
アート作品集の制作プロセスに密着。 “表現の結晶” としてのブックデザイン
作品集は、これまでの制作を記録し、活動を伝える役割を持っています。
ご自身で冊子を作って、展示会場に置いたり、クリエイティブ職の関係者に見てもらったりした経験がある方も多いでしょう。
私自身、展覧会で多くの作品集に触れてきましたが、特に印象に残っている一冊があります。それは、彫刻家・永井天陽(ながいそらや)さんの作品集『SOLAYA NAGAI 2013-2023』です。
本書は、書籍そのものをアーティストの表現としてデザインしている点が特徴的です。この本に出会い、作品集とは単に写真を掲載するものではなく、それ自体が作品性を帯びているのだと感じました。
この記事では、『SOLAYA NAGAI 2013-2023』の制作プロセスを紹介し、アーティストの作品性をどのように形にしたのかをお伝えします。
特に、デザインを手がけた三上悠里(みかみゆうり)さんのアイデアに焦点を当て、デザインが出来上がるまでの過程を具体的に解説します。
私は本書の制作に携わり、アーティストやデザイナーが試行錯誤する様子を間近で見てきました。
制作現場でのエピソードも紹介しますので、作品集を作ってみたい方やデザインに興味がある方にとって参考になれば幸いです。
書籍の制作者の紹介
永井天陽さん

永井天陽《metaraction #32 PL-1》|バービー、アクリル材|H:100 W:50 D:30 cm|2023年 (撮影:加藤健)
永井天陽さんは、アクリル材や剥製、既製品など様々な素材を使い、彫刻作品を制作しているアーティストです。埼玉県立近代美術館で個展を開催したり、第23回AGH指名コンペ部門「東京メトロ都市開発特別賞」を受賞したりと、高い評価を得ています。
上の写真《metaraction #32 PL-1》は、永井さんの代表作のひとつです。
バービーの存在が印象的ですが、人形はアクリル材でかたどられたマリア像に包まれています。
私は作品を見た時に、バービーと聖母マリアという異なる存在がなぜ合体しているのだろうと、疑問が浮かびました。
しかし、両者に「女性」という共通点を見出すと、2つの女性像が交錯するようにも感じられます。両者の違和感と類似性を同時に認識すると、既成概念が壊されていくような感覚になりました。

永井天陽《metaraction #31 P-1》|ぬいぐるみ、アクリル材|H:80 W:50 D:50 cm|2023年 (撮影:加藤健)
永井さんは、ものや出来事へのささやかな疑いをきっかけに、人が無意識に抱く感覚や常識、認識への問いをテーマとして、制作に取り組んでいます。
違和感を入り口に、日常に潜む認識にズレを起こすような作品は、鑑賞する人の意識に変化を与える独創性に満ちています。
三上悠里さん

八戸市美術館「美しいHUG!」展 グラフィックデザイン(Archival photo: Keta Tamamura)
三上悠里さんは、現代美術、演劇、教育、ソーシャルデザインなどの文化・芸術領域を中心に活躍しているデザイナーです。「日本タイポグラフィ年鑑 VI部門 審査員賞」や「グッドデザイン賞」を受賞するなど、近年ますます注目を集めています。
三上さんの活動のテーマは、観察と対話に基づく解釈の視覚化です。
そのコンセプトを体現するプロジェクトとして、八戸市美術館の「美しいHUG!」展が挙げられます。
本展は、美術館の理念である「出会いと学びのアートファーム」を実践する企画で、三上さんはアートディレクションとグラフィックデザインを担当されました。
デザインは、「さまざまな立場の人が作品を通じてハグをするように出会う場」という展覧会のビジョンに沿って制作されました。

八戸市美術館「美しいHUG!」展 グラフィックデザイン(Archival photo: Keta Tamamura)
上の写真のデザインで印象的なのは、美しいグラデーションです。
HUGしている腕のようでもあり、オーロラのような自然現象にも見えます。
ビジュアルコンセプトについて、三上さんは次のように書いています。
オーロラは、太陽風と地球の磁気が相互作用することで生じます。性質の異なる、相反するもの同士が接触することでそのはざまに生じるもの―― それもまたひとつのHUGの形と言えるかもしれません―― その現象自体には良いも悪いもなくただそこに生じるだけなのですが、人はそこに美しさを見出してしまう、そういうところがこの企画と重なるように思いました。
(引用元:八戸市美術館「美しいHUG!」展ホームページ ビジュアルコンセプト 三上 悠里)
展覧会のコンセプトとオーロラを重ね、美術館の理念を具現化するデザインは、三上さんの観察や対話から生まれたユニークな表現だと言えます。
三上さんの活動を通して、デザインは本質に迫る手法として機能するのだと感じました。
アーティストの表現としての作品集
ここからは、永井さんの作品集『SOLAYA NAGAI 2013-2023』について、詳しく紹介します。
まず、「アーティストの表現としての作品集」という観点から、特に注力したポイントを2つ解説します。
表紙のデザイン

『SOLAYA NAGAI 2013-2023』表紙、扉(画像提供:永井天陽)
表紙のデザインは、永井さんの作品の特性である、外側と内側の境界や関係性、認識のズレを体現しています。
表紙はオレンジに見えますが、実際には異なる色が使われています。右の写真を見ると分かりますが、地色は鮮やかなピンクです。蛍光イエローのカバーをかけることで、外側と内側の印象を変化させています。
表面的な見え方と本質の相違を鋭く捉える永井さんの視点が、見事に表現されたデザインです。
写真のレイアウト

『SOLAYA NAGAI 2013-2023』p.44、45 左右の写真のサイズや配置に変化をつけたデザイン(画像提供:永井天陽)
次に、中面のデザインを見てみましょう。
写真は、見開き全体に掲載されているページもあれば、サイズや位置に変化をつけているページもあります。

『SOLAYA NAGAI 2013-2023』p.8、9 展示風景を見開きで掲載したページ(画像提供:永井天陽)
永井さんは、作品集の制作にあたり、「写真を大きく載せたい」「作品のディテールが分かる写真も収録したい」と考えていました。
そこで、三上さんは以下のレイアウトを提案しました。
・展示の空間を見せる写真は、見開きを使って大きく掲載する
・作品全体の写真と、部分にフォーカスした写真を効果的に配置する
このように、強調したいポイントを作品ごとに整理することで、効果的なサイズや配置を検討できました。
ページをめくるたびに見せ方が変化するデザインは、永井さんの作品を鑑賞した時に認識が変わっていく様子にも重なります。
三上さんは、アーティストのコンセプトや作品の特性を観察し、数々のアイデアを提案しました。
細部までデザインを追求するプロセスを経て、「アーティストの表現としての作品集」が完成したのです。
作品集の制作プロセス
ここからは、作品集の制作プロセスを具体的にご紹介します。
半年以上に渡る制作期間のうち、特筆すべきポイントをピックアップしますので、書籍作りのヒントとして取り入れてみてくださいね。
1. 制作チームを結成
作品集の制作がスタートしたのは、埼玉県立近代美術館での永井さんの個展「アーティスト・プロジェクト#2.07 永井天陽 遠回りの近景」がきっかけでした。
2023年10月から3ヶ月間に渡って開催される本展には、新作や代表作が出品されることになりました。
そこで、永井さんは「これまでの10年間の活動を一望できる作品集を作りたい」と考えたそうです。
その後、制作のサポートとして私が加わり、さらに三上さんにお声がけしました。
こうして、作品の特性を活かした書籍を作るため、柔軟に表現を探るチーム体制が整いました。
2. 構成の作成

構成を作成している様子。作品をピックアップしながら、どのような順番で収録するかを熟考しました。
まずは、3人で永井さんのアトリエに集まり、書籍の構成を練りました。
作品集には次の要素を盛り込むため、どのような流れでページを展開するかを検討しました。
・埼玉県立近代美術館の個展の記録
・これまでに制作した作品の紹介
・批評のテキスト
本書は、永井さんの作品を展望する役割に加えて、批評のテキストを通してこれまでの活動を総括する役割も担っています。
そのため、「章立てを作り内容を明確にするのが良いのでは」「作品をシリーズごとにまとめて紹介するのはどうか」といった意見が出ました。
最終的には、以下の構成に決定しました。
・埼玉県立近代美術館の個展とこれまでの作品は、SECTIONで分けて掲載する
・作品は年代を追って紹介する
・批評テキストは、個展のページと付録に挿入する
実際に出来上がったのが、以下の写真のデザインです。

『SOLAYA NAGAI 2013-2023』SECTION 01 p.3 扉ページ(画像提供:永井天陽)

『SOLAYA NAGAI 2013-2023』SECTION 01 p.18、19 個展によせて書かれた批評文を掲載したページ(画像提供:永井天陽)

『SOLAYA NAGAI 2013-2023』SECTION 02 p.54、55 作品を紹介するページ(画像提供:永井天陽)
ページの流れを工夫したことで、伝えたい情報を整理しながらも、永井さんの活動の全体像が浮かび上がるような構成になりました。
また、当初は作品をシリーズごとに掲載しようと考えていましたが、年代を追って紹介する方法に変更しました。
永井さんの作品には通底しているテーマがあり、シリーズで分けずに様々な作品を辿っていくほうが、根幹にある思想を表現できるのではと考えたためです。
このように、初期の段階から、作品性をいかに書籍で再現するかに着目して、制作が進められました。
3. 書籍の仕様を決定
具体的なデザイン案を考える前に、三上さんから「印刷所に相談して、使用する紙やページ数などを決定しましょう」とアドバイスをもらいました。
また、表紙に蛍光色のカバーをかけるというアイデアを取り入れるため、予算内で実現できるかも確認する必要がありました。
印刷所への相談を経て、サイズは手に取りやすいA5変形サイズ、ページ数は72ページなど、具体的な仕様が決定。
蛍光イエローのカバーもつけられることになり、作品集のイメージが次第に固まっていきました。
4. レイアウトの制作
書籍の仕様が決まり、いよいよレイアウトの制作に入ります。
最初に考えた構成をもとに、72ページのレイアウトを確定します。
もっとも苦労したのは、写真を絞り込む作業でした。
永井さんは10年間に多数の作品を発表しているため、収録したい写真も必然的に多くなります。
そんな時、三上さんは「《metaraction》の写真が続いているので、他の作品を入れると変化が生まれるのでは」など、ページの流れを意識したアドバイスをしてくれました。
結果的に、作品を厳選したことで、永井さんのコンセプトが凝縮されたと感じます。
もうひとつ、レイアウトの工程で特筆したいのは、書籍全体のつながりを生み出すデザインです。
本書は、SECTION 01の個展の記録とSECTION 02の作品紹介で章が分かれています。
三上さんは、SECTIONごとに印象を変えながらも、全体の流れを保つデザインを考えました。
三上さんが着目したのは、埼玉県立近代美術館の個展会場の床面に使われた薄紫色です。
この色をテーマカラーとして使用し、2つの章につながりを持たせました。

『SOLAYA NAGAI 2013-2023』p.44、45 SECTION 02の背景色には本書のテーマカラーである薄紫を使用(画像提供:永井天陽)
一方で、SECTIONごとに背景色を使い分けて、異なる章に変わったと視覚的に認識できるようにしています。
SECTION 01は白、SECTION 02は薄紫にすることで、イメージが切り替わります。
このように、作品の見せ方やページの流れを工夫しながら、レイアウトの制作が進行しました。
5. デザインの完成・最終チェック
完成したデザインデータを入稿した後も、最後までブラッシュアップを重ねました。
印刷所から届いた色校正をもとに、最終的な調整を行います。
色校正とは、入稿したデータをもとに、実際に使用する用紙に試し印刷をしたものを指します。
今までの工程では、データや家庭用プリンターで印刷したもので確認していたので、色校正とは色味や写真の印象が異なると実感しました。
最終チェックでは、次の点を細かく見ていきました。
・テーマカラーとなる薄紫色の色味を吟味する
・写真でディテールを強調したい部分や、明るくしてほしい箇所を確認する
最終段階まで、細部をこだわり抜いたことで、完成度の高い作品集に仕上がったと感じます。
実際に、個展会場である埼玉県立近代美術館では作品集が完売となり、とても好評でした。
現在も展示やイベント、オンラインショップなどで販売しており、永井さんの活動を伝える本として、多くの方に手に取っていただいています。
まとめ
この記事では、『SOLAYA NAGAI 2013-2023』の制作プロセスに注目し、アーティストの表現としての作品集について解説しました。
具体的な工程の紹介では、実践のヒントになるよう、試行錯誤した部分をピックアップしました。
アーティストのコンセプトや作品性をどのようにデザインするのか、参考にしていただけたら幸いです。
私自身、制作の現場に携わり、第一線で活躍するアーティストとデザイナーの活動から、表現の本質を学びました。
柔軟な発想でアイデアを生み出し、オリジナリティに富んだご自身の表現を見つけてみてくださいね。
≫作品集『SOLAYA NAGAI 2013-2023』の詳細はこちら
永井天陽さん プロフィール
1991年埼玉県飯能市出身。
2016年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻彫刻コース修了。
アクリル材や剥製、既製品など様々な素材を用い、日常の中の微かな疑いから、感覚や認識への違和感をきっかけに彫刻制作を続けている。主な個展に2023年アーティスト・プロジェクト#2.07「遠回りの近景」埼玉県立近代美術館 、2018年「名無しのかたち」武蔵野美術大学 gFAL 、2017年「おおきなささやき」HARMAS GALLERY 、2014年八角堂プロジェクト PHASE2014「北に歩いて南へ向かう」 青森県立美術館 などがある。
三上悠里さん プロフィール
グラフィックデザイナー。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。株式会社電通テック、佐藤卓デザイン事務所(現TSDO)を経て独立。現代美術、演劇、教育などの文化・芸術領域を中心に、観察と対話に基づく解釈の視覚化を主題に活動中。主な仕事や活動として、八戸市美術館「美しいHUG!」、東京都・アーツカウンシル東京「だれもが文化でつながる国際会議2024」、武蔵野美術大学卒業制作展のデザイン、「憲法のきほん」主催など。2024年より武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科非常勤講師。
HP
文/浜田夏実
アートと文化のライター。武蔵野美術大学 造形学部 芸術文化学科卒業。行政の文化事業を担う組織でバックオフィス業務を担当した後、フリーランスとして独立。「東京芸術祭」の事務局スタッフや文化事業の広報、アーティストのサポートを行う。2024年にライターの活動をスタートし、アーティストへのインタビューや展覧会の取材などを行っている。
note
X
↓PicoN!アプリインストールはこちら