「美術のこもれび」Rayons de soleil dans l’art ①

美術に対する一つの考え「クロード ヴィアラの作品」について

みなさんこんにちは、専門学校日本デザイナー学院東京校講師の原 広信(はらひろのぶ)です。

鑑賞するのが難しいと敬遠されがちな「現代美術(コンテンポラリーアート)」ですが、今の空気を呼吸している美術作品の表現を、ともに鑑賞していく手懸りの一端をお伝えできればと思っています。

 

この章では、約60年前の「シュポール・シュルファス (Support/Surface)」というアートの「ひとつの考え」についてお話しします。
これは私たちが鑑賞する造形美術をめぐる「本当に作品って何?」という定義を問う考えについてです。

ここに彫刻家で有名なロダンの作品『青銅時代』と、有名なモネの作品『睡蓮』の1点があります。

参考画像①:オーギュスト・ロダン作『青銅時代 (L’Âge de bronze)』 画像引用:東京富士美術館

 

参考画像②:クロード・モネ作『睡蓮 (Nénuphar)』(メトロポリタン美術館)<※ 撮影/筆者>

ともに作者渾身の力作として高く評価されています。

現代に生きる私たちも、このような作品からいろんなことを読み取ることができますね。
私たちは普段、作品鑑賞のために美術館や画廊などに足を運んだりします。
もちろん、ウェブ画像だったり、作品集などの印刷物でも鑑賞したりしますが、本物を目の前にしてじっくり見てみることを目的にそこに向かう訳です。

仮に、あなたがある美術館を訪れて、作品鑑賞をしているとします。
参考画像①の彫刻『青銅時代』や②の油彩画『睡蓮』を見ているとしましょう。
さて、ここで私たちは目の前にある作品の「何を鑑賞の対象」にしているでしょうか?
おそらく、「作品全体」を鑑賞している、という答えになると思います。

参考画像②を見てみますと、モネの描いた絵画は立派な「額縁(がくぶち)」に入っていることが分かります。
わたしたちは「作品全体」を鑑賞しているとすると、この額縁もまた作品に含むことになります。
しかし、モネの描いた絵画は額縁の内側、キャンバスに描いたものであって、飾り付けられた「額」は作品なのでしょうか?

同じ問いを参考画像①のロダンの彫刻作品『青銅時代』を見ながら、問いましょう。
同様に「作品全体」を鑑賞している、という答えになると思います。
では、この男子像の彫刻を支えている足元の「台座」は作品に含まれるのでしょうか?
しかしロダンが制作した作品は男子像自体であって、必要だから台座に載せているのです…台座は作品に含みますか?

この「鑑賞の対象=見ている作品」という認識に疑問符を付けて、美術を捉え直そうとしたのが、いまから60年前にフランスで起こった「シュポール・シュルファス (Support/Surface)」というアートについての「ひとつの考え」です。

この考えで言えば、「絵画」はキャンバスに絵の具で描かれます(作者の創作行為)。この絵画を作品とさせているのは作者が絵の具をキャンバスに筆などで載せた「痕跡の結果」であると考えました。
するとキャンバスは(そしてキャンバスを裏から支える木枠も)作品である「痕跡の結果」を支える「支持体 (Support)」であり、作者が絵の具をキャンバスに筆などで載せた「痕跡の結果」とはつまり「表面 (Surface)」です。
このように絵画を2つの要素に集約させてみようとする考え方を「支持体・表面 (Support/Surface)」仏語的な読み方で「シュポール・シュルファス」と名付けるようになりました。

この「考え」にもとづいてフランスで不思議な作品を創作し発表するアーチストが現れました。

ここで紹介するのは、クロード ヴィアラ氏(Claude Viallat)の作品です。彼は1936年フランス・Nîmes(ニーム)生まれでフランスを代表するアーチストで、「シュポール・シュルファス」の中心メンバーの一人で、1968年頃から作品を発表しています。
彼が作り出すものは、まさに作品の支持体であるキャンバスとなる「布」のみと「絵の具の痕跡」だけで成立する作品です。

参考画像③:クロード・ヴィアラ作『反復 (Répétition)』1972年 <※「シュポール/シュルファス展」巡回展1993.94 図版より引用>

ご覧のように彼はシンプルに支持体としての布の表面に絵の具の痕跡を記すことで絵画を成立させる作品を発表していることがお分かりになると思います。

「鑑賞の対象=見ている作品」という私たちのまなざしをより自由にしてくれたアートの「ひとつの考え」が創造したものです。これ以降の現代美術には、額装や台座のない作品が主流となりました。

1960年代のある時期のアートシーンのひとつですが、現在(2020年代)からすれば、もうすでに60年も前の現代美術上の一端で通過点に過ぎません。これまでこの間にも既にたくさんのアートシーンが創生し続けています。

しかし、私たちが鑑賞する造形美術をめぐる「本当に作品って何?」という定義を問う考えにフォーカスした「シュポール・シュルファス」のシンプルな思考は、シンプルゆえにその後の世界の現代美術の根底に潜み続けることになったのです。

文・原 広信

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