クリエイティブ圏外漢のクリエイティビティを感じる何か vol.51
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
5月にも関わらず初夏の様相を呈していますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
野口文というアーティストの「頭」という曲を聴いて、ひとつ驚いたことがありました。それはApple Musicの楽曲ジャンルが「J-POP」に分類されていたことです。
え?これJ-POPなの?
そんな疑問符と驚きがあるこのアーティストを今回は取り上げます。
野口文とは何者か
2001年生まれ。幼少期からクラシックピアノを習い、高校3年生のときに自宅で楽曲制作を始める。埼玉出身、都内在住の音楽家。
2021年に自身がコンポーザーを務めるC子あまねというバンドプロジェクトで「晴天に雷鳥」「Japan」などをリリースし、各種ストリーミングサービスにおいて多数のプレイリスト選出を獲得。
2023年より野口文としてソロプロジェクトを開始。2023年にソロ名義でリリースした1stアルバム『botto』がASIAN KUNG-FU GENERATION後藤正文主宰の音楽賞で特別賞を受賞。
※ ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアン・カンフー・ジェネレーション)は1996年結成の日本のロックバンド。「後藤正文主宰の音楽賞」とは「Apple Vinegar Music Award(アップル・ビネガー・ミュージック・アワード)」のこと。後藤正文(ゴッチ)がキュレーターを務め、商業的な知名度よりも音楽的な独自性・深度を重視して年間ベスト作品を選出する賞。
メディア露出はほぼない。SNSの更新も多くない。それでも口コミで広がり続けているのは、音楽そのものが持つ引力が相当に強いからだと思う。
ちなみに本人がインタビューで語っているのだが、マイルス・デイヴィスの『Kind Of Blue』を聴いてジャズを知り、そこからコルトレーンを知り、『A Love Supreme』を聴いてからはもうそれしか聴いていないという人物である。
※ マイルス・デイヴィス(Miles Davis)は20世紀を代表するジャズ・トランペット奏者。『Kind Of Blue』(1959年)はジャズ史上最も売れたアルバムのひとつで、ジャズ入門盤として今も世界中で聴かれている。コルトレーン(John Coltrane)はそのメンバーでもあったサックス奏者で、後に独自のスピリチュアルなジャズを追求。『A Love Supreme』(1964年)はその代表作にして、ジャズという枠を超えた精神性の高さで知られる伝説的アルバム。
「好きな作品を繰り返し聴き続ける」タイプで、興味があれば深海まで潜っていく人間の音が、そのまま出てきているタイプの音楽家だ。
前作「藤子」について
まずここから聴いてほしい。
1st『botto』は実家の自室で宅録されたが、『藤子』は那須高原の静かな空き家にすべての機材を持ち込んで1か月にわたり制作された。友人ミュージシャンたちを迎えて、雪の積もる栃木の空き家に全員で籠もって録った。
その制作ドキュメントがYouTubeで公開されている。
野口文 – 藤子レコーディング1
野口文 – 藤子レコーディング2
野口文 – 藤子レコーディング3
野口文 – 藤子レコーディング4
野口文 – 藤子レコーディング5
野口文 – 藤子レコーディング6
野口文 – 藤子レコーディング7
それを見ると余計に混乱する。なぜこんな音が出てくるのかがわからない。
ピアノやバイオリンといったクラシックサウンドを中心に、鐘やカラスの鳴き声など多様な音がサンプリングされた「6018」、複雑に練り込まれた多層的な演奏のなかで英詞ラップが目まぐるしく繰り広げられる表題曲「藤子」、サイケが顔を見せる実験的なポエトリー・リーディング・ナンバー「ボブマーリーに明け暮れて」、情景を思い起こさせるインスト「Plateau」など、時に静謐で時にカオスでありながら一貫性がある。
※ ポエトリー・リーディング(Poetry Reading)とは、詩を朗読するパフォーマンス表現。音楽に乗せて詩を語るスタイルで、ヒップホップのラップとも近いが、よりリリカルで文学的なニュアンスが強い。サンプリングとは、既存の音源の一部を切り取り、新たな楽曲の素材として使う制作手法。
あらゆるジャンルの断片が同居しているのに、全体として揺るぎない世界観を持っている。これは普通、どちらかが犠牲になるものなのだが、野口文はそれをしない。それぞれが全力のまま、なぜか共存している。
リリース直後からSNSで話題になり、私の昨年のベストソングのひとつでもある。
「藤子」以降に起きたこと
口コミで広がったのは配信の世界だけではなかった。2025年には「FUJI & SUN」「岩壁音楽祭」、坂本龍一トリビュートイベント「RADIO SAKAMOTO」など、早耳のリスナーから注目を集めるフェスにも多数出演。渋谷WWWで開催された自主企画には石橋英子を迎え、チケットはSold Outするなど注目を集めている。
※ 「FUJI & SUN」は静岡県富士山麓で開催される野外音楽フェス。「岩壁音楽祭」は長野県松本市で開催されるインディー色の強い野外フェス。「RADIO SAKAMOTO」は2023年に逝去した音楽家・坂本龍一を追悼するトリビュートイベント。「渋谷WWW」は渋谷にある中規模ライブハウスで、インディー・実験的音楽の発信地として知られる。石橋英子は映画音楽や実験音楽で国際的に活躍する日本の音楽家・マルチプレイヤー。
前作アルバム『藤子』でApple Vinegar Music Award特別賞を受賞し、さらにApple Vinegar Music Award 2026年のノミネート10作品にもノミネートされるなど、後藤正文との縁も続いている。同じ賞で2作連続評価されるというのは、単なるフロックではないことの証明でもある。
そして今作「死んでも一生」について
「藤子」でも驚いたが、今作は前作を超えて驚いた。
00年代のポストロック、マスロックが好きな人は、一曲目「頭」冒頭の数十秒で感じるものがある。あの頃のあの芳醇さ、ちょっとゴージャスな質感、音の重なりが持つ有機的な揺らぎ。TortoisやSigur Rósが持っていたあの感触が、全体をぶ厚くコーティングしている。
※ ポストロック……ロックの楽器編成を使いながら歌やコード進行に頼らず、音の構築や反復・変化を重視するジャンル。マスロックはその派生で、変拍子や複雑なリズムパターンが特徴。Tortoise(トータス)はシカゴ出身のポストロックの代表的バンド。Sigur Rós(シガー・ロス)はアイスランドのバンドで、壮大な音の風景と独自の言語(vonlenska)で知られる。どちらも2000年前後に世界的な注目を集めた。
しかし同時にフリージャズ的な瞬間が普通に同居している。「同居」というより「共立」と言いたい。どちらかがどちらかに飲み込まれることなく、それぞれがそれぞれのまま鳴っている。
※ フリージャズ……コード進行やリズムの決まりごとを意図的に解体し、即興演奏を極限まで自由にしたジャズの一形態。1960年代にコルトレーンやオーネット・コールマンらが先導した。
そしてこれがすべてデスクトップで成立している。ここがこのアルバムの凄まじい点だ。
オーケストラ的なスケール感、フリージャズ的なカオス、ポストロック的な構築美が、宅録のフォーマットのなかに収まっている。スケール感がバグっている(いい意味で)という表現が一番正確だと思う。バグっているのに破綻していない。
収録曲のタイトルを眺めるだけでも少しおかしい気持ちになる。「頭」「目(1)」「目(2)」「おんぶに疲れて」「bus」「ボレロ」「突然楽しくて呼吸を忘れて(1)(2)(3)」「恋をしている」「死んでも一生」。なんだこれは。「突然楽しくて呼吸を忘れて」が三部構成になっているし、「ボレロ」が普通に入っている。このタイトルセンスだけでも、この人がただものではないことはわかる。
※ 「ボレロ」はフランスの作曲家モーリス・ラヴェルが1928年に作曲した楽曲。同じリズムと旋律を延々と繰り返しながら少しずつ音量と楽器編成を膨らませていく構造で知られる、クラシック音楽史上もっとも有名な作品のひとつ。
その名をそのままアルバムに収録曲として入れてしまうあたりに、野口文のスタンスが滲んでいる。
音の統制感について
一つひとつの音の扱い方、特に残響の処理が異様に丁寧だ。カオスに聴こえる瞬間でも、音が勝手に暴れているわけではなく、ちゃんと手綱を持っている人間がいる感覚がある。
「諸々カオスだけど身体のみ自由」とでも言うべきか。頭と耳は振り回されているのに、身体は妙にリズムを掴んでいる、という体験が続く。これは偶然ではなく、相当な設計のうえに成立していると思う。コルトレーンの『A Love Supreme』を繰り返し聴き続けて身体に染み込ませた人間の設計感が成せる業なのかもしれない。
そして勝手な印象だが、生成AIやAIエージェントなどテクノロジーの発展により我々は「便利だが既定路線」「頭は知らないうちにテクノロジーに支配されている」という状況下に置かれているが、本作は「身体だけ自由」と密かな抵抗をしているように感じる。
今作に関してもうひとつ大きな出来事がある。これまでずっと配信のみだったものが、ついにCDというフィジカルでリリースしたことも、本作の密かな抵抗と関連しているのかもしれない。
「J-POP」という括りの話に戻ろう
Apple MusicがこれをJ-POPと呼ぶ事実を、私はわりと真剣に面白いと思っている。ジャンルの解像度の問題でもあるし、あるいは野口文という存在がそもそもジャンルという概念と相性が悪いというだけの話かもしれない。
でも「J-POP」という巨大な袋のなかに、こういうものが普通に入っている時代というのは、悪くないと思う。ポストロックもフリージャズもクラシックも全部ひっくるめて「J-POP」でいい。むしろそっちのほうがジャンルという概念のあり方として正直だ。
野口文は今後、どこへ行くのだろうか?「botto」「藤子」「死んでも一生」と作品ごとにスケールが上がり続けている。しかも全部、部屋のなかから出てきている。
ベッドルームミュージックという音楽ジャンルについての言葉があるが、その「ジャンル」のひとつの到達点である「J-POP」を、ぜひお聴きください。
※ ベッドルームミュージック(Bedroom Music / Bedroom Pop)とは、スタジオや生バンドに頼らず、自室(寝室)のパソコンや簡易機材だけで制作・完結させる音楽スタイルおよびその総称。低予算・少人数・自主制作という出自を持ちながら、Billy Eilishなどの登場以降、世界的なメインストリームにも影響を与えるジャンルとして認知されている。