【写真学校教師のひとりごと】vol.28瀬古妙子

素直というか、ストレートな人である。
そしてこの瀬古は明るくて決断力があり、スパッとしていて気持ちのいいヤツだ。

彼女の実家はおもちゃ屋をやっていた。

そういった店というものは置いてある物、かの女の実家の場合、おもちゃとその店の人から成り立っていることを、そこで育った瀬古は当然のこととして理解していた。

写真の主題も近くのいろいろな店を被写体にした。

金魚屋、肉屋、古着屋,レストラン、カフェ、花屋、酒屋、八百屋、豆腐屋などだ。

そんなことからこの「Shop and Master」はごく自然にスタートした。

自分のまわりにある、かの女にとっての日常的な風景を撮ったのだ。

学生の写真を見て、いろいろ注意やアドバイスなど細かく口を出さなければいけない者もそこそこいたが、瀬古にはそういうことをほとんど必要としなかった。カンがいいのだ。

卒業後すぐにニコンでの展示を決めた。

学校の春休みとか夏休みの時期には、希望する学生を毎回2、3人、わたしのアメリカでの撮影に1ヶ月間ぐらい連れて行った。それぞれわたしの荷物持ち兼アシスタントとして参加させたのだ。
この瀬古も何回かいっしょに行った。

毎回アリゾナ州にある知り合いのアメリカ先住民のナバホのところを訪ね、滞在するのが習慣になっていた。お世話になったナバホの人たちとは最後にカレーパーティをやるのが大きな楽しみのひとつになっていた。このカレーが不評だったことはない。カレーはナバホの人たちの好みにピタリと合ったようだ。

実家が商売をやっていた瀬古がこれを見逃すはずはない。

アリゾナで、カレー屋をやれないだろうか。

ナバホの知り合いの有力者が話にのってきた。

彼はホテルやハンバーガー屋やガソリンスタンドをやっている。

とりあえずかれの店で手伝いをして、言葉や習慣を身につけ、異国の地に慣れることだ。そうすればさまざまなトラブルから身を守る術を身につけることができる。

あとはかの女の力量とがんばり次第だ。

アメリカインディアン・リザベーションでインド料理の店、カレー屋は案外ヒットするに違いない。ナバホの味覚にもあっているようだし。

昔インドと間違えてここアメリカ大陸にヨーロッパから人がやってきて、アメリカ合衆国ができたことはもちろん彼らナバホは知っている。インドに対して悪い感情はない。

また、彼らナバホはインディアンと言われることもまったく嫌がっていない。

そのインドの食べ物ということで、そこそこの注目を寄せるはずだ。話題にもなるだろう。

それが突如おきたあの9.11事件で、瀬古の計画はすべてぶっ飛んでしまった。
あっという間に。

現在は基地内で仕事をしているのだから、基地の写真でも撮ったらどうだろうか?

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