【写真学校教師のひとりごと】vol.33 渡邊遊可について
わたし菊池東太は写真家であると同時に、写真学校の教員でもあった。
そのわたしの目の前を通り過ぎていった若手写真家のタマゴやヒナたちをとりあげて、ここで紹介してみたい。その人たちはわたしの担当するゼミの所属であったり、別のゼミであったり、また学校も別の学校であったりとさまざまである。
これを読んでいる写真を学ぶ学生も作品制作に励んでいるだろうが、時代は違えど彼らの作品や制作に向かう姿が少しでも参考になれば幸いだ。
普通のコースを修了し、研究生としてわたしの前に現れた。
勘がいい。この勘というヤツは訓練によって発生するものではない。持って生まれてくるものだ。そしてこの勘をまったく持ちあわせていないものは、わたしの考えでは写真を撮るということにあまり向いていないと思う。この勘と感性の感、つまり感受性を身につけているならば、それらを磨くことだ。
あとは知性だ。数多くの本を読み、幅広くいろいろな人と付き合い、様々な経験をつんで自分をより豊かにすることだと思う。いろいろな人の生き様を見て知ることが一番。渡辺遊可はそのようになる可能性を備えた一人だ。しかも自分というものをちゃんと保持しておきながら、ひとの世界に入っていける人だし。
いまは結婚し、親の出身地である宮城県仙台でスタジオを持ち、相方と一緒に物撮りや様々な家族の記念写真を撮りながら、子育てをし生計を営んでいる。相方も同じ学校の卒業生だ、写真家である。
かの女は研究生を終える直前にニコン・サロンで初の個展、「朝陽を知らない」(2012年2月)、その後も同じニコン・サロンで「Utopie」(2017年)をやっている。次の発表とその内容がかの女にとって、それなりに重要なポイントになるだろう。
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今までは写真家としての序章だ。これからが本番だ。人間として、写真家として人生のまっただ中にいる。
理解が難しい部分もあるが、かの女にはなかなか面白いと思われる部分がある。もっともっと撮ることだ。なかなか自分の思うこと、感じたことを他人に正確に理解してもらうということは至難の業である。沢山撮ることによって、なん度もなん度もいろいろな方法でやってみることで、自分でもわかってくるはずだ。
理解が難しいと言ったが、数多く幅広く撮ることによって、出来上がった写真もわかりやすくなってくると思う。つまり他人から見ても。こんな言い方をするのは、かの女の考え方、迷い方が非常に好感のもてるものだし、写真が可能性にみちあふれているように思えるからだ。
これからもっともっと面白くなる可能性がある。どんどん撮りまくって、発表して欲しい。最近かの女、渡邊遊可に、「写真で表したいことって、なんだろう」って聞いたことがある。
すると、「うーん……言葉にすると生き方、とかなのかなあ」、という返事がかえってきた。写真を撮る者に相応しい、実にピッタリくる答えだ。
自分というもの、自分の考えかたを映像化しよう、と巷の写真家予備軍たちは日夜苦闘しているのではないだろうか。撮るものは人間、自然、すべてだ。また、自分の思うことに一生懸命になって、必死にそれに取り組んでいるのを見せるのも、なにものにもかえがたい教育になるんじゃないのかな。愛する子供にとって。
菊池東太
1943年生まれ。出版社勤務の後、フリー。
著作
ヤタヘェ~ナバホインディアン保留地から(佼成出版社)
ジェロニモ追跡(草思社)
大地とともに(小峰書店)
パウワウ アメリカインディアンの世界(新潮社)
二千日回峰行(佼成出版社)
ほか
個展
1981年 砂漠の人びと (ミノルタフォトスペース)
1987年 二千日回峰行 (そごうデパート)
1994年 木造モルタル二階建て (コニカプラザ)
1995年 アメリカンウエスト~ミシシッピの西 (コニカプラザ)
1997年 ヤタヘェ 北米最大の先住民、ナバホの20年 (コニカプラザ)
2004年 足尾 (ニコンサロン)
2004年 DESERTSCAPE (コニカミノルタ)
2006年 WATERSCAPE (コニカミノルタ)
2009年 白亜紀の海 (ニコンサロン)
2013年 DESERTSCAPE-2 (コニカミノルタ)
2013年 白亜紀の海2 (ニコンサロン)
2015年 日系アメリカ人強制収容所 (ニコンサロン)
ほか
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