諏訪敦氏の展覧会が開催中です。アートシティとして進化を続ける天王洲に足を運び、現代アートの魅力を体感してみてくださいね。
「諏訪敦|きみはうつくしい」
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開催期間|2025年9月11日(木) ~ 2026年3月1日(日)
開館時間|11:00 – 18:00(最終入館17:00)
休館日|月曜(祝日の場合は翌火曜休館)、年末年始
会場|WHAT MUSEUM(東京都品川区東品川2-6-10 寺田倉庫G号)
入場料|一般:1,500円、大学生/専門学生:800円、高校生以下:無料
文/浜田夏実
アートと文化のライター。武蔵野美術大学 造形学部 芸術文化学科卒業。行政の文化事業を担う組織でバックオフィス業務を担当した後、フリーランスとして独立。「東京芸術祭」の事務局スタッフや文化事業の広報、アーティストのサポートを行う。2024年にライターの活動をスタートし、アーティストへのインタビューや展覧会の取材などを行っている。
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