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私たちを変えた、180日の写真旅 – フォトフィールドワークゼミ帰国報告会レポ

インド、タイ、ベトナム、カンボジア、香港など数ヶ国を180日間(!)かけて旅しながら撮影する、日本写真芸術専門学校写真科「フォトフィールドワークゼミ」。長旅から帰還した3年生による帰国報告会が10月31日(木)、開催された。

帰国報告会・会場の様子

登壇者は上村一翔(うえむらかずと)さん、小松瑛(こまつあきら)さん、白簱有希乃(しらはたゆきの)さん、吉田彩夏(よしだあやか)さんの4名。彼らは共に旅をくぐり抜けた戦友でありながら、しかしそのカメラが捉えた景色は全く異なっていた。旅した時間と空間が膨大なだけに、個性の振り幅もまた大きかった。同じカメラという道具を使いながら、同じ旅程を歩みながら、これほどまでに多様な作品が生み出される。写真という表現の懐の深さに改めて驚かされた。

4人の登壇学生と講師

白簱有希乃さん・登壇中の様子

オープニングでは異国情緒あふれる音楽に乗せて、182日間の旅の思い出がスライド上映された。人生にまたとないであろう非日常的な “学び” の中で、ときに苦悩を舐めながらも輝く彼らの生命力が、スクリーンからこぼれ落ちていた。

5分間ほどのオープニング映像が終わると、4人の主人公たちは拍手に迎えられながら登壇した。代表挨拶を託された小松瑛さんが、緊張した面持ちでマイクを握る。100人超の観衆を前に恐る恐る口を開こうとする――ところへ、「待ってました、小松!」の野太いヤジが飛び、会場の空気がほころぶ。飾り気のない言葉で誠実に挨拶をやり遂げた小松さんに、客席からは温かい拍手が贈られる。

コロナ禍を挟んでじつに4年振りの “復活” を遂げた帰国報告会は、そうして幕を開けた。

文/編集部 佐藤舜

①上村一翔さん – 「オオヅルの存在感と出会いの衝撃には手が震えました」

撮影/上村一翔

1人目の登壇者は、上村一翔さん。大好きな鳥たちを、各国の国立公園などで撮影した。旅の前半2ヵ月は鳥たちの「動き」に着目して撮影し、後半3ヵ月はそれぞれの鳥の性格や個性など内面的なものを表現することをテーマにした。

鳥、というコントロールできない対象を写すだけに、撮影の苦労は尽きなかった。撮りたい鳥が見つからないときは時間を変える、場所を変えるなど、その足と体力を駆使して、愛する鳥たちを追いかけ続けた182日間だった。その甲斐あって、香港とインドでは絶滅危惧種の鳥に出会うことも叶った。

「特に、オオヅルの存在感と出会いの衝撃には手が震えました。あまりの迫力に、無意識に茂みに隠れてしまったほどでした」

撮影/上村一翔

一羽一羽との出会いを大切にし、「その鳥たちを実際に見てみたい」と思ってもらえるような作品を撮ることが目標だった。単体の魅力はもちろん、群れの迫力を写すことにもこだわった。

上村さんの作品は、被写体である鳥が中央に置かれる構図が多い。これは意図的だったのか? との質問が飛ぶと上村さんは「きれいだと感じたものを写真に残したい一心だったので、無意識に真ん中に捉えていました」と答え、写真と鳥に対するピュアな一面をのぞかせた。

撮影/上村一翔

会場は暗転し、鳥たちのさえずりがBGMに流れる中、上村さんの作品がスライド上映された。ボウガンのような鋭さで獲物に急下降する鳥、神々しく翼を開きながらカメラを睨む鳥、家に帰りついた恋人を迎え入れるような鳥、鬱蒼としたジャングルの中を颯爽と滑空する鳥……。

客席は異国の夜の森のように静まり返り、上村さんの作品世界に魅了されていた。

撮影/上村一翔

撮影/上村一翔

②小松瑛さん – 「テーマはなかった。ただ人と街に飲まれることだけを考えた」

撮影/小松瑛

「私には具体的なテーマはなく、人と手法だけが先行した撮影旅行でした」

そう謙虚に語るのは、2人目の登壇者である小松瑛さんだ。ただ出発前に講師に言われた「人と街に飲まれて来い」という言葉だけは、旅のあいだ常に肝に銘じていたという。想像より発展していた街もあれば、想像を超えた貧困に圧倒されることもあった。

その場の空気を表現することを大切にしたが、しかし旅の前半はいま一歩 “人と街” に踏み込み切れずにいた感覚があった。

そんな小松さんを変えてくれたのは、インドだった。

撮影/小松瑛

自分から踏む込むまでもなく、周りのほうから自分に詰め寄ってくる。そんなエネルギーが、インドという国にはあった。人が苦手、と自覚する小松さんにとっては苦しい環境だったが、情報がめまぐるしく交錯する世界にいざ飛び込んでみると、身体が勝手に動きだしていたという。

「現地の人たちと同じ空間を共にしたことが、自分にとって大きな経験になりました」

小松さんが写す人々の表情は、決して明るくない。子どもたちは不機嫌そうにカメラを睨み、タンクトップ姿の労働者は怪訝そうに顔をしかめ、ストリートサッカーに興じる子どもたちでさえ、その表情はどこか物憂げである。笑顔という虚飾でごまかさないむき出しの生きざまが、そこには写っている。

撮影/小松瑛

モノクロ表現を選んだのは、新しい手法にチャレンジしたいとの思いからだった。カラー写真が一般的な世の中に生まれ育った小松さんにとって、モノクロというクラシックな表現方法はかえって新鮮で、魅力的に感じられた。もともとスナップ写真を始めたのも、それまでとは違った対象の撮影に挑戦してみたいからだった。 “人と街” に限らず、未知なるすべての物事に飲まれることを小松さんは求めているのかもしれない。

旅の中で特に印象に残ったのは、インドのバラナシで出会ったおじさんだったと言う。

不思議なことにそのおじさんは、小松さんにカメラを向けられても一切反応せず、気にすら留めていない様子だった。日本にいたら、まずそんな人間にお目にかかることはない。

「見られる」ことは、私たちにとって自明のことになっている。ファッションや髪やメイクに気をつかう、誰かからの評価や承認に一喜一憂する、格好がつく・つかない、メンツが立つ・立たない、そんなことに戦々恐々としながら日々を暮らす。そもそも写真という表現だって、誰かに作品を「見られる」ことを前提としている。だからこそ、カメラに一切関心を示さない “バラナシのおじさん” は、大きなカルチャーショックだったのかもしれない。

撮影/小松瑛

撮影/小松瑛

③白簱有希乃さん – 「国や環境が変わっても、バスケに全力で取り込む姿は変わらない」

撮影/白籏有希乃

白簱有希乃さんは、182日間の旅をバスケットボールの撮影に捧げた。

InstagramやFacebookでメッセージを送る、というじつに現代的なやり方で、各国のチームに取材を申し込んだ。旅する予定だった国のプロリーグの全チームにアタックしたが、返信してくれたのは1~2チームくらいだったという。せっかくアポは取れたものの、いざ現地に着いてみたら連絡が取れなくなってしまった、というパターンもあった。

撮影/白籏有希乃

しかし世知辛いことばかりではない。取材を引き受けてくれたチームの中には、白簱さんを温かく迎え入れてくれたところもあった。特にベトナムのバスケットボール協会の女の子とは親しくなり、毎日のようにご飯に行くほどの間柄になった。

試合の雰囲気が印象的だったのも、そのベトナムだった。

ベトナムのプロリーグでは、チーム間の実力差が小さい。そのためシーソーゲームになりやすく、選手たちが試合に懸ける想いもまた強くなるぶん、日本ではあり得ないような乱闘騒ぎに発展することも多い。実際に白簱さんも今回の旅の中で、乱闘によって4人も退場者が出た壮絶な試合に遭遇した。「格闘技」的な血なまぐさい一面を目の当たりにし、バスケというスポーツのさらなる深みに触れた。そして、このスポーツがますます好きになった。

撮影/白簱有希乃

撮影では「静と動」をテーマにしたと白簱さんは語る。

「空中戦での迫力のあるシーンや、日々の努力を感じさせる力強い筋肉の動きなどの『動』がある一方で、たった一点が試合の勝敗を左右する緊迫した、時間が止まったような『静』の瞬間にも注目しました」

フェイントを仕掛けるために身体の重心をずらす瞬間。ボールがまさに相手選手に奪われそうになる瞬間。ダンクシュートを決めようとする選手と阻もうとする選手が、一瞬の駆け引きの中でせめぎ合う瞬間。たしかにそこには「動」から「動」へとダイナミックにうねる試合の熱量が、そしてその狭間に一瞬穿たれるスリリングな「静」が捉えられていた。実際にプレイヤーやマネージャーとして長年バスケに関わり、こよなくバスケを愛する白簱さんだからこそ撮れた、迫力ある写真の目白押しだった。望遠レンズで選手に迫るだけでなく、撮影ポジションを変えて空間的広がりをもたせるなど、さまざまな撮影方法にも挑戦した。

撮影/白簱有希乃

プロリーグだけでなく、街中のストリートコートでの試合の撮影にも挑戦した。これについては、街中でバスケットコートを探してその場で声をかける、というプリミティブなやり方で撮影を申し込んだ。

ストリートコートの試合には、特有の盛り上がりがある一方で激しい揉めごとも多く、プロスポーツとは違う「熱さ」を感じた。商業的エンターテイメントではない、市井の人々の生きがいとしての、あるいは生きざまとしてのバスケの魅力を、白簱さんの写真は写していた。終始バスケ愛に満ちた帰国報告を、白簱さんはこう締めくくった。

「国や環境が変わってもバスケに全力で取り込む姿は変わらないと、旅を通じて知りました」

撮影/白簱有希乃

撮影/白簱有希乃

④吉田彩夏さん – 「旅を終えて、希望もなくはないのだと思えるようになった」

撮影/吉田彩夏

「ナマステ。吉田彩夏です」

ヒンドゥー教の宗教的印であるティクリ(眉間につける点)をつけ、すっかりインドに染まり切ったお茶目な第一声に、会場は心をつかまれた。

しかしその軽妙な一面とは裏腹に、語られ始めたエピソードは決して明るいものではなかった。

「18~20歳のときには、『こうなりたい』という自分の理想と現実の自分を比べて落ち込んでしまって、家から出られなくなったことがありました。私という人間のことなんて誰も好きになってくれないんじゃないかって、悩んでしまって。でもそんなとき、友人たちと食事に行くことがありました。色々話しているうちに、彼らも私と同じように寂しさや孤独を抱えていることを知って。一人じゃないんだ、と親しみを持てたし、その日から少しだけ生きやすくなりました」

そうして吉田さんは、自分と同じように孤独や不安を抱えている若者たちを撮りたい、と胸に決めた。

撮影/吉田彩夏

作品のスライド上映にあたって、吉田さんはBGMを流すことを拒んだ。音楽の効果によって、被写体の表情が変わって見えてしまうのが嫌だったからだ。

長く尾を引いていた夏が急速に冬支度を始めた10月の末日、暖房の音だけが単調に会場を埋め尽くす中、作品たちが黙々と上映されていく。何かを抱え、何かを思うような物憂げな少年少女たち。そこには貧困にあえぐ人も、戦火に苦しむ人もいない。とくだん変わった見た目でもないし、変わったバックグランドに身を置いているわけでもない。普通の若者たちの普通の悩み、あるいは普通すぎるがゆえの悩みが、その表情に滲んでいた。

撮影/吉田彩夏

吉田さんの被写体は、誰一人としてカメラを見返さない。これは被写体が何かを訴えかける印象にならないよう、意図的に目線を外して撮ったのだと言う。写真を見る人が被写体の姿を覗いている感覚になり、「こういう瞬間、自分にもあるな」と自分を投影できるような作品をつくりたかった。彼らは何も訴えず、ただそこにいる。伝える写真ではなく、伝わる写真。

無表情だけを写したのも、白い光にすべての色が含まれているように、喜怒哀楽すべての感情がそこに詰まっていると考えたからだ。

撮影にあたっては、被写体となる人に「ちゃんと出会う」ことを大切にした。日常的な人間関係のように自然に出会い、きちんと友達になってから撮影を申し込んだのだ。たとえばカフェで声をかけ、お寺に一緒に行ったり、ごはんを食べにいったりする。仲が深まったうえで撮影すれば、その関係性が写真にも反映されると考えた。

被写体には「どんなときに苦しい気持ちになる?」「そんなときにどう過ごしてる?」と訊き、孤独や不安に苛まれているときの様子を再現してもらった。「しんどいときはこのソファに座って窓の外を見ている」と聞けば、実際にそこに座ってもらい、いつも通りの姿勢で窓の外を見てもらった。

撮影/吉田彩夏

タイトルの『Empty Cradles』は「空っぽなゆりかご」という意味だ。空虚感のゆりかごの中にいる人を写したい、との思いでつけたものだが、いまとなっては変更したいと考えているという。このタイトルをつけたのは旅に出る前のことだ。今回の旅を経たことで自分が変わり、「空っぽなゆりかご」の中に囚われていた自分は過去のものになってしまった。

いまなお悩みは尽きないけれど、一緒に悩み、励ましてくれる仲間がいる。そして旅を通じて、世界のあちこちにも自分に似た「仲間」たちがいることを知った。希望もなくはないのだ、と思えるようになった。

撮影/吉田彩夏

撮影/吉田彩夏

4人の学生たちの作品は、東京都美術館で3月9日(日)~15日(土)に開催される日本写真芸術専門学校・卒業作品展に展示される。※展示詳細は後日HPに掲載。

 

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