外部、その現れと拡張へーBASHOW「表現の大陸」【写真展レポート】

2026 年 1 月 10 日から 25 日を会期とし、ギャラリー 工房親にて BASHOW による写真展『表現の大陸』が開催された。本展は BASHOW の初となる写真集『表現の大陸』の発表に伴うものである。

『表現の大陸』と題される本作は、作者自身のフェノメナルな体験に端を発する。その体験とは、コロナ禍の折、自身の持病から感染が現実的な死に繋がるという恐怖を抱える中、かつて自身が撮影した湖の写真に、写り込んでいない筈の湖底を見たというものである。
この体験の分析への模索から、作者は自身が見たものを<外部>への知覚であると至り、その<外部>に対する拡がりへの感覚が伴うことから、”表現の大陸”と名付けた。
同タイトルの写真集は<外部>の気配を生じつつも、その大陸を探し求める撮影者の紀行のように見ることができる。本展においても鑑賞はその紀行を眺める様相を呈するが、作者は同時に鑑賞者にその大陸の存在の認識へと向かわせようとすることを狙いとしている。また、そのようなフェノメナルな認識は引き裂かれによって獲得されると作者は語る。

本展はさまざまな方法での展示を組み合わせており、それが鑑賞者に対して、揺さ振りを生んでいる。

本展の構成は、天井から吊るされた雪の日の光景から始まる。
冒頭に置かれたこの写真は、2020 年に東京に降った季節外れの雪の日に撮られたものであり、本作の始まりとなる写真である。この写真はこの時に起きた、本人のマリンスノーの幻視の記録であり、この写真から始まることで、本展が大陸への紀行のシークエンスであることが示される。

続く多重露光によって不穏さが漂う Tokyo2020 のモニュメントの写真は額装で提示され、その次の壁面にはスライドが映し出される。一定のリズムで進んでいくスライドは、プリントとは違う膜掛かった質感を伴いながら、日々をめぐるように流れる。

スライドを見終えると、続く壁には巨大な背景を背負ったかのように一際小さい写真が現れ、鑑賞者を次第に没入へ促す。

メインとなる壁には、抽象と具象、様々なサイズと額装の有無、さらにランダムなレイアウトが施され、平面である壁面に奥行きが感受され、空間的な感覚が誘発される。

続いて提示されるのは、実物大かそれ以上に拡大された写真が壁面に沿って、くの字型に張り巡らされ、先程の空間への感覚が自身を空間の中へ位置させる感覚に取って代わる。

見上げた目線から続く写真には、象徴的に配されたフラッグがあり、あたかもどこかの地点への到達かのように現れる。

進みつつ、視線を自然なアイレベルに戻すと、今度は剥き出しのプリントであり、海を行く船の穂先からの眺めにも見えるこの写真は膨らみを持たせながら展示されている。さながら、風を受ける船の帆のように。
つまり、先程の巨大な写真からこの壁に至るまでの三つの壁面は大陸へ向かう船旅のメタファーとして連動している。

そして最後の壁では、カラカラという映写機の機械音を傍らに、潜望鏡からの眺めのような写真が映し出されている。視覚の先には向かうべき目的地かのように、朧げに水に浮かぶ島が映されている。鳴り響く音は旅の終着をつげるかのように聞こえ、同じ写真がサイクルする映像は向かう先が一つであるかのような、外部としての表現の大陸の認識への共有を確信しているかのように繰り返される。
或いは、古めかしい映写機の音は、撮影者の記憶へのアクセスを魔術的に誘う。かつて撮影者が経験した<外部>の遭遇への時へと。

以上のように、本展にちりばめられた鑑賞に揺らぎを与える様々な仕掛けが、見る者を次第にその旅の中へ、つまり傍観者から同じくこの大陸への旅人へと変換していく。

 

本作において BASHOW から印象的に語られる、外部と引き裂かれ。
鑑賞に与えられた揺さぶりは魔術的に作用し、平面である写真を立体的に鑑賞させることで、平面と立体という極の間に引き裂かれを起こそうとする。そして本作に用意されているもう一つの”引き裂かれ”は、感覚的に表される写真が、そのように変換された現実との間に距離を生み、現実世界と感覚世界という両極としての位置を発生させることで、その両極の間に生じる引き裂かれである。
これらの引き裂かれから、フェノメナルに立ち上がる不可視の外部、『表現の大陸』への感受を呼ぼうとしている。

外部とは内部を構造するものである。そして、構造されたものは現前するが、当の外部は不可視である。内部にいる限り、外部は不可視なのである。しかし同時に、この不可視の外部は内部から規定されるほかない。何故なら、外部とは内部を得ることで外部たり得るからである。BASHOW にとって、現実を変換することで表現は現れる。この表現を構造する外部が『表現の大陸』なのであり、鑑賞者がこの外部を見るためには、構造された内部に位置しなければならない。
“引き裂かれ”が私たちにもたらすのは、その場に無いか、或いは潜在しているものに対しての感覚を開き、知覚へと導く作用である。つまりこの展示の場にあった、それぞれの引き裂かれは連動的に作用し、鑑賞者を旅の同行者として内部へと誘い、表現された写真の発生の端緒となった構造する外部への感覚を開かせるものとしてあった。

SNS による画像文化の加速的な普及は、写真による表現の応酬によって支えられ、 SNS 界隈での特定の写真らしさが形作られるようになった。つまり、”いいね”の獲得を目的とされる写真に独特の”らしさ”が培われていった。そしてインスタグラマーは、この特定の写真らしさを演じるというシアトリカルな様相を持つようになった。SNS 上での表現の様式は”いいね”を構造する外部として有している。換言すれば、SNS は世界の中に生まれた人工的な世界であり、そこに射程をもつ「いいね写真」は人工的な世界を<外部>としている。
一方 BASHOW の作品は、コロナ禍という現実に始原を持ち、その当の現実を変換することで得られる。インスタグラムが人工的な世界を<外部>として持つとするならば、 BASHOW の作品は人工をも含む、謂わば自然としての現実を<外部>として持つといえる。

まとめると、BASHOW が見つめる『表現の大陸』とは、あらゆる表現を構造する<外部>であり、表現を生み出す側だけにあるものではなく、表現を見る側の外部にも等しく在るものである。何故なら、表現は見るものへと発せられるものであるからである。周知の通り、表現は日々生み出されており、日々我々に見られる。この表現を構造する<外部>である『表現の大陸』は、表し手と受け手によって相互に日々持続的に拡張している。そしてこの拡張は何らかの自然的な条件が要所となる。つまり、本展は表象のリプレゼンテーションを目する描きを要点とする、ただ孤独な所業ではなく、相互に獲得する共有と拡張のコミュニケーションの場であったといえる。

目に見えない外部という思考は、かつて一回性による真実からの派生として考えられていた(或いはシュールレアリスムにみるような)日常の背後にある日常への志向のようでもある。しかしながら、BASHOW の写真が持つ自由な創造性はむしろデジタル写真が為しつつある写真のマルティプル(複数性)への回帰を思わせる。このようにある種の新旧の志向を持ち合わせる作家の次回作に注目が期待される。

馬場智行

以下は会期中に行われた【表現の大陸ギャラリートーク】馬場智行×BASHOW「写真と不可視の領域」の様子です。

 

BASHOW / バショウ
1995 年生まれ 東京在住。
2018 年 法政大学社会学部卒業。2024 年 日本写真芸術専門学校夜間部卒業。
過去に撮影した一枚の写真から「見える世界」と「見えない世界」が交差する感覚を得た経験を起点に、写真を通して世界の「外側」に触れる表現を探求している。
多重露光や現像操作など、あえて制御を外す手法を用いることで、内部から外部へ抜け出すようなイメージの出現を試みる。
主な受賞に「日本写真芸術専門学校 2024 卒業作品展」小髙美穂賞、「TOKYO FRONTLINE PHOTO AWARD 2024」準グランプリなど。
展示歴に、個展「表現の大陸」(2026,東京)「SPACE ON PAPER」(2022,中国・廈門)、「第 27 回 日本の美術-全国選抜作家展」上野の森美術館(2022,東京)などがある。 また 2025 年に写真集『表現の大陸』(G/P+abp)を刊行。


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