【写真学校教師のひとりごと】vol.34 横幕雅大について
わたし菊池東太は写真家であると同時に、写真学校の教員でもあった。
そのわたしの目の前を通り過ぎていった若手写真家のタマゴやヒナたちをとりあげて、ここで紹介してみたい。その人たちはわたしの担当するゼミの所属であったり、別のゼミであったり、また学校も別の学校であったりとさまざまである。
これを読んでいる写真を学ぶ学生も作品制作に励んでいるだろうが、時代は違えど彼らの作品や制作に向かう姿が少しでも参考になれば幸いだ。
あるとき卒業生の篠田美穂から突然電話がかかってきた。
わたしのクラスの女子では初めて個展をやったヤツだ。
「ヨコマクがJRAのカメラマンやってるんだって!」横幕というのは久しぶりに聞く名前だった。
だがすぐに思い出すことができた。決して口数が多くはない、地味で比較的目立たない男だった。
だが不思議におぼえている。実直なヤツだ。
あの横幕がJRAのカメラマンか。
JRAというのは日本競馬会のことだ。
人の見ていないところで、こつこつとまじめに努力を積み重ねているようだ。
昔の記憶と記録をたどってみた。
卒業後の志望について、「馬が撮れたらなんでもいい」とあった。
よほど馬が好きなのだ、間違いなく。
志望通りの仕事だ。いいね。
JRAに写真撮影部門はない。JRA出入りの写真撮影をやる組織に所属しているのだ。
普通競馬というとギャンブルを連想するが、横幕はそっちの方面にはあまり興味がないようだ。
とにかく走っている馬がひたすらかっこよくて、この世界に入ったのだ。
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同期にもう一人、わたしのクラスでは初の個展をやった小島昇がいる。
この男も以前このシリーズに登場したことがある。
この二人(篠田と小島)も横幕と一緒に会うことにした。同期会みたいなもんだ。
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(左から、篠田美穂、横幕雄大、小島昇)
競馬場にはわたしはスタッフ・カメラマン時代に数回仕事で行っただけで、その後足を踏み入れたことがない。
さまざまな写真を見せられた。
数多くの写真の中の一枚、皐月賞での馬の疾走シーンがあった。
この世界では当たり前のことだが、時速60キロあまりで疾駆する馬の筋肉や体毛一本一本が克明に写っている。
シャッタースピードは1600分の1秒だったそうだ。
プロだから当たり前のことだけど、なかなかキッチリやっている。
連日、疾駆する馬の写真を撮った。
来る日も来る日も。
毎回やっているとそのうちにできるようになる。
当たり前のことかもしれないが。
するとそこに憧れた馬の美しい姿、躍動感が見えてくる。
これこそが横幕の求めていたものだろう。
かつては若さ特有の熱意で馬の美を求めて、写真を撮っていた。
そんな日々の積み重ねだった。
最近はそんな熱情もおさまり、割に平穏な日々のようだ。これも当たり前のことだ。
昔はほとんど酒を飲めなかった男だが、飲んで人と話をするようになってきた。
話すことの悦びにも目覚めたようでもある。
世界には、馬が走る素晴らしい写真がたくさんあるに違いない。
今までの努力を考えてみたら、もっと素晴らしいものを頭の中に作りだすことも、そんなに難しいことではないだろう。
やってみようよ。写真家としてはこれからだよ。
時速80キロのときの、その瞬間の馬の目は、筋肉の躍動感は?
最新の機材だからこそ、今までは不可能だったショットというのもあるんじゃないのかな?
これからが本番だよ。
人生最後ににっこり笑えたらいい
菊池東太
1943年生まれ。出版社勤務の後、フリー。
著作
ヤタヘェ~ナバホインディアン保留地から(佼成出版社)
ジェロニモ追跡(草思社)
大地とともに(小峰書店)
パウワウ アメリカインディアンの世界(新潮社)
二千日回峰行(佼成出版社)
ほか
個展
1981年 砂漠の人びと (ミノルタフォトスペース)
1987年 二千日回峰行 (そごうデパート)
1994年 木造モルタル二階建て (コニカプラザ)
1995年 アメリカンウエスト~ミシシッピの西 (コニカプラザ)
1997年 ヤタヘェ 北米最大の先住民、ナバホの20年 (コニカプラザ)
2004年 足尾 (ニコンサロン)
2004年 DESERTSCAPE (コニカミノルタ)
2006年 WATERSCAPE (コニカミノルタ)
2009年 白亜紀の海 (ニコンサロン)
2013年 DESERTSCAPE-2 (コニカミノルタ)
2013年 白亜紀の海2 (ニコンサロン)
2015年 日系アメリカ人強制収容所 (ニコンサロン)
ほか
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