【写真学校教師のひとりごと】vol.21 藤井香奈子について

わたし菊池東太は写真家であると同時に、写真学校の教員でもあった。
そのわたしの目の前を通り過ぎていった若手写真家のタマゴやヒナたちをとりあげて、ここで紹介してみたい。
その人たちはわたしの担当するゼミの所属であったり、別のゼミであったり、また学校も別の学校であったりとさまざまである。

これを読んでいる写真を学ぶ学生も作品制作に励んでいるだろうが、時代は違えど彼らの作品や制作に向かう姿が少しでも参考になれば幸いだ。

▼【写真学校教師のひとりごと】 棚木晴子について


 

わたしは日本写真家協会からの委託を受け、茨城県の高校生写真コンテストの審査員をしたことがある。
そのときわたしが最優秀作者として選んだ人は、高校卒業後、自身の祖父の線で某N大の写真芸術学部に進んだ。
それが今回の主人公、藤井香奈子である。
わたしは藤井が高校生の頃、可憐な芽であった時代に出会っただけだから、なにもいうことはできないかもしれない。ただ単にかの女の可能性を見いだしただけだから。
だが、藤井がその高校時代に撮った友人の顔のアップはなかなかのものだったと思う。
あの黒い目の輝きと笑み。いくつかの言葉を呑込んで閉じた口元。
それを撮った作者の藤井と、たくさんシャッターを押した中からまたそれを選びぬいた藤井に、それなりの力量を感じて選考した記憶がわたしの頭の片隅にある。

2022年「天使になれない」 Sony Imaging Gallery

それなりの力量を感じて、選考した記憶がわたしの頭の中にある。
あのときの感性はどこへ行ったのだ?
大学へ行き、いままでとは異なった部分の感性を刺激されたのだろう。
それによって別の面白いと思われる部分を優先させ、それまでのとびぬけた人間観察力の発揮がおろそかになってしまったというのが真相だろう。
わたしが新宿でやってる写真教室でも何度か見せてもらったが、かつて高校時代にやっていたような切れ味のある描写が見られない。銀座で展示会を開いたが、あれではまだまだわたしには不満だ。キミにはもっと上等な感性があるのだから。もっと上を目指して欲しい。

藤井はどこから見ても器用じゃない。でもそれでいいんだよ。そういうキミから見たら男はどう見えるのか。
キミは理屈をぐちゃぐちゃこねたりはしない。そのままストレートに悩む。ある意味で素直。
そういうヒトがオトコについて考えてみる。それを映像化する。いいんじゃないかな。
天使になれない、なんて泣き言みたいなことを言ってる場合じゃないと思うな。

いまキミは渋谷にある写真教室で1週間に3日事務を執り、あとはレタッチの仕事をしている。
写真を撮るためにはいい環境にいると思うよ。考える時間はたっぷりあるんじゃない?
キミは学校をでてからは、これといったテーマに出会っていないような気がする。
わたしの考えでは、写真はハッキリ言って、テーマ次第のところがある。
本人、つまり作者にとってそれが、どれだけしっくりきているか、ピッタリくるかということにつきると思う。
すぐに映像化が難しいのならば、まず文章化してみたら?そして、文章から映像へ。
藤井が撮る、男、見てみたいなあ!

藤井香奈子

1991年 茨城県出身
2014年 日本大学藝術学部写真学科 卒業

展示
2012年 ニッコールフォトコンテスト入賞作品展/ニコンサロン
2013年 ニッコールフォトコンテスト入賞作品展/ニコンサロン
2013年 日本大学藝術学部写真学科 選抜展/ニコンサロン
2014年 公募展/APAアワード/東京都写真美術館

菊池東太

1943年生まれ。出版社勤務の後、フリー。

著作
ヤタヘェ~ナバホインディアン保留地から(佼成出版社)
ジェロニモ追跡(草思社)
大地とともに(小峰書店)
パウワウ アメリカインディアンの世界(新潮社)
二千日回峰行(佼成出版社)
ほか

個展
1981年 砂漠の人びと (ミノルタフォトスペース)
1987年 二千日回峰行 (そごうデパート)
1994年 木造モルタル二階建て (コニカプラザ)
1995年 アメリカンウエスト~ミシシッピの西 (コニカプラザ)
1997年 ヤタヘェ 北米最大の先住民、ナバホの20年 (コニカプラザ)
2004年 足尾 (ニコンサロン)
2004年 DESERTSCAPE (コニカミノルタ)
2006年 WATERSCAPE (コニカミノルタ)
2009年 白亜紀の海 (ニコンサロン)
2013年 DESERTSCAPE-2 (コニカミノルタ)
2013年 白亜紀の海2 (ニコンサロン)
2015年 日系アメリカ人強制収容所 (ニコンサロン)
ほか

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