心躍る「発見」と「ひらめき」を
最新記事
最新記事一覧
【連載】時代を写した写真家100人の肖像 No.36 白い激情を秘めた北の写真詩人 小島一郎『津軽』 鳥原学
小島一郎は、1960年代初頭に青森から彗星のように現れた新人写真家である。 地元津軽を撮った激しい作品で一躍注目を集めたものの、その活動期間は短かった。たった一冊の作品集『津軽 ―詩・文・写真集―』を残して、この世を去ったのである。 だが2009年に大規模な回顧展「小島一郎 ―北を撮る―」が青森県立美術館で開催されると再び脚光を浴び、その独自のプリント美学は今も人々を魅了している。 写真評論家の予言 これまで多くの写真評を読んできたが、『カメラ毎日』1963年9月号に掲載された次の一文ほど、読むほどに怖さを惑じさせるものはなかった。 「彼の写真はそれにしてもあまりに暗い。真っ暗だ。救いがない。……平凡な感傷ではこれほど途方もない暗やみを直視できまい。感傷や叙情を超えて、暗澹とした一種の絶望とでも言いたい境地が表現されている。それは死の影さえ感じさせるものだ」 文中の「彼」とは小島一郎を指し、書き手は同時代における小島作品の最もよき理解者だった、写真評論家の吉村伸哉である。この文章に怖さを感じた理由は、吉村がこれを書いたちょうど一年後に、小島が39歳でこの世を去っているからである。 「ひたむきで純粋な」と題されたこの文の本来的な意図は、小島一郎を読者にアピールすることにあった。だから吉村は最近の活躍を祝い、「この人のまれな才能を考えれば、もっと日がさしていいはずだ」と締めくくっている。だが、冒頭の一文はあまりに的確にこの写真家の抱えた深い葛藤と、行く末を言い当ててしまっていたのである。 一言で言えば小島一郎は異能の写真家であった。本格的に写真に取り組んだ期間は、わずか10年で、雑誌などのメディアで才能を示したのは最後の3年ほどに過ぎなかった。しかも、その作品のほとんどは地元青森で撮られたものであり、ことに厳冬期の雪に覆われた風景に固執しているのである。 そのため撮影も過酷だった。小島は、猛烈な吹雪に吹きつけられながら十里余(約40キロ)の距離を歩き、冷え切って感覚のなくなった手で押し込むようにシャッターを切り続けた。暗室ではその印象を強調するため、複雑な焼き込みや冷温現像といった技法を駆使している。 さらに、そのトーンは死期が近づくほどに硬くなり、画像の粒子は粗くなった。雪はあくまで白く、空は徹底して鈍く暗い。その向こうにある太陽だけがぼうっと光っている。この冬の津軽は何を語っているのだろうか。生前唯一の作品集『津軽』に寄せた手記「私の撮影行」の中で、海沿いに建つ粗末な民家の姿に己を重ねつつ、こう述べている。 「何ものをも失い、白い大地にへばりついている姿、それはそのまま私自身の姿のようでもあり、あるいはまた、生きようとする人間の執念の姿かもしれない」 小島のプリントには激しい絶望とロマンが織り合わされている。19世紀ドイツのロマン主義の画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの作品とよく似ていると言った人がいたが、フルードリヒは心に死の影を抱えていた画家であった。確かに小島もそうであった。自身が抱えた欝屈や欠落した部分を埋めるため、ひたすら写真に賭けていた写真家の姿が、この一節からも浮かび上がってくるのである。 父との葛藤 小島一郎は1924年に青森市で生まれている。父の小島平八郎は写真材料商「小島写真機店」を経営する傍ら、日本光画芸術協会に属し、地元でアマチュア写真クラブ「北陽会」を主宰した芸術写真家だった。平八郎は絵画調で構成的な作品を精力的に発表し、県内で多くの写真展を開催して尊敬を集めていた。大正期は日本全国にアマチュア写真クラブが誕生し、各地方に「写壇」と呼ばれるネットワークが生まれた時代であり、青森写壇をリードする盟主的な存在だったのである。 平八郎は9人の子どももうけ、一郎はその長男だった。だが生母は彼が5歳のときに亡くなっている。平八郎は後妻をもらうが、繊細な気質の小島に寂しさは残り、異母弟妹が増えると家族への“気がね”は増した。何より圧倒的な存在である父から受ける、跡継ぎとしての期待を大きな重圧に感じていた。 そんな小島は1941年に県立商業学校を卒業すると同時に家業にはいり、芸術写真も始めている。父もその写真家仲間も彼に期待したに違いない。だが、この定められたレールに亀裂が入る。この年の12月8日に、日本海軍がハワイ真珠湾を奇襲し太平洋戦争がはじまったのである。写真の仕事はきわめて限定されたものとなった。そして、小島は日本の戦況が不利になった1944年、徴兵されて中国大陸に出征することとなった。 さらに小島の所属した第47師団は湖南省における大規模な戦闘に参加し、多数の戦死者をだしている。そして敗残兵の一人として引き揚げたとき眼にしたのは、1945年7月の空襲で破壊された青森市の風景だった。小島は大きなショックを受けた。戦争は彼の心に、生涯癒せぬ傷を残したのである。 そんな小島が再び家業に戻るのは、ようやく敗戦から6年後のことである。それまでは、葛藤と重圧から逃れるように職を転々と変えている。そして父の北陽会に加わり本格的に写真を始めるのには、さらに3年を要した。当初、クラブの例会は楽しいものではなかったようだ。父に「一郎は写真が撮れない」と言われたこともあった。だが父の言葉を見返すように、小島の作品はカメラ雑誌や全国規模のコンテスで上位に選ばれ、朝日新聞社主催の国際写真サロンにも入選している。周囲もそれを評価し、北陽会の二代目の会長にも就いている。 小島家の長男もようやく落ち着いた、周囲にはそう見えていたのかもしれない。しかし、本人の心境は違っていた。先の手記にはこの頃のことを、「反省と自己嫌悪のいりまじる不安定な波のなかにもがいていた」と記しているのである。癒えぬ戦争の傷、そして客商売にも写真倶楽部の指導者にも向いていないという強い自覚。こうした複雑な気分のなかで、写真にのめり込んでいた小島は、ある日、師と呼びうる人物に出会うことになる。 トランプ・師・津軽 雪の風景の印象的な再現を目指し、暗室で工夫を凝らす小島は、写真を整理するのにちょっと変わった方法をとっていた。 一般的に現像されたネガはコンタクトプリント、通称「ベタ焼き」で整理するものだが、彼は全力ットを名刺サイズにプリントし、それをアルバムに貼って保存していた。それを持って歩き、セレクトを考えていた。写真仲間はこの名刺判のプリントを、「小島のトランプ」と呼んでいたという。初めて名取洋之助と出会ったときも、このトランプを見せたに違いない。 日本における報道写真のパイオニアである名取が、青森を訪れたのは1956年3月のことだった。自身がプロデュースした『岩波写真文庫』(岩波映画社)のなかでも、観光ガイドとしても重宝され、ヒットシリーズとなっていた「新風土記」の青森県編を準備するためであった。写真界に知らない者がいない名取だったから、青森に到着したその日は県内のアマチュア写真家に囲まれて座談会を持っている。当然そこに小島もいた。彼のプリントを見た名取は「この作者は異常性格だ」と驚いたという逸話が残っている。小島にとっても、名取の写真論には大いに感じるところがあった。 この出会いから1年半後、1957年の秋に名取と再会したとき、小島は「東京で個展を開いてみたい」と打ち明けている。名取も、その熱意と才能を認めて助力を約束してくれた。そして小島は個展のテーマとして、津軽地方西北部に広がる津軽野の冬を撮ると決めた。そこは戦後間もない頃に買い出しにいった土地であったが、カメラを持って再度出かけてから文字通り“憑りつかれて”しまったのである。 小島はその秋から翌春にかけて、まさに寸暇を惜しんでこの地域に通った。とくに撮影ができる休日は5時に起き、青森から電車を乗り継ぎ五能線の五所川原か木造 (きづくり) まで行く。そこから津軽半島に向かって徒歩で北上しつつ風景を探し、折々の行事を撮った。「風景写真は足で撮る」というの鉄則だった。 そんな撮影のなかで、彼は晩秋のある光景に強く惹かれた。それは大地に向かって働き続ける農夫の姿で、「果てしもなく広い大地に鍬を入れたり、陽の没するまで働き続けている姿を見て激しく私の胸を打つものがあった」と述べている。彼はそこに「晩鐘」や「落ち穂拾い」で知られるフランスの画家ミレーの絵を重ねて見た。 そして1958年6月、東京・銀座の小西六ギャラリーで開催された個展「津軽」は、各方面に好意を持って迎えられた。たとえば『アサヒカメラ』8月号では、評論家の渡辺勉が「強い個性の感じられる表現」であり「津軽の唄声が、素朴な低音できこえてくる作品」と評している。ミレー的な世界が評価されたといえる。 この個展の成功から3年後の1961年7月、小島は妻子を連れて上京している。父の激しい反対を押し切って、プロの写真家としての道を歩むことを決意したのである。 一瞬の栄光と挫折 個展以来、小島は地方在住の新人写真家として注目された。写真雑誌のグラビアなどを度々飾るようになり自信を深めていた。それに東京には、師と慕う名取がいるのである。 また、このころの出版界は週刊誌の創刊ブームで写真家の需要が増えていた。すでに弟の啓佑が『週刊新潮』のカメラマンとして活躍していたから、父から離れても、東京で生計を立てることに現実性を感じてもいたのだろう。 だが、結果的にはその希望が叶えられることはなかった。確かに彼は注目された新人作家だった。上京した年には『カメラ芸術』12月号に発表した 「下北の荒海」で同誌の新入賞を受賞している。また翌1962年3月の個展「凍ばれる」では、ミニコピーフィルムを用いた極めて硬く粗い調子のプリントで、北国の冬を印象的に表現して好評を得ている。しかし、津軽を表現する以外の展開を見出すことが、なかなかできなかった。模索し葛藤する小島をさらに衝撃が襲ったのはこの年の11月に、名取が死去したことである。あらゆる面での庇護者を失った小島の落胆は、あまりに深かった。 その苦境は翌1963年に、ピークに達している。確かに、弟の助力もあり、10月に石坂洋次郎、高木恭造との共著で処女作品集 の『『津軽 ―詩・文・写真集―』(新潮社)が出版されて一定の評価を得たことは確かである。だが『カメラ毎日』3月号に掲載された「東京の夕日」には、すでに彼の焦燥感が如実に表れていた。5枚組の重々しい写真構成に、彼は「東京の生活は神経がすり減っていく」というコメントを付している。 小島は状況を好転させようと、年末から翌年2月にかけ、新しいテーマとして北海道での撮影を試みた。しかし思うようなイメージを得られず、体調も崩してしまった。期待が大きかったぶんだけ深い失意を味わった結果、青森への撤退を決めざるを得なかった。その帰る先が父の元ではなく妻の実家であったのは、彼の意地だったに違いない。 小島は青森で鬱々としながらも再起を考えていた。しかしそのささやかな希望も果たせないまま、1964年の七夕の日にこの世を去ることになる。飲み過ぎた後の心臓マヒが原因となっているが、帰郷後にずいぶん酒量が増えていたらしい。振り返れば、度重なる挫折のなかで彼は自身に圧をかけ続け、その写真行為は激しさを増していったのである。それが冒頭の吉村のいう「途方もない暗やみ」として表れたに違いない。写真に賭けたその暗く熱情は、今も余熱を持って見る者に伝わっているのである。 小島一郎(こじま・いちろう) 1924年青森県生まれ。青森県立商業学校卒業。1944年徴兵されて陸軍入隊。1954年ごろより本格的に写真を撮りはじめ、名取洋之介と出会う。1958年小西六フォトギャラリーで初の個展「津軽」を開催。1961年に名取洋之助の勧めもあって上京し、フリーに。1963 年、石坂洋次郎、高木恭造との共著『津軽―詩・文・写真集』を発表。1964年4月に故郷に戻り、同年7月に急逝。その後、2009年に青森県立美術館にて回顧展「小島一郎―北を撮る」が開催され、東北地方の代表的な写真家として再評価されている。 参考文献 JCII P.S.34 小島一郎作品展「津軽」』図録 (JCIIフォトサロン 1994年) 『アサヒカメラ』(朝日新聞社) 1940年12月号 淡谷良一「奥羽写壇の展望2 青森写壇」 『アサヒカメラ』(朝日新聞社) 1970年9月号 「カメラクラブ訪問 じょっぱり津軽集 北陽会 (青森市)」 『カメラ毎日』(毎日新聞社) 1959年11月号 伊藤逸平「カメラ人国記 東北・関東の巻」 『カメラ毎日』(毎日新聞社) 1960年8月号 小島一郎「雪の津軽を撮りつづける」 『カメラ毎日』(毎日新聞社) 1963年9月号 小島一郎 『カメラ毎日』(毎日新聞社) 1973年2月号 「日本の風景〈3〉津軽 故小島一郎氏の足跡をたどる」 関連記事 [clink url="https://picon.fun/photo/250107/"] [clink url="https://picon.fun/photo/20250207/"] 文・写真評論家 鳥原学 NPI講師。1965年大阪府生まれ。近畿大学卒業。フリーの執筆者・写真評論家。写真雑誌や美術史に寄稿するほか、ワークショップや展示の企画などを手掛ける。2017年日本写真協会学芸賞受賞。著書に『時代を写した写真家100人の肖像』、『写真のなかの「わたし」:ポートレイトの歴史を読む』、『日本写真史』など多数。 鳥原学 時代を写した写真家100人の肖像 上・下巻(玄光社/定価2500円+税)より ↓PicoN!アプリインストールはこちら

平成から少女マンガは変わりつつある?!令和の「ちゃお娘」がときめく作品について中の人に聞いてみた。
皆さんは小さい頃によく読んでいたマンガはありますか? 筆者は『ちゃお』というマンガ雑誌を愛読していました!今でもこの名前を聞くと『きらりん☆レボリューション』や『極上!めちゃモテ委員長』、『オレ様キングダム』、、、などなど、筆者が小さい頃に連載されていた少女マンガを思い出し、とても懐かしい気持ちになります。 そんな時代から社会情勢や流行が目まぐるしく変わってしまった令和。その時代の変化はちゃおをはじめとする少女マンガにも何か影響をもたらしたのではないでしょうか? ということで、今回はちゃおの発行元である小学館のちゃお編集部の中谷 好彰さん「平成と令和の少女マンガの変化」について色々とお話を聞かせていただきました。編集者のお仕事のことについても伺いましたよ! かつてちゃおを読んでいたという方はもちろん、これから漫画家を目指しているという方たちにも、今の少女マンガのことについて知っていただける内容となっております。 ―まず中谷さんのお仕事について教えてください!ー 主にちゃおの中に掲載されている連載マンガやインタビュー記事、CM制作やちゃおチャンネルの撮影、付録などページづくり全般に携わっています。特に連載マンガだと、常に次の雑誌に向けて、新連載の企画を考えてたりなどもしています。作家さんと一緒にどんな作品が読者に好まれそうか作品案を考えたり、作家さんの発案だけでなく、ゲームやホビーメーカーにお声がけをし、そのコンテンツとコラボしたマンガを作ってみるなど、どんな作品に需要があるのか推測しながら企画していきます。 [caption id="attachment_23018" align="aligncenter" width="750"] ↑今は小学生に人気の『たまごっち』を連載中![/caption] また2023年に『ちゃおプラス』という、ちゃおのマンガが無料で読めるW E Bサイトを開設したんです。紙面だと掲載できる作品に限りがありますがW E Bだと無制限なので、ちゃおプラスでしか読めないオリジナルの作品を作家さんと一緒に考えたりもしていますね。 [clink url="https://ciao.shogakukan.co.jp/"] ―「作家さんと作品を作る」とは具体的に何をしているのでしょうか?― 基本的には作家さんが作りたい作品を描いていただいています。ですが、実はちゃおには作品を描く上でルールがあって、例えば「過激なものはダメ」など描けない描写が決まっているんです。なので、みなさんには決まったルールの中で作品を描いていただいています。その中で私は作家さんが描きたいイメージを形に出来るように一緒にストーリーの展開を考えたり、読者が本当に求めている作品なのかといった部分を俯瞰的に確認し、作品の方向性について作家さんと相談しています。例えば、作家さんの中には読者に伝えたいシーンは決まっているけど、どうやってストーリーを作っていいか分からないという方もいらっしゃいます。そういう場合にはそのシーンを盛り上がらせるためにどんな状況にするか、どんなアクシデントを組み込むかなど話し合いながら、そこに持っていくまでの展開を一緒に考えたりしています。作家さんによって悩んでいることが違っているので、その部分を解消できるようなサポートが出来ればと思っています。 ―編集者として読者が求めているマンガを作るために意識していることは何ですか?ー 読者がきちんと読みやすいかという部分を大切にしています。読んだ方が全員理解できるような作品を目指していきたいです。あとはその作品で何を見せたいか・伝えたいかをまず見ています。ストーリーがフワッとしていると読者の印象に残らないので、そこはしっかり見てどのような展開にしていくのか話し合うようにはしています。キャラクターが果たして読者が求めている人物像なのか、ビジュアルなども見ていますね。 ―さて本題ですが、少女マンガは平成から令和でどのように変化したと思いますか?― 平成と令和では生まれた時に起こるニュースや人々の価値観、習い事などが変わってきているので、それが少なからず少女マンガにも変化をもたらしているのではないかなと思います。 ストーリーの変化だと、例えば恋愛マンガは「付き合うに至るまでいかに長くドキドキさせるか」に重きをおいている作品が多かったイメージですが、時代が変わったからこそ、今の読者はそういった作品に果たして本当にドキドキするのか?疑問に思うこともあります。なので、今の小学生はこの時期から恋愛を楽しんでいる子も増えてきているので、「1・2話で付き合ってしまって、付き合う中でのドキドキを描く」作品を考えたりもしていますね。 おそらく平成と令和で恋愛のやり方も変わっていて、クラスの人と話していくうち距離を近づけていくような恋愛から、今はS N Sのメッセージを通して、恋愛に発展していく時代になってきたのかなと思うので、そもそもの恋愛のありようも変化していると思います。恋愛マンガにおいては、その社会の変化からストーリーの展開も変わってきたのかなと思いますね。 ―最近は小学生でもS N Sを使う時代になったので、流行に敏感な子が多いのかなと思います。そういったことも作品に影響しているのでしょうか?― 影響していると思います。例えば、平成の時はテレビ、雑誌、ラジオみたいなものしかなくて、共通の話題が多かったですよね。朝学校に行くと「昨日のあれ観た?」なんて話すことも多かったと思います。でも最近はそれが崩れてきている印象があって、S N Sを始め、触れるコンテンツが増えてきたからこそ、それぞれが違うものに触れているから共通の話題が減ってしまっているんですよね。でも、そういう現状がある中で「YouTuberは知ってる」という共通認識はあるので、キャラクター設定でも「芸術家の男の子」だとイメージが分散されてしまいますが、「YouTuberの男の子」だとイメージがしやすいという意味で設定として組み込んでいる方もいます。 [caption id="attachment_23017" align="aligncenter" width="750"] ↑連載中の『シャイニング!』では主人公がスマートフォンを使って記事を読む描写があったり[/caption] あとは、今小学生に流行っているものを作品として連載しています。 最近だと、原宿にある『ベビタピトーキョー』というタピオカのお店の店長として働いている『しなこちゃん』というインフルエンサーが小学生にとても人気なので、ベビタピで働く女の子を主人公にしたまんがを連載しています。他にも2.5次元アイドルグループ『すとぷり』の作品も絶賛連載中で、この方々も小学生女児の中で今とても人気のアイドルです。 ―キャラクターの顔の描き方なども変化を感じますか?― 昔より色々な顔の描き方の作家さんが増えてきたとは思います。というのは当時読者だった方が作家さんになられているので、かつて好きだった作品が自分の作品にも影響している方が多いのではないでしょうか。なので、令和だからこういう顔の描き方になったよねというのは無いかもしれません。特にキャラクターの第一印象は目にいくので、黒い瞳の部分やまつ毛、虹彩など目の描き方は色々と分析をされている方は多いと思います。 ―今、読者に求められているマンガってなんでしょう?― これはですね、僕も勉強しているんですよ(笑) 求められているマンガというのは現時点で正解はなくて、推測するしかないなと思っています。ですので、読者に送っていただいたアンケートを読んだり、毎年開催するちゃおのイベントの反応を見たりして、どういうものが読みたいのか考えていくという感じです。 例えば、アンケートの回答だと最近流行っているものを記入する項目があるので、多かった回答を作品の1つのシーンとして盛り込んだり、何か企画を考えたりなどしています。最近だとキッズコスメが発売されるほど小学生でもメイクをする子が増えてきたので、その流れで『メイクのお姫様』という連載をしたりといった、時代の流れを見て次にこれが読みたいであろうものを作っています。 ―漫画家を目指している方へメッセージをお願いします!ー ちゃおとしてはぜひ皆さんとお仕事したいです!という気持ちが強いですね。 ちゃおで人気になると、作品が表紙に大きく掲載されたり、作品に関連するグッズが付録になったりなど自分の作品を大きく展開できるチャンスがあります。また、初めて読んだマンガ雑誌がちゃおなんて方も多くて、その当時読んだ作品を鮮明に覚えている方もいらっしゃいます。そんな記憶に残る作品を自分で考えて描くというお仕事はとても面白い仕事なので、ぜひそういった方々と一緒にお仕事したいなと思います! 中谷さんありがとうございました! やはり時代の変化に伴って、少女マンガも読者に求められているものに変化していたことがよく分かりました。だからこそ、私たちが小さい頃に読んだあの作品たちは鮮明に残っていくのですね。 また中谷さん自身が編集者というお仕事について終始楽しそうに話されていたのも印象的でした。「好き」があるからこそ良い作品が作り出せる、そんな魅力的なお仕事だということも伝わってまいりました。 この記事を読みながら懐かしさを感じた方、またちゃおを読みたくなった方はぜひちゃおを手に取ってみてください。最初に紹介したちゃおプラスでは過去の作品も見ることができますので、ぜひご覧ください!! 取材協力:株式会社 小学館 PicoN!編集部:河野 ↓PicoN!アプリインストールはこちら

【写真学校教師のひとりごと】vol.21 藤井香奈子について
わたし菊池東太は写真家であると同時に、写真学校の教員でもあった。 そのわたしの目の前を通り過ぎていった若手写真家のタマゴやヒナたちをとりあげて、ここで紹介してみたい。 その人たちはわたしの担当するゼミの所属であったり、別のゼミであったり、また学校も別の学校であったりとさまざまである。 これを読んでいる写真を学ぶ学生も作品制作に励んでいるだろうが、時代は違えど彼らの作品や制作に向かう姿が少しでも参考になれば幸いだ。 ▼【写真学校教師のひとりごと】 棚木晴子について [clink url="https://picon.fun/photo/20250126/"] わたしは日本写真家協会からの委託を受け、茨城県の高校生写真コンテストの審査員をしたことがある。 そのときわたしが最優秀作者として選んだ人は、高校卒業後、自身の祖父の線で某N大の写真芸術学部に進んだ。 それが今回の主人公、藤井香奈子である。 わたしは藤井が高校生の頃、可憐な芽であった時代に出会っただけだから、なにもいうことはできないかもしれない。ただ単にかの女の可能性を見いだしただけだから。 だが、藤井がその高校時代に撮った友人の顔のアップはなかなかのものだったと思う。 あの黒い目の輝きと笑み。いくつかの言葉を呑込んで閉じた口元。 それを撮った作者の藤井と、たくさんシャッターを押した中からまたそれを選びぬいた藤井に、それなりの力量を感じて選考した記憶がわたしの頭の片隅にある。 2022年「天使になれない」 Sony Imaging Gallery それなりの力量を感じて、選考した記憶がわたしの頭の中にある。 あのときの感性はどこへ行ったのだ? 大学へ行き、いままでとは異なった部分の感性を刺激されたのだろう。 それによって別の面白いと思われる部分を優先させ、それまでのとびぬけた人間観察力の発揮がおろそかになってしまったというのが真相だろう。 わたしが新宿でやってる写真教室でも何度か見せてもらったが、かつて高校時代にやっていたような切れ味のある描写が見られない。銀座で展示会を開いたが、あれではまだまだわたしには不満だ。キミにはもっと上等な感性があるのだから。もっと上を目指して欲しい。 藤井はどこから見ても器用じゃない。でもそれでいいんだよ。そういうキミから見たら男はどう見えるのか。 キミは理屈をぐちゃぐちゃこねたりはしない。そのままストレートに悩む。ある意味で素直。 そういうヒトがオトコについて考えてみる。それを映像化する。いいんじゃないかな。 天使になれない、なんて泣き言みたいなことを言ってる場合じゃないと思うな。 いまキミは渋谷にある写真教室で1週間に3日事務を執り、あとはレタッチの仕事をしている。 写真を撮るためにはいい環境にいると思うよ。考える時間はたっぷりあるんじゃない? キミは学校をでてからは、これといったテーマに出会っていないような気がする。 わたしの考えでは、写真はハッキリ言って、テーマ次第のところがある。 本人、つまり作者にとってそれが、どれだけしっくりきているか、ピッタリくるかということにつきると思う。 すぐに映像化が難しいのならば、まず文章化してみたら?そして、文章から映像へ。 藤井が撮る、男、見てみたいなあ! 藤井香奈子 1991年 茨城県出身 2014年 日本大学藝術学部写真学科 卒業 展示 2012年 ニッコールフォトコンテスト入賞作品展/ニコンサロン 2013年 ニッコールフォトコンテスト入賞作品展/ニコンサロン 2013年 日本大学藝術学部写真学科 選抜展/ニコンサロン 2014年 公募展/APAアワード/東京都写真美術館 菊池東太 1943年生まれ。出版社勤務の後、フリー。 著作 ヤタヘェ~ナバホインディアン保留地から(佼成出版社) ジェロニモ追跡(草思社) 大地とともに(小峰書店) パウワウ アメリカインディアンの世界(新潮社) 二千日回峰行(佼成出版社) ほか 個展 1981年 砂漠の人びと (ミノルタフォトスペース) 1987年 二千日回峰行 (そごうデパート) 1994年 木造モルタル二階建て (コニカプラザ) 1995年 アメリカンウエスト~ミシシッピの西 (コニカプラザ) 1997年 ヤタヘェ 北米最大の先住民、ナバホの20年 (コニカプラザ) 2004年 足尾 (ニコンサロン) 2004年 DESERTSCAPE (コニカミノルタ) 2006年 WATERSCAPE (コニカミノルタ) 2009年 白亜紀の海 (ニコンサロン) 2013年 DESERTSCAPE-2 (コニカミノルタ) 2013年 白亜紀の海2 (ニコンサロン) 2015年 日系アメリカ人強制収容所 (ニコンサロン) ほか [clink url="https://picon.fun/photo/20220626_pfw/"] ↓PicoN!アプリインストールはこちら
おすすめ記事
おすすめ記事一覧
平成から少女マンガは変わりつつある?!令和の「ちゃお娘」がときめく作品について中の人に聞いてみた。
皆さんは小さい頃によく読んでいたマンガはありますか? 筆者は『ちゃお』というマンガ雑誌を愛読していました!今でもこの名前を聞くと『きらりん☆レボリューション』や『極上!めちゃモテ委員長』、『オレ様キングダム』、、、などなど、筆者が小さい頃に連載されていた少女マンガを思い出し、とても懐かしい気持ちになります。 そんな時代から社会情勢や流行が目まぐるしく変わってしまった令和。その時代の変化はちゃおをはじめとする少女マンガにも何か影響をもたらしたのではないでしょうか? ということで、今回はちゃおの発行元である小学館のちゃお編集部の中谷 好彰さん「平成と令和の少女マンガの変化」について色々とお話を聞かせていただきました。編集者のお仕事のことについても伺いましたよ! かつてちゃおを読んでいたという方はもちろん、これから漫画家を目指しているという方たちにも、今の少女マンガのことについて知っていただける内容となっております。 ―まず中谷さんのお仕事について教えてください!ー 主にちゃおの中に掲載されている連載マンガやインタビュー記事、CM制作やちゃおチャンネルの撮影、付録などページづくり全般に携わっています。特に連載マンガだと、常に次の雑誌に向けて、新連載の企画を考えてたりなどもしています。作家さんと一緒にどんな作品が読者に好まれそうか作品案を考えたり、作家さんの発案だけでなく、ゲームやホビーメーカーにお声がけをし、そのコンテンツとコラボしたマンガを作ってみるなど、どんな作品に需要があるのか推測しながら企画していきます。 [caption id="attachment_23018" align="aligncenter" width="750"] ↑今は小学生に人気の『たまごっち』を連載中![/caption] また2023年に『ちゃおプラス』という、ちゃおのマンガが無料で読めるW E Bサイトを開設したんです。紙面だと掲載できる作品に限りがありますがW E Bだと無制限なので、ちゃおプラスでしか読めないオリジナルの作品を作家さんと一緒に考えたりもしていますね。 [clink url="https://ciao.shogakukan.co.jp/"] ―「作家さんと作品を作る」とは具体的に何をしているのでしょうか?― 基本的には作家さんが作りたい作品を描いていただいています。ですが、実はちゃおには作品を描く上でルールがあって、例えば「過激なものはダメ」など描けない描写が決まっているんです。なので、みなさんには決まったルールの中で作品を描いていただいています。その中で私は作家さんが描きたいイメージを形に出来るように一緒にストーリーの展開を考えたり、読者が本当に求めている作品なのかといった部分を俯瞰的に確認し、作品の方向性について作家さんと相談しています。例えば、作家さんの中には読者に伝えたいシーンは決まっているけど、どうやってストーリーを作っていいか分からないという方もいらっしゃいます。そういう場合にはそのシーンを盛り上がらせるためにどんな状況にするか、どんなアクシデントを組み込むかなど話し合いながら、そこに持っていくまでの展開を一緒に考えたりしています。作家さんによって悩んでいることが違っているので、その部分を解消できるようなサポートが出来ればと思っています。 ―編集者として読者が求めているマンガを作るために意識していることは何ですか?ー 読者がきちんと読みやすいかという部分を大切にしています。読んだ方が全員理解できるような作品を目指していきたいです。あとはその作品で何を見せたいか・伝えたいかをまず見ています。ストーリーがフワッとしていると読者の印象に残らないので、そこはしっかり見てどのような展開にしていくのか話し合うようにはしています。キャラクターが果たして読者が求めている人物像なのか、ビジュアルなども見ていますね。 ―さて本題ですが、少女マンガは平成から令和でどのように変化したと思いますか?― 平成と令和では生まれた時に起こるニュースや人々の価値観、習い事などが変わってきているので、それが少なからず少女マンガにも変化をもたらしているのではないかなと思います。 ストーリーの変化だと、例えば恋愛マンガは「付き合うに至るまでいかに長くドキドキさせるか」に重きをおいている作品が多かったイメージですが、時代が変わったからこそ、今の読者はそういった作品に果たして本当にドキドキするのか?疑問に思うこともあります。なので、今の小学生はこの時期から恋愛を楽しんでいる子も増えてきているので、「1・2話で付き合ってしまって、付き合う中でのドキドキを描く」作品を考えたりもしていますね。 おそらく平成と令和で恋愛のやり方も変わっていて、クラスの人と話していくうち距離を近づけていくような恋愛から、今はS N Sのメッセージを通して、恋愛に発展していく時代になってきたのかなと思うので、そもそもの恋愛のありようも変化していると思います。恋愛マンガにおいては、その社会の変化からストーリーの展開も変わってきたのかなと思いますね。 ―最近は小学生でもS N Sを使う時代になったので、流行に敏感な子が多いのかなと思います。そういったことも作品に影響しているのでしょうか?― 影響していると思います。例えば、平成の時はテレビ、雑誌、ラジオみたいなものしかなくて、共通の話題が多かったですよね。朝学校に行くと「昨日のあれ観た?」なんて話すことも多かったと思います。でも最近はそれが崩れてきている印象があって、S N Sを始め、触れるコンテンツが増えてきたからこそ、それぞれが違うものに触れているから共通の話題が減ってしまっているんですよね。でも、そういう現状がある中で「YouTuberは知ってる」という共通認識はあるので、キャラクター設定でも「芸術家の男の子」だとイメージが分散されてしまいますが、「YouTuberの男の子」だとイメージがしやすいという意味で設定として組み込んでいる方もいます。 [caption id="attachment_23017" align="aligncenter" width="750"] ↑連載中の『シャイニング!』では主人公がスマートフォンを使って記事を読む描写があったり[/caption] あとは、今小学生に流行っているものを作品として連載しています。 最近だと、原宿にある『ベビタピトーキョー』というタピオカのお店の店長として働いている『しなこちゃん』というインフルエンサーが小学生にとても人気なので、ベビタピで働く女の子を主人公にしたまんがを連載しています。他にも2.5次元アイドルグループ『すとぷり』の作品も絶賛連載中で、この方々も小学生女児の中で今とても人気のアイドルです。 ―キャラクターの顔の描き方なども変化を感じますか?― 昔より色々な顔の描き方の作家さんが増えてきたとは思います。というのは当時読者だった方が作家さんになられているので、かつて好きだった作品が自分の作品にも影響している方が多いのではないでしょうか。なので、令和だからこういう顔の描き方になったよねというのは無いかもしれません。特にキャラクターの第一印象は目にいくので、黒い瞳の部分やまつ毛、虹彩など目の描き方は色々と分析をされている方は多いと思います。 ―今、読者に求められているマンガってなんでしょう?― これはですね、僕も勉強しているんですよ(笑) 求められているマンガというのは現時点で正解はなくて、推測するしかないなと思っています。ですので、読者に送っていただいたアンケートを読んだり、毎年開催するちゃおのイベントの反応を見たりして、どういうものが読みたいのか考えていくという感じです。 例えば、アンケートの回答だと最近流行っているものを記入する項目があるので、多かった回答を作品の1つのシーンとして盛り込んだり、何か企画を考えたりなどしています。最近だとキッズコスメが発売されるほど小学生でもメイクをする子が増えてきたので、その流れで『メイクのお姫様』という連載をしたりといった、時代の流れを見て次にこれが読みたいであろうものを作っています。 ―漫画家を目指している方へメッセージをお願いします!ー ちゃおとしてはぜひ皆さんとお仕事したいです!という気持ちが強いですね。 ちゃおで人気になると、作品が表紙に大きく掲載されたり、作品に関連するグッズが付録になったりなど自分の作品を大きく展開できるチャンスがあります。また、初めて読んだマンガ雑誌がちゃおなんて方も多くて、その当時読んだ作品を鮮明に覚えている方もいらっしゃいます。そんな記憶に残る作品を自分で考えて描くというお仕事はとても面白い仕事なので、ぜひそういった方々と一緒にお仕事したいなと思います! 中谷さんありがとうございました! やはり時代の変化に伴って、少女マンガも読者に求められているものに変化していたことがよく分かりました。だからこそ、私たちが小さい頃に読んだあの作品たちは鮮明に残っていくのですね。 また中谷さん自身が編集者というお仕事について終始楽しそうに話されていたのも印象的でした。「好き」があるからこそ良い作品が作り出せる、そんな魅力的なお仕事だということも伝わってまいりました。 この記事を読みながら懐かしさを感じた方、またちゃおを読みたくなった方はぜひちゃおを手に取ってみてください。最初に紹介したちゃおプラスでは過去の作品も見ることができますので、ぜひご覧ください!! 取材協力:株式会社 小学館 PicoN!編集部:河野 ↓PicoN!アプリインストールはこちら

2月22日は猫の日。猫専門イラストレーター・Coony(クーニー)さんにインタビュー
もうすぐ「猫の日」。 SNSでは猫の動画がバズり、「猫ミーム」が話題を集めるなど、最近は特に猫が大人気ですね。 今回は、猫専門イラストレーター・Coony(クーニー)さんにインタビュー!作品作りのこだわりや戦略についてお話を伺いました。 Coony(クーニー) 猫専門イラストレーター 福島県生まれ、多摩美術大学卒業。 2019年よりイラストレーターとして活動を開始し、現在は3匹の猫と暮らしています。 イラストを始めたきっかけはなんですか? 以前の職場に猫好きの先輩がいて、その先輩と仲良くなりたいと思い、誕生日に猫のイラストを描いてプレゼントしました。とても喜んでくれて、「絶対何かやったほうが良いよ!」という言葉をもらったことがイラストを描き始めたきっかけです。 また、保護猫のミノを迎えたことは、イラスト活動を本格的に始めるきっかけとなりました。ミノを迎える際に、動物の引き取りや保護を行っている団体があるということを初めて知りました。 私も何か貢献できないかと思い、空いている時間に猫のイラストを描いてInstagramにアップしてみました。すると、フォロワーが一気に増え、「お金を払うので描いてほしい」というDMがたくさん届きました。そこで、「イラストを描いた利益の一部を保護団体に寄付する」という形で、自分なりの保護猫活動を始めました。 [caption id="attachment_23390" align="aligncenter" width="750"] ミノ[/caption] Instagramを始めて1年も経たないうちに、数々の猫スイーツを手がけるお菓子メーカー『オールハーツカンパニー』の、『ねこねこチーズケーキ』からパッケージデザインの依頼を受けました。 3~4年ほど日中はインハウスデザイナーとして働き、夜は遅くまでイラストを描くというダブルワークを続けていましたが、昨年1月からフリーランスとして活動を開始しました。 [caption id="attachment_22921" align="aligncenter" width="750"] 2025年2月3日(月)より全国発売 「にゃんともおいしいチーズケーキ クッキー&クリーム」257円[/caption] どんなツールを使って描いていますか? 基本的にはillustratorです。iPadにApple Pencilで描き、最後の仕上げはマウスで行っています。マウスを使うと予期しないラインが出ることが個人的に気に入っていて、この部分はかなりのこだわりです。こだわらないと、作風が少し変わってしまうかもしれないくらい大切な作業だと感じています。 最近は「猫+食べ物」を描くことも多くなってきたので、Photoshopも使っています。 Illustratorでは食べ物のシズル感(購買意欲を掻き立てるような瑞々しさ)を表現するのに限界があるため、ベースはillustratorで描き、最後の仕上げはPhotoshopで行っています。 作品制作の流れを教えてください 私が描いているのは基本的に猫のバストアップ(照明写真のような)アングルです。そのため、そういったアングルでこちらを見ている写真を送ってもらいます。他にもいくつか写真をいただき、「この子はおっとりしているんだろうな」「あざとい系かな」など、どういう子なのかを感じとって、なるべく個性が表れるように描いています。 背景の色は、基本的にお家に飾るため、インテリアの写真をもらって提案したりします。希望の色を指定していただくこともありますし、「猫ちゃんに合う色にしてください」と要望いただくこともあるので、その都度対応しています。 猫を描くときにこだわっているポイントはありますか? 「目」にこだわっています。 猫は目がとても綺麗で、他の部分がモコモコしている姿が可愛いと思うので、そのバランスがうまく出るように心がけています。 また、見る人と目が合うように意識し、他の体毛よりも線を太くして少しうるうるした感じにしたり、透明感が出るように工夫したりしています。 今の課題はなんですか? やっぱり描く時間―効率化が課題です。結局、描くのにかかる時間が収入に直結するので、できるだけ早く描けるようにしたいと考えています。どうやったら筆が乗りやすくなるのか、下書きをもっと早く進める方法はないか、生産性をあげる手段はないか、などを考えています。 見ている人に伝えたいことはありますか? 良い意味で特にないんです(笑) 「猫かわいいな〜」と思ってもらえたら、それが一番最高です。 というのも、「収益の一部を保護猫に寄付します」と言っているものの、受け取る側に圧力を感じさせてしまう感じがして、保護活動を前面に出しすぎたくないんです。”可愛いから”という理由でグッズやイラストを買ってもらい、実は保護猫への寄付につながっていたと知る人もいるかもしれない、そういう循環を作っていきたいと思っています。 だから、「猫かわいい」と思ってもらえたら、それが一番嬉しいです。 フリーランスとして働くうえで意識していることはありますか? イラストが上手い方はたくさんいらっしゃいますが、フリーランスとして活動するには「マーケティング」の要素がとても重要だと考えています。 特に、自分が「どんなイラストレーターなのか」を一言で伝えられることが大切だと感じています。 私の場合、SNSには意図的に【猫ちゃんのバストアップ+正面を向いたイラスト】を多く投稿しています。それは、絵を見た方に「自社のパッケージに使えそう」とか「うちの猫の似顔絵も描いてほしい」と具体的なイメージを持ってもらいやすくするためです。 現在、ほとんどの仕事はInstagram経由でご依頼をいただいています。 [caption id="attachment_23145" align="aligncenter" width="750"] ハローキティとにゃんともおいしいチーズケーキ~つぶつぶストロベリー~(現在は販売終了しています)[/caption] クライアントが求めることと自分の色の出し方は、どのようにバランスをとっていますか? 特に企業がクライアントのときは、基本的に企業の意向に従っています。絶対に譲れない点は守りますが、それ以外の部分については、新しい一面として受け入れています。 もし少し違うと感じる場合は、相手の要望を理解した上で、別の方向で提案することもあります。インハウスデザイナーを10年ほどやっていたので、社内の状況や事情はある程度理解できます。おそらく、いきなりフリーランスになっていたら分からなかったことだと思います。会社で働いていた経験は、大きな強みになっていますね。 また、納期やプロジェクトの内容にもよりますが、自分なりのアイデアを1案加えることも多いです。 最初のミーティングでは、企画の意図や求める成果・イメージをヒアリングし、その認識をすり合わせるためのA案を作成します。そして、A案に追加要素を加えたB案や、さらに解釈を広げたC案、ちょっと方向性の違うD案を提案します。 基本的にInstagramを見てご依頼いただくため、テイストを変えてほしいという要望はありません。 今年度から美術大学の講師もやられているCoonyさん。イラストを学ぶ学生にメッセージをください。 お仕事がたくさんもらえて忙しくなってくると、嬉しい反面、時間や体力の限界を感じることもあるかと思います。そんな忙しい時やピンチの時に「なんで私はイラストやりたかったんだっけ…?」という原点がしっかりしていると、それを振り返ることで、ピンチも乗り越えられますし、軸もぶれないと思います。会社でいうミッション、ビジョンあたりが近いと思います。 私の場合、深夜に睡魔と闘いながら描くことも時々ありますが、「これで猫が何匹助かるのかな」と思うと頑張れるので、そういった原点があるとやっぱり強いなと感じます。 これからの目標を教えてください。 今はお菓子や食品のパッケージが多いので、今年は新しい分野の製品やパッケージにも積極的にチャレンジしていきたいと思っています。また、動画や3Dなどイラストを元に派生させて進化させることにも挑戦してみたいです。見てくれる人を楽しませるような内容にするのが目標です。 Coonyさん、ありがとうございました! 人懐っこくて可愛い3匹の猫ちゃんたちに囲まれて、とても幸せな取材時間を過ごしました。 Coonyさんはたくさんの商品パッケージを担当されています。 ▼コラボ商品とイベントのお知らせをご紹介いたします▼ ねこねこチーズケーキ/ねこねこウィンターホリデー開催中! サイトはこちら>>NEKO NEKO WINTER HOLIDAYS 2024-2025/ALL HEARTS COMPANY PAPABUBBLE(パパブブレ)×ねこねこ コラボレーション商品が期間限定で発売中! 詳細はこちら>>【「PAPABUBBLE」と初コラボ!】『ねこねこキャンディBAG』などコラボ商品を1月30日より新発売🍬🌟 【保護猫支援】焼きチョコ缶 発売中! 販売ページはこちら>>焼きチョコ缶/patisserie un.fleur(パティスリーアンフルール) FamilyMart「ファミリ~にゃ~ト大作戦!」にて、Coonyさん監修商品発売開始! 詳細はこちら>>毎年恒例!「ファミリ〜にゃ〜ト大作戦!」2月18日(火)から開催にゃ〜 HARAKADO CAT’S GALLERY ★参加&メインビジュアルを担当★ 期間:2025年2月17日(月)~2月27日(金) 11:00-20:00 場所:東急プラザ原宿『ハラカド』3階 ハラカドギャラリーby匿名希望画廊 @tokumei_kibogaro 内容:9名のアーティストによる猫アート作品の展示・販売、グッズ販売、オーダーイラスト抽選会、その他イベント 寄付:こちらのイベントの収益の一部は東京キャットガーディアンに寄付されます🐾 @tokyocatguardian また、CoonyさんのSNSには素敵な作品がたくさん載せられています。こちらもぜひご覧ください☟ Instagram @coony_illust X(Twitter)@Coony_illust TikTok @coony_illust PicoN!編集部 そん ↓PicoN!アプリインストールはこちら

これが写真家の名人芸。ハービー・山口が写す、写真学校の “光” – 日本写真芸術専門学校・新パンフ撮影の舞台裏
NEWメイキング動画 書籍の顔である表紙の撮影は、写真家のセンスと技術が必要とされるフィールドのひとつ。撮影現場はどのような流れで動き、そして写真家はどのような想いや思考をもって仕事に取り組むのでしょうか? 写真家の仕事現場をのぞき見れる、貴重なムービーが到着しました。 日本写真芸術専門学校(NPI)の学校パンフレット。2026年度入学者向けの表紙と裏表紙は、キャリア50年、第一線を走る写真家でNPI校長のハービー・山口先生が撮影しました。 撮影当日、スタッフ一同は朝9時に集合。モデルがヘアメイク、スタイリングをしている間、ハービー校長はNPI校内をロケハンし、10時半より撮影がスタート。 ライカM10-PとM10 モノクローム 、レンズはノクティルックス M50㎜、ズミクロンM35㎜、エルマリート90mm F2.8を使用して、いい光を探しながら校内を巡りました。 ハービー・山口 HERBIE YAMAGUCHI 1950年東京都出身。23歳でロンドンに渡り10年間在住、劇団の役者を経て写真家になる。折からのパンクロックのムーブメントの中、ミュージシャンのポートレートが高く評価された。幼年期に患った病歴の末、写真のテーマを「生きる希望」とし人物を撮り続けている。エッセイの執筆、ラジオのパーソナリティー、ギタリスト布袋寅泰には歌詞を提供している。テレビ番組「徹子の部屋」にも出演するなど幅広い年代層から支持されている。2011年度日本写真協会賞作家賞受賞。個展・著作多数。 Instagram:@herbieyamaguchi X:@herbieyamaguchi 「写真は光と影が作り出すドラマです。その場その場で最大限に光を活用して、いかにドラマチックに撮るかということを考えました。廊下にいい光があれば床に座ってもらったり、窓のブラインドからもれる細い光で遊んだり。またモデルさんと出身地や好きな食べ物の話をするなかで打ち解けて、後半は光よりも表情に注目して撮影しました。学校でもこんな写真が撮れるのかと、みなさんの刺激になったら嬉しいです。」 ハービー・山口 パンフレットに載せきれなかったアザーカットをコチラでご紹介! [caption id="attachment_22973" align="aligncenter" width="562"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] [caption id="attachment_22974" align="aligncenter" width="850"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] [caption id="attachment_22975" align="aligncenter" width="850"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] [caption id="attachment_22976" align="aligncenter" width="850"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] [caption id="attachment_22977" align="aligncenter" width="850"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] [caption id="attachment_22978" align="aligncenter" width="562"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] [caption id="attachment_22979" align="aligncenter" width="562"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] [caption id="attachment_22980" align="aligncenter" width="850"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] [caption id="attachment_22981" align="aligncenter" width="567"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] [caption id="attachment_22982" align="aligncenter" width="567"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] [caption id="attachment_22983" align="aligncenter" width="567"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] [caption id="attachment_22984" align="aligncenter" width="567"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] [caption id="attachment_22985" align="aligncenter" width="567"] ©HERBIE YAMAGUCHI[/caption] モデル:内野七星 ヘアメイク:COCO スタイリスト:荒谷至 学校パンフレットにはハービー・山口校長の撮影後のインタビューを掲載。 こちらもぜひご覧ください! 2025年4月以降に学校ホームページから資料請求をお願いいたします。 学校HPはこちら 資料請求はこちら ↓PicoN!アプリインストールはこちら
デザイン記事
デザイン記事一覧
「和モダン」デザインの魅力って何?

アート作品集の制作プロセスに密着。 “表現の結晶” としてのブックデザイン

ゴディバ・パッケージデザインのひみつを開発者に聞いてみた。~チョコレートの魔法ができるまで~

【イマーシブ体験の流行で再注目!】映像演出の先駆者に聞く、ディズニーの映像演出の魅力とは?【後編】
イラスト記事
イラスト記事一覧
【アナログイラスト初心者向け連載】第10回~どうぶつの毛の描き方~

2月22日は猫の日。猫専門イラストレーター・Coony(クーニー)さんにインタビュー

【PicoN!発】「#私を発掘してください」プロジェクト No.3

第22回 高校生マンガ・イラストグランプリ 高校生ナンバーワンに輝いた「うといぺんこ」さんにインタビュー!
マンガ記事
マンガ記事一覧
平成から少女マンガは変わりつつある?!令和の「ちゃお娘」がときめく作品について中の人に聞いてみた。

AIが占う2025年! クリエイティブのトレンドを大胆予想!

マンガ連載~第38話~ 「映画インプット」編

マンガ連載~第37話~ 「アクティブレスト」編