【写真学校教師のひとりごと】vol.9 酔惰驢鵜について

わたし菊池東太は写真家であると同時に、写真学校の教員でもあった。
そのわたしの目の前を通り過ぎていった若手写真家のタマゴやヒナたちをとりあげて、ここで紹介してみたい。
その人たちはわたしの担当するゼミの所属であったり、別のゼミであったり、また学校も別の学校であったりとさまざまである。

これを読んでいる写真を学ぶ学生も作品制作に励んでいるだろうが、時代は違えど彼らの作品や制作に向かう姿が少しでも参考になれば幸いだ。

▼第8回


 

「酔惰驢鵜」

これは、ヨタロウと読む。グループ名である。
わたしの初年度の学生たち5人がグループとして現役の学生時代にニコンに応募した。そのときのグループ名だ。

いちおう酔惰驢鵜全員のフルネームをあげておく。
草間努、佐々木徹、鈴木康久、松岡和美、盛田滋。

このときは報道写真芸術科というのを担当していて、そこには2クラスあり、そのひとつがわたしのクラスだった。
報道写真芸術科の授業では、毎週毎週課題をだして学生たちの可能性を探りつつ、トレーニングをしていた。

夏休みの頃に「女の部屋」という課題をだした。
このころは今と違って、女の学生はせいぜい10人に1人か2人の時代だ。実際私のクラスでも5人中、女性は1人しかいなかった。
とにかく1人につき10枚、5人で50枚位(50人)で応募した。

1986年、かれらが2年生の11月だった。ニコンから選考をパスしたという連絡があったのは。
しかもわたしの授業中だった。
ニコンの担当者が気になるひと言をいった。
「おたくの学校の現役学生で、うちの選考をパスさせたのはこれが初めてです」
当時ニコン・サロンは業界1、2を競う難関だ。
このひと言でなぜかスイッチがはいった。
よし、これからはこのニコンをターゲットにして、学生に頑張ってもらおう!
授業は学生の発想力やアイデア力をチェックし、よりのばすためにある。
わたしの授業を受ける人たちの可能性や対応力をみるのは、なかなか楽しい作業だった。

1987年 「女の部屋」NikonSalon

 

大学時代に出版社でアルバイトをしていたら、高校時代にクラブ活動で写真をやっていたという理由で、カメラマンの手伝いをやらされのがきっかけで、人生の方向が大転換した。
そのとき撮った写真がたまたまその会社の月刊誌の表紙に使用された。
一介のアルバイトの撮った写真が表紙に使われたのは、わたしにとって新鮮な驚きだった。
写真というものはアルバイトが撮ったものでも、表紙になることがあるんだ!キャリアや学歴は関係がないんだ!
わたしのそれまでの価値観や常識を、真正面から思いっきりぶち壊してくれた。
このとき、学歴というものからわたしは開放された。
こういった経験をし、写真で生きていこうと決心し、写真の専門学校に行き、写真を一から勉強することにした。

わたしの行った写真学校にはその時代の超一流の写真家たちが、名を連ねていた。
自分の経験もあり、若い人たちは超一流の人と接してマイナスになることは全く無いといえる。
特別授業という枠があったので、そこで長野重一、桑原史成、土田ヒロミ氏等に登場してもらうことにした。
長野重一は石元泰博とならんで当代一の巨匠でわたしの先生でもあった。
桑原史成氏は最も古い大先輩、土田ヒロミ氏はなぜか仕事でもお近づきさせていただいている大先輩である。

これらの人たちに学生の写真をみてもらったり、感想を述べてもらったりもした。
オレはこういう人たちに憧れてこの道に入ったんだ、と自分の憧れた人たちのすごさを、かれら若い人たちに見せたかった、という想いがあったのは事実だ。

ただ、いまだにひとつだけ残念に思うことは、「女の部屋」でだれも裸の女性を撮らなかったことだ。
「女の部屋」と聞いたら、若くて健康な男なら、いろんなイメージの中の一つに、部屋の中にいる裸の女性の姿を想い浮かべることが必ずあるはずだ。
考えることは自由だ。それをいかにして実現させるかが、アイデアの勝負、写真家としての勝負だ。
チラッとは浮かんだとしても、私に見せるまえにそれを打ち消してしまった。
打ち明けるために教師がいるのに。
ようするに、彼らからそれほどの信用を得ていなかったのだろうか、わたしは。
あらゆる発想を大切にすべきだと思う。
そこから新しいものが生まれるのだ。

菊池東太

1943年生まれ。出版社勤務の後、フリー。

著作
ヤタヘェ~ナバホインディアン保留地から(佼成出版社)
ジェロニモ追跡(草思社)
大地とともに(小峰書店)
パウワウ アメリカインディアンの世界(新潮社)
二千日回峰行(佼成出版社)
ほか

個展
1981年 砂漠の人びと (ミノルタフォトスペース)
1987年 二千日回峰行 (そごうデパート)
1994年 木造モルタル二階建て (コニカプラザ)
1995年 アメリカンウエスト~ミシシッピの西 (コニカプラザ)
1997年 ヤタヘェ 北米最大の先住民、ナバホの20年 (コニカプラザ)
2004年 足尾 (ニコンサロン)
2004年 DESERTSCAPE (コニカミノルタ)
2006年 WATERSCAPE (コニカミノルタ)
2009年 白亜紀の海 (ニコンサロン)
2013年 DESERTSCAPE-2 (コニカミノルタ)
2013年 白亜紀の海2 (ニコンサロン)
2015年 日系アメリカ人強制収容所 (ニコンサロン)
ほか

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