アートが秘める「見える化ツール」としての可能性。DX&AIが拓く、表現の未来とは?
こんにちは。アートとカルチャーをこよなく愛するキャリアコンサルタント・竹島弘幸です。
この連載では、長年一般企業に勤め主に国内海外の新規事業開発を行ってきた僕が「アート×企業」という切り口から、アートに対する新しい観点を探ってみようと思います。
「世俗離れしたイメージのあるアートが、企業とどう関係あるの?」そう思われる方も多いでしょう。しかし、どんなアーティストやクリエイターであっても、何らかのかたちで「企業」という存在には関わりを持つことになるのです。たとえば企業に勤めてアートやデザインの仕事をする人はもちろん、派遣社員をしながら創作をする人もそう。フリーで創作活動を頑張る人も、ギャラリー展示のスポンサーやアート系サイトでの販売といったかたちで、企業に関わっています。
そのほかにも、「アート×企業」の関わりは現代では多様なものがありまして、パッと思いつくのは企業が本社などに設置するためにアートを購入したり、文化貢献のためのスポンサー活動でしょう。またラグジュアリーブランドや自動車会社が自社製品のデザインやマーケティングにアートのセンスを入り込むこともよく行われています。そして経営にアートを取り入れる”アート思考”も数年前から提唱されています。
このように「アート×企業」は結構深い関係にあるんですね。
この連載ではさらに思考をグッと推し進めて、企業自身がアーティストとなり絵筆を持ってアート作品を作成する可能性についても考えたいと思っています。こう言うと、え?企業自身が絵筆をもつなんてできないでしょ……人間じゃないんだから……と不思議に思われるかもしれませんね。でも結論を先に言うと、DX(*1)やAIといったデジタルテクノロジーの進歩によって、企業が”絵筆”をもてる時代が来ているのではないか。僕はそう考えているんです。
(*1)DX(デジタルトランスフォーメーション)とは、企業がデジタル技術を活用して、業務プロセスや組織、企業文化、ビジネスモデルなどを変革し、競争上の優位性を確立する取り組みのこと。英語の「Digital Transformation」の頭文字をとったもので、「Transformation」のTransに交差するという意味があり、交差を1文字で表す「X」が用いられています。DXと似た言葉に「デジタル化」や「IT化」があるが、目的が異なります。デジタル化は業務効率化が主な目的である一方、IT化は特定の業務プロセスの効率化に焦点を当てます。
文/竹島弘幸(国家資格キャリアコンサルタント・外国人雇用労務士)
企業とは「目に見えないオバケ」である⁉
まずちょっと回り道ですが、そもそも「企業」とは何なのか、をしっかり考えておきたい。
結論から言えば、企業とは「残留思念」、つまり人の感情・思い・記憶といった目に見えないものが集まってできたものである――というお話をします。ちょっとスピリチュアルに聞こえるかもしれませんが、とても単純なことです。
まず企業の所有者は株主です、株主によって企業は所有されています。そして株主は経営のプロを選任して業務を委託します。それが社長や取締役といった人々です。また、企業は多くの従業員、つまり「人」を雇用します。「人」以外の要素についていうと、本社ビルや机椅子とかの備品、設備投資した工場や機械、販売店舗なども企業を構成する要素です。
上記の説明をよ~く読むと不思議なことがわかります。どの要素も「企業の一部」ではあるものの、「企業自体」を指し示していないのです。
「企業自体」はどこに存在するのでしょうか。例えば「トヨタの社員さん」や「トヨタの社屋」や「トヨタの車」ではなく、「トヨタという会社自体」に会ったことがあるよ、という人は、おそらく誰一人としていないでしょう。街で見かけるロゴや広告なども、企業を表す記号だったり、宣伝だったりするので、厳密には「企業それ自体」ではありませんね。
このように考えると、多くの要素の集合体というものが企業であると一旦は言えます。法律的にみると例えば会社法(*2)では企業に対し行動すべきことや罰則が規定されていますし、日常的に行われる契約行為も企業間で行われています。「法人」という言い方はまさに絶妙でありまして、あたかも人のような存在として法的に扱われているのです。このヒトのようでいてヒトでなく、モノのようでいてモノでない曖昧な集合体…これが企業です。
(*2)会社法とは、会社の設立・運営において守らなければならない規定を定めた法律です。会社法は、全8編から構成されており、企業における会社の設立、組織、運営や管理について定めた法律を定めています。会社に関わる色々な法律がありましたが、統合・再編成され、2006年に施行されました。会社法の役割は会社経営の柔軟性を高め、機動力を向上させることです。取引相手の保護、利害関係者の利益確保、法律関係の明確化などが重要なポイントです。
哲学や思想にも明るいマクロ経済学者の岩井克人(*3)は『会社はだれのものか』という著書で、法人という存在の不思議さについて企業の社会的責任(*4)の観点から論じています。
(*3)岩井 克人(いわい かつひと、1947年〈昭和22年〉2月13日 – )は、日本の経済学者(経済理論・法理論・日本経済論)。学位はPh.D.(マサチューセッツ工科大学・1972年)。国際基督教大学特別招聘教授、東京大学名誉教授、公益財団法人東京財団名誉研究員、日本学士院会員。本編では、氏の著書『会社はだれのものか』平凡社、2005年を参照しています。
(*4)企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)とは、企業が事業活動において、環境や社会、利害関係者に対して責任ある行動をとることを求める考え方です。CSRは、企業が利益至上主義に傾倒せず、社会全体に対して責任を果たすことを意味します。企業は、土地や人材、資源などを社会から借りている立場にあるため、それらを大切に活用するという義務があります。 また、その取り組みは、企業の社会的評価や信頼向上につながり、事業の成長にもつながります。また、社会問題や環境問題が注目される中で、CSRはますます重要視されています。
ではその多様な要素をつなぎ止めているものはなんだろうかと考えてみましょう。僕としては、企業に関与する人々の「残留思念」こそが各要素をつなぎ止め、企業自身となるのではないかと考えています。
例えば企業には歴史があります、過去があり今がある。また多くの役員、従業員がいてさらに過去に定年退職していった人や転職していった人々の思い、成功した人、平凡に過ごした人、失敗した人、喜びや悲しみ、怒り、人々の気持ちの交流、魂の交感。このような残留思念が形になったものが企業自身なのではないでしょうか。例えば、自分の人生に置き換えれば、生まれてから今まで出会ってきた人々との関わりの ”記憶” が、過去と現在をつなぎ、それらが現在の自分を形成していますよね。
こう考えると、「企業文化」なるふわっとした言葉も説明しやすいと思います。人々の残留思念が、企業文化の担い手なのです。明確に定義はできなくても企業文化って確実にあります(まだちゃんと働いた経験のない学生読者の皆さんは、企業文化=校風のようなものと想像してみてください)。挑戦的だったり、保守的だったり、面白系、センスがいい、とんがっている、環境意識が高いなど、企業文化をつくるのは最初は創業者の思いだったりしますが、それを人々の残留思念が継承しているのでしょう。
企業の「残留思念」をカタチにする、デジタルアートの可能性
ここで本連載の主題である、企業=残留思念が絵筆をもてるのか? についてです。普通に考えれば残留思念が物理的なモノ、油絵とか日本画の画材を持って作品を作ることはできませんよね。ただ、デジタルテクノロジーはそれを可能にしつつあると考えます。
また横道ですが、皆さんはクリストファー・ノーラン監督の傑作SF映画『インターステラー』をご覧になったことはあるでしょうか? この映画はSFであると同時に、父と娘、家族の物語でもあります。
宇宙船で異なる次元に旅立った父クーパーは、重力制御の方法を地球にいる娘になんとかメッセージで送ろうとします。しかし次元が異なる世界にいる二人は、メールも電話もできるはずがありません。そこで父クーパーは、地球にいる娘に対し時計の秒針を動かしメッセージを伝えることを思い付きます。これがモールス信号なのです。果たして娘は父のメッセージに気がつくのか!?
クーパーが「俺の娘だ」と信じてメッセージを送り続けると、ついに娘はその意味を理解します。そしてモールス信号を分析し、重力制御の方法を組み立てることに成功するのです。
本論に戻りますと、残留思念である企業が現実界の絵筆を持ち、アートを作成できるのか? この問いについて、『インターステラー』がヒントを与えてくれます。
「残留思念」は現実世界に存在していますが、物理的な意味で世界とは次元が異なります。しかし両者は、コンピューターの「ハードウェア(=物理界)」と「ソフトウェア(=残留思念)」のような関係にあります。物理的実体のないソフトウェアがハードウェアを動かせるように、残留思念もまたコンピューターのプログラム(インターステラーのモールス信号)を駆動させることはできるのではないでしょうか。残留思念は物理世界に接触できずとも、あるプログラムに対してパラメータ(*5)を投げ込むことならできるのです。
(*5)パラメーター(Parameter)とは、物事の結果に影響を与える値や、外部から与える値を意味する言葉です。もともと数学やプログラミングなどの分野で幅広く使われており、それぞれに意味が異なります。 数学やプログラミングでシステムや関数の挙動を調整する要素として使われていましたが、その概念が派生し、ビジネスシーンでも「成果に影響を与える重要な条件」として活用されています。計画や戦略を調整し、目標達成を最適化する役割を担う概念として頻繁に使われています。
例えば銀行が工場に対して1,000万円融資を実行した。その金額や時期などは「数値データ」というパラメータとして表現できます。このパラメータをあらかじめ用意されたプログラムに投げ込めば、アウトプットとして何らかのデジタルアートを生成できます。そしてそのアートは、1,000万円の融資に関わった営業担当の思い、決裁した役員の思い、借り手の事業者の思い、融資を受けた工場や、その利用者の思い……などがプログラムによって結実した、いわば「思念」の表現であると見ることもできますよね。アーティストの「思念(想い)」が、絵の具という媒体で表現されるのと同じことです。
このように企業活動=残留思念を、デジタル技術を使うことでアートとして見える化することはできるのではないでしょうか。
いわばアートは、企業の残留思念という目に見えないものを見える化する、「妖怪ウォッチ」のような役割を果たせる可能性を秘めているのです。
ヒトのようでいてヒトでなく、モノのようでいてモノでない残留思念=企業。この活動を、この連載では考えていきましょう。
文/竹島弘幸 (HIROYUKI TAKESHIMA)
国家資格キャリアコンサルタント
外国人雇用労務士
大手通信会社勤務中。
新規事業開発・金融系企業複数社の立ち上げやTOBを実施、執行役員を歴任。近年ではアジア諸国へ出向など。
同時に映画や音楽、アート等の視聴覚芸術、ファッション、現代思想などへの造詣を活用した共生社会の実現のたに、「人的資本経営」をサポートする会社を起業。
コーディネート/竹内基貴 (MOTOKI TAKEUCHI)
プロデューサー/コンサルタント
日本写真専門学校卒業後、フォトグラファーになる。その後ロンドン芸術大学(LCC)留学。帰国後はIT企業各社にてWEBマーケティングや新規事業棟に従事。2015年に起業、アーティスト/文化人のマネジメントやデザイン会社の広報業務、企業のM&Aなどを行う。現在は地方でギャラリーを経営しつつ、初心に返りちょっとだけ映像制作も行っている。
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