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写真家 鈴木邦弘エッセイ 荒野に立つ[ジブチ、難民キャンプにて]vol.1

ソマリアは1991年にバーレン大統領が反政府勢力に追われた後、混乱し激しい内戦へと向った。国連は、米国を中心に1992年から二次にわたって多国籍軍を派遣するが、多数の犠牲者をだし1995年に撤退した。その後、無政府状態が続く。この過程で、100万人以上の難民が周辺国に流出した。

難民キャンプの裏側には、周囲400メートル近くの墓地があった。

ホレホレ難民キャンプではソマリア北西部から避難してきた1万人以上のソマリア人達が暮らす。

1993年10月、私は日本製の四輪駆動車に乗って、ジブチ共和国のアリ・サビエ地域に向っていた。ここはこの国に流入してきたソマリア難民の主要な居住地域になっていた。ジブチは地球上で最も暑い土地のひとつといわれ、国土の大部分は不毛で乾燥した土地が遠々と続く。この日も、午前中にもかかわらず、気温は40度になろうとしていた。目的地のホレホレ難民キャンプが近づくにつれ、風景はまったく住居のない、わずかに潅木が生える砂漠に変っていった。荒涼とした広大な大地が拡がり、乾いた動物の骨が無造作に散乱していた。そのはるか向こうでは、強風に砂塵が舞い上がり、人の姿はまったく見当らない。こんな荒野のどこに難民キャンプがあるのだろう。私は一抹の不安を感じながら車に揺られていた。

彼女はここに何時間も座り一日を過ごしていた。

キャンプに到着後、私は目の前の風景に驚かされた。ドーム型の小さな丸いテントが無数に張られ、何事もないかのように、ラクダを曵く人がいたり、布包みを背負った人々が往来していた。地面にへばりついた背の低い植物が僅かに生命を感じさせていた風景の中に、突然、一万人以上の人々が生活する空間が出現した。その風景を見た瞬間、私の中に不思議な安堵感がわきあがってきた。そこには人間の暮らしの匂いが充満していた。

彼は夜になると、友人のテントで寝ていた。

私は8×10のカメラをかつぎながらキャンプ内を歩き始めた。しばらくすると私を囲むように数人が後を付いてきた。徐々にその数は増えていく。私は立ち止まり周囲を見渡した。周りの人たちはじっと私を見つめていた。その中の一人の男に声をかけた。「写真を撮らせてくれないか」と。彼は一瞬怪訝な顔をし、間をおいて「OK」と応えた。
彼の案内で私たちは彼の暮らすテントに向った。そのテントは木の枝で作った骨組みだけだった。その前で撮影の準備を始めると、彼はカメラの前にしゃがみ込んだ。そして彼の手には、何故だかわからないが、プラスチック製のマグカップが握られていた。私はそこで彼を被写体に1カット撮影した。お礼を言い、インスタントカメラで撮った写真を一枚プレゼントした。彼は手渡された写真をしばらくじっと見つめた後、おもむろに私の方に顔を向け、表情ひとつ変えず大きくうなずいた。私も奇妙な緊張感とともに彼の顔をじっと見つめながら大きくうなずいた。

飼い主のおじさんが来ても、ロバは身動きせずじっとしてこの距離を保っていた。

その後もキャンプ内を歩き回った。一頭のロバが目にとまった。そのロバは、石を積み上げた壁の上に枝を組んで作った丸い屋根のある小屋の中に、ちょこんと居た。私は持ち主を捜し、そのロバと持ち主のおじさんを一緒に撮影することにした。カメラのピントグラス上にはロバとおじさんが微妙な距離で写っていた。何かお互いの関係がそこにあるように私には思えた。近すぎず、遠すぎず。この関係はアフリカのどこにでもある日常の中の小さな関係だった。

つづく

文・写真/鈴木邦弘


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