Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー vol.16
学校法人呉学園 日本写真芸術専門学校には、180日間でアジアを巡る海外フィールドワークを実施する、世界で唯一のカリキュラムを持つ「フォトフィールドワークゼミ」があります。
「少数民族」「貧困」「近代都市」「ポートレート」「アジアの子供たち」「壮大な自然」、、
《Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー》では、多様な文化があふれるアジアの国々で、それぞれのテーマを持って旅をしてきた卒業生に、思い出に残るエピソードを伺い、紹介していきます。
世界で最も高い街
PFWゼミ8期生 武苅 祥太
中国四川省西部カンゼ・チベット自治州に理塘(リタン)という街がある。
2013年3月から始まったフィールドワークの旅で、私はお寺や修行僧、そこで過ごす人々を撮影していた。
これまでの旅の中で様々な所を巡ってきたが、私は約3週間のフリー期間全てをこの地に絞って臨みたいと思った。
成都からバスで2日の所にあるこの街は、標高4000mの高原地帯にある。
世界で最も高い場所にある街の一つで、辿り着くまでに同じくらいの高さの山々を上り下りしながら向かう。
乗客はほぼ全てチベット民族。英語は通じず、バスの案内も理解できないため、自分が今どこにいるのかが分からない。終わりの見えない移動はまるで修行をしているようだった。
途中に休憩は何回かあるのだが、屋台みたいなものが数点あるのみで、売っているものも用途不明なものばかり。何か食べたくても注文のシステムが分からず、あれこれやっているうちに出発の時間が来てしまった。私はお腹を空かせながらひたすら目的地に到着することを願っていた。
6時間くらい経った頃だと思うが、何も食べていない旅行者を心配してくれたのか、隣に座っていたお爺さんや近くのおばさん達がバナナなどの果物をいくつか分けてくれた。
喜んでお礼を言いながら食べる私の様子に安心したのか、そこからはまわりのおじさんおばさん達がしきりに私に話しかけてくれ、私も魂のボディ・ランゲージで精一杯応えていくという楽しい時間を過ごすことができた。
そんなこんなでさらに6時間バスは走り続け、日も落ちる寸前に中継地点の街に到着。乗り換えのバスの時間が来るまでの一晩、近くの宿で一泊。そして翌日も約12時間ほどのバス移動を経てようやく理塘に到着した。
最初、4000mという標高に「富士山よりも高いんだ!」とワクワクはしゃいでいたのだが、酸素の薄さに参ってすぐにへばってしまった。ここでは階段の昇り降りや小走りするだけで息が切れてしまう。
それでも、歴史あるこの地を撮影することへの熱は冷めず、到着したその日から街を練り歩き、お寺というお寺を回り、撮影を続けた。
毎日毎日、ゼエゼエ息を切らしながらゴツいカメラを持って写真を撮って回っている日本人というのは珍しいだろう。さすがに顔を覚えられるもので、「おお、今日もきたのか!日本人!」と肩を叩かれたり、「マニ車について教えてやろう」と声を掛けてくれる人も現れてくる。
スマホの中にあるダライ・ラマの写真を毎回見せてくれた後、必ずお菓子をくれるお婆さん。いつも一緒の仲良し3人組のお爺さん達。とりわけ子供達が明るく好奇心旺盛で、撮影しながら歩いているといつも人懐っこく遊びに来た。
半年間の旅の中で、これほど明るく穏やかに人と接することができた街はなかった。
今でもここの人達の温かさを思い出すと気持ちがほっこりするくらい居心地が良く、思い出深い街だ。
一方で、気持ちの良いことばかりではない部分もある。
この街は1950年代の武力闘争の中心となり、空爆も受けた経験がある地だ。
役所のゲートには、分厚い鉄板と有刺鉄線をぐるぐる巻きにした障害物が設置してあったり、街中の壁面に「民族統一」「民族友愛」というような文言が異常に大きくペイントされていたり、他の都市ではありえないくらい重装備な警備員が立っていたりなど、闘争から半世紀たった今も続く、複雑な事情を読み取ることができた。
人の温かさと比べると違和感を覚える街並みも、私がここを印象深いと思った理由の一つだ。
フリー期間も終わりに近づき、この街を離れる時が来た。
行きつけの食堂で晩御飯を食べながら、そこの主人のおばさんに明日街を出ることを伝えた。すると「ちょっと待ってて」と奥に引っ込み、30Lくらいのビニール袋2つにバナナやみかんなどのフルーツをパンパンに詰めて私にくれた。
帰りのバスでは、今度は私が果物を分けて退屈なバス移動を潤わせてやろうと息巻いたのを覚えている。
今回、記事を書くにあたり色々と思い返していると、あの時に出会った人たちの「今」を想像している自分がいました。
あれから10年。あそこの人達は今何をしているのだろうか?
いつも妹の面倒を見ていた少しおませなお姉ちゃんはもう成人する頃か。
決め顔で撮影に応じてくれた陽気な老僧はまだご健在だろうか。
街と成都のアクセス、少しは良くなっただろうか?
本来ならば、気にするどころか知りもしない地と人々のことに思いを馳せることができるのは、この半年間の旅に出たからこそだと思います。
その旅を支えてくださった多くの方々に改めて感謝したいと思います。