KYOTOGRAPHIEレポート 作家インタビュー:映里[榮榮&映里(ロンロン&インリ)]
「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」は、2011年にスタートした京都で開催される国際的な写真祭。毎年、京都が華やぐ春に開催されてきたが、2021年はコロナの影響で開催が遅れ、9月18日から10月17日の開催となった。写真祭は、主催者が直接企画するメインプログラムの展覧会と、若手写真家やキュレーターを応援する公募制のKG+で構成され、多くの写真家たちの展覧会が開催される。
2021年は、現講師の馬場智行先生と、OGの映里(インリ)さんとパートナーの榮榮(ロンロン)さんとのユニットで、中国の写真界をリードする存在である榮榮&映里が参加していた。
馬場先生は、KG+のプログラムで、「孤独の左目」という自身の弱った目から見える光景をモチーフにした作品を、京都駅屋上の広場を使って展開していた。ガラスの壁面にかけられた大型のプリントと、段ボールの箱に入れられたプリントを床に大量に並べたユニークな展示をしていた。
一方、榮榮&映里は、メインプログラムの一環として、京都市東部、平安神宮や国立近代美術館に隣接する岡崎地区にある琵琶湖疏水記念館の屋外スペースを使って、「即非京都」という大規模な作品を展開していた。幸いにも、映里さんが現地で作品を解説してくださったのでここでご紹介したい。
ちなみに、作品は屋外に設置された大型のプリントと円形の壁面での展示、蹴上インクラインを操作していたドラム工場内に展開した作品群と、それら二つをつなぐ通路に設置された作品の三部構成になっている。コロナ禍での進行だったので、会場が決まるのも遅れ、準備に半年もかけられなかったとのことだったが、疏水記念館という環境を上手に生かした展示になっていた。
ー 会場で一際目立つ大型作品はどのような作品ですか?
私たちはここ5、6年、大判カメラを使い京都の山の中で台風などの被害を受け荒廃した森を撮ってきました。「槁木死灰」(こうぼくしかい)という荘子の言葉があります。日本では枯れ果てた木のように肉体も心も意欲や活力を失い、一点の生気もないような状態を意味しますが、中国では「槁木」という言葉には更に深い意味があり、死に絶えたような存在も、自然界においてはその中に新しい命を宿し、その命が次に爆発的な生命を生み出してゆく、再生と生命の環の象徴としてもあり、その意味で私たちは槁木を撮ってきました。京都は千年続いた都であり文化的遺産や景観が重層的に残されている貴重な場所です。この瞬間も刻々と続いてゆく未来が石からが生まれてくるような意識、生命の環を数百年前に作られた庭園から感じることもあり、私たちは枯山水を時空を越えた存在、宇宙の象徴ととらえるようになりました。生命としての「槁木」と超越した時空の象徴としての枯山水を合わせた一枚です。
ー 外側がモノクロで、内側がカラーという構成になってるこの円形の作品について教えてください。
この展覧会は外と内、そしてそれを結ぶ世界で構成されています。ここは風が吹き抜ける骨組みの外側にモノクロの槁木、内側に水を連想するカラーの生活写真があります。お気づきの通りこの空間で一番印象深いのは疏水を背景としたこの景観だと思います。実際の水の力を感じることで作品に流れが生まれてくる。このサークルは小さい世界ですが、回遊してもらうことでその先の展示とのつながりが生まれます。今回の展示では表でも裏でもない、重層的に、また多様に存在している不明確な世界の境界を自覚する、視点を変える方法が実験的に組み込まれています。例えばここに展示したカラーの写真はそもそもこれまで作品と思えていなかった写真だったのですが、ある日突然、自分たちこそ写真なんだと声を上げはじめた。その声に気づいた時すごく戸惑いましたが結果このような形で作品となった。自分たちが排除してきたものも含め、そのすべてがあるからこそやっと「写真」として成り立っているのだとあらためて気づかされたのです。写真の多様性を受け入れていたつもりでいたけれど、気づかぬうちに視野を狭め自らの世界を小さくしてしまっていた。そもそも二人で活動することはそのような狭い世界から抜け出す為の方法だったのに。お互いが近くなりすぎていたのかもしれません。この展示を通して自分たちと写真の関係を再確認することができました。
ー 何故そうした考えにいたったのですか?
そもそも「即非京都」というシリーズ自体、具体的に何かを表す為のものではないのです。何も表さないということを表すこと。つまり写真にとって、初心に立ち返る為の行為というか、そのような考えにつながっていきました。自分たちがあるから写真が生まれるというより、写真があるから自分たちが生かされている。というような禅的な考えは、京都という文化的都市の影響もありますが、考えが一転したきっかけは、京都盆地の地下にある膨大な量の地下水の存在を知ったことです。「京都」という記号が人間中心の世界から地下水の存在、約500万年前くらいの時間から現在に逆行して感じられたときに、ああ、写真もそうなんだと思ったのです。平安遷都以前にこの地に住みついていた人たちは水を司っていたと言われていて、脈々と人を生かしてきたその水により自分たちの中で色々な世界がつながった。自分たちも写真に生かされてきたのに、見えない世界をないものと捉え狭い世界を構築したつもりで、でも本当はもっと大きな世界とのつながりを受け入れて行くことが必要だったことにあらためて気づいた。新たに気づいたと言うよりは、過去に遡って気づいたと言う感じです。つまりずっとつながっていた。写真の偉大さは何時も初心に返らせてくれることですね。