Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー vol.7

学校法人呉学園 日本写真芸術専門学校には、180日間でアジアを巡る海外フィールドワークを実施する、世界で唯一のカリキュラムを持つ「フォトフィールドワークゼミ」があります。

「少数民族」「貧困」「近代都市」「ポートレート」「アジアの子供たち」「壮大な自然」、、

《Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー》では、多様な文化があふれるアジアの国々で、それぞれのテーマを持って旅をしてきた卒業生に、思い出に残るエピソードをお伺いし紹介していきます。

神のかたち

PFWゼミ4期生 高橋 知佳

インドで、とあるヒンディーが言った。

「神は唯一のもの。たくさんはいない」

多神教を追って聖地を巡っていた私にとって、これは衝撃的な一言だった。

「ヒンドゥーにはたくさんの神がいるでしょう? シヴァとか、カーリーとか」
「それは神の、とある部分をピックアップしたものに過ぎない。もとは唯一無二のThe GODだ」

つまりはクッキーのようなものらしい。

日本人の八百万思想的には、型抜きされたクッキーのひとつひとつが個性的で独立した神々だけれども、彼の見解からすると、神はあくまで小麦粉。クッキーは小麦粉から作られたからこそすばらしいものなのだ。

「わ、このクッキーおいしい!」
と思うか、
「わ、このクッキーおいしい! さすが小麦粉料理!」
と思うかの違いは、些細だけれども決定的に違うものだ。
こういう個人の宗教観ディティールにまで触れられるのだから、旅というのは面白い。

そして次なる国ネパールで、私は少女のかたちに抜かれた神と出会うこととなる。

2009年9月、首都カトマンズ。

普段はヒンドゥーとチベット仏教が半々に棲み分けているようなこの都市が、インドラ・ジャトラというインドラ神を讃える大祭の期間に入り、ヒンドゥー一色に染まっていた。

いつもは鳩ばかりのダルバール広場も、

鳩も逃げ出すほどの大騒ぎ。

赤い額化粧を施した少女が、パレードのメーンとして山車へと乗り込んでいる。
彼女こそが「クマリ」。
女神ドゥルガーを体内に宿す生き神として、崇められている少女である。

多くは三歳の頃に選定され、親元から離れてダルバール広場にある専用の館で暮らしている。
初潮によって次のクマリへと女神が移るまで、教育も受けられず、女神らしい粛々とした暮らしを求められる。それゆえ退任後、社会にうまく適応できないことが問題視されてもいるらしい。
地に足をつけることさえ不浄として許されないので、山車に乗り込む際も男たちに担がれていた。

それにしても担ぎ役の男たちは、こんなにも大勢が一緒に乗り込む必要はあるのか。甚だ疑問である。

ちょっと良い顔まですな!
しかしこういう抜け感が、ヒンドゥーならではの味でもある。

祭りの熱狂は夜まで続き、神像の口からは酒が出るわ、お供え物の米が撒かれるわ、演舞が随所で繰り広げられるわ、ダルバール広場は大盛況。
鳩も戻るに戻れず、この夜は違う寝床を見つけたことであろう。

クマリは無事、巡行を終えて広場へと帰参。
山車はふたつ。
引退するクマリと新クマリのものだと、担ぎ役の男たちが教えてくれた。

彼らは親切にも私のことまで担ぎ上げ、クマリたちの目の前へと連れて行ってくれた。(さっきは良い顔すな!とか思ってごめんよ)

先代クマリさまは、ゴツいカメラを持った女が突然目の前に運ばれてきたのが面白かったのか、声を立てて笑っていた。
周囲にも話しかけながら終始リラックスした様子で、新クマリさまが幼年らしからぬ静かさで人々を見据えていたのとは、実に対照的だった。

「ああ、女神は本当にもう移ったんだな」
自然とそんな考えが浮かびながら、嗤う少女と成る少女、ふたりのこの先が満ち足りたものであるようにと、私は初めて女神ドゥルガーに祈ったのだった。

あとになって、クマリの哄笑を受けるのは「死、あるいは重病」の前触れとされているらしいことを知って震えたが、先代さまだったおかげか、13年経った今でもこうして無事にあの夜を想起することができている。

そして13年のうちにあの幼かったクマリさまも引退し、ドゥルガーは私の知らない少女の内へと棲みかを替えたようだ。
かつては同じひとりの娘として、生き神という数奇な宿命を負った少女たちのその後ばかりが気がかりだったけれど、今となっては娘をクマリとして送り出した両親の気持ちの方が気にかかっている。

言葉も達者になってきたかわいい盛りに、引き離されてしまうその気持ち。

もちろんヒンディーにとっては光栄なことなのかもしれない。娘を連れて雲隠れしたなどという話は聞かないのだから。
でも光栄だからといって、手放しで喜べるわけでもないだろう。

私には人権問題を唱えるつもりは毛頭ない。
それでも、生身の少女を型に神のかたちを抜くことについて、それに伴う人々の感情について、自分なりの想いは馳せ続けていなければならないと思っている。
表現者として、
自分もまた娘を持つ親として。

 

前回の山本さんに続き、2回に渡り4期生のネパールの旅をお届けした。
同じ年の同じ国でも、恋をする少女と出会う旅もあれば、神に成る少女と出会う旅もある。
「自分の2009年は、果たしてどんな年だったろうか」と、振り返ってみるひとつのきっかけになれたらば幸いだ。

クマリさまはじめFWの旅での出会いは度々思い返しては懐かしく感じていたのだが、コロナ禍以降、そこに少しの翳りが付きまとうようになった。
「あの国で出会ったあの人は、果たして今も無事でいるのだろうか」

唯一無二のすばらしい人生の数々が、急に「死者」というただの数字の束となって報じられていく日々。
クマリさまに嗤ってもらうまでもない。生きている限り誰もが死の前段階で、知っているあの人もとっくに数字の束の中にいたかもしれないし、明日は自分がそちら側に行く番かもしれない。そんな現実が、まざまざ突きつけられている。

数字になってしまった誰かとはもう旅をしても出会うことはないし、今までに出会った人々が無事かどうか、正確に確かめる術もない。
だからこそ私は、抗うように想像する。
あの人たちは今どんな幸せを得ているのだろうか。
あの街には今どんな人たちが暮らしているのだろうか。
数字なんかじゃない、同じ時代にあるたくさんの人生について
考える、考える。

心は無形で、自由なのだから。

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