ジブリを神話で読み解く!「千と千尋の神隠し」千尋はなぜ豚にならなかったのか
「千と千尋の神隠し」で千尋の両親が豚になってしまうシーン。みなさんは、なぜ千尋だけ豚にならなかったのか、考えたことはありますか?日本の物語を分析し、神話学を専門としている大学教授の古川のり子先生にお話を伺いました。
トンネルを抜けて知らない街にたどり着き、料理を食べたあとに両親は豚になってしまいますが、そのとき千尋はなぜ豚にならなかったのでしょうか?
ひと言で答えるなら、まさにその「料理を食べなかったから」です。
日本では古来、「食事」は儀礼の大切な要素の一つでした。とくにその食物がどこの世界で作られたものかということが、重要なポイントになっています。自分が属している世界と異なる世界のカマドの火で作られた料理を食べると、そちら側に所属が決まり、もとの世界に帰れなくなるという考え方がありました。
その一番わかりやすい例が、お葬式の「枕飯」です。茶碗に山盛りにしたご飯に、箸を一本立てて死者に供えるものですが、これは日常の台所ではなく、特別に作ったカマドで炊いた「あの世のご飯」。死者がこれを食べることで、迷うことなくあの世に落ち着けるようにするためのご飯です。だから生きている人々はけっしてこれを食べてはいけません。もし食べてしまったら、その人もあの世の側に属することになってしまうからです。
千尋の両親が食べたのは、この枕飯に相当する異世界の料理でした。カウンターの奥でカマドの火が「チロチロ」し、セイロからは湯気が立っている。完成台本にも絵コンテにも、お母さんがかぶりつく美味しそうな鳥の丸焼きには、わざわざ「鳥の死体」と書き込んであります。やはりこれは、この世の料理ではないのです。
それは神話と何か関係があるのでしょうか?
はい。「異世界のカマドの火で作られた料理を食べるともとの世界に帰れなくなる」ことは、日本最古の歴史書『古事記』『日本書紀』(8世紀)に残された古代神話の中に出てきます。
『古事記』の創世神話によれば、最初の男女の神イザナキとイザナミが世界で最初の結婚をして、女神イザナミは国土の島々を始め、世界の万物を生み出しました。その最後に火の神を生んだためにイザナミは火傷を負って死に、最初の死者となって地下の死者の世界「黄泉の国」へ入って行きます。夫イザナキは妻を生き返らせようと、黄泉の国まで追いかけて行き「さぁ帰ろう」と言いますが、イザナミはこう答えたのです。「残念。もう少し早く来てくれれば良かったのに。私は黄泉戸喫(よもつへぐい)をしてしまったの」と。
黄泉戸喫というのは、死者の世界のカマドで作られた食物を食べることです。だからもとの世界には帰れないというわけですが、それは逆に言えば、彼女が死者として黄泉の国に安定して存在できるようになったことを意味します。つまり黄泉戸喫も枕飯も千尋の両親の食事も、それを食べた者を新しい世界に繋ぎ止め、しっかりと存在させるための食事でもあるわけです。
ハクが千尋に丸薬のようなものを食べさせましたが、これにはどんな力や意味が込められていますか?
これこそが、千尋にとっての黄泉戸喫に当たるものです。丸薬を与えるとき、ハクは千尋に「この世界のものを食べないと、そなたは消えてしまう」と言っています。あの料理を食べなかった千尋はこの世界に存在できず、透明化して消失しようとしていました。それを救ったのが、ハクが与えた丸薬です。これはおそらく異世界で作られたもので、これを食べたおかげで千尋は実体を取り戻します。
ところで丸薬を拒む千尋に対してハクは、「大丈夫、食べてもブタにはならない」と言っています。なぜでしょう?引っ越しの途中、何かの力によって森の奥のトンネルに導かれたときからずっと、千尋は目に見えないものの存在を感じ取り、それを恐れ敬う気持ちを持っていました。ですから彼女は豪勢な食事を前にしても、食欲に呑み込まれることはありません。
ところが両親は、異界の神々に対して何の恐れも敬いもなく、ズカズカとその領域に踏み込んで自分達の欲望のままに振る舞っています。千尋がブタにならなかったのは、彼女が欲望にとらわれていない者だったからではないでしょうか。この性質は、千尋がカオナシに呑み込まれなかったことともつながっています。
両親が料理をむさぼった飲食店がある横町のアーケードには、夜になると「豚丁横丁通」という名が浮かびあがります。ここは別世界から迷い込んだ貪欲な者たちを美味しそうな匂いで誘い込み、ブタにして神々の食糧とするための罠のようなところなのだと思います。ブタにこそならなかったものの、結局、千尋ももとの世界に帰ることができなくなりました。両親とハクと自分を救うための、千尋の大冒険の物語がここからスタートするのです。
「千と千尋の神隠し」に限らず、ジブリ作品には神話と重なる部分があることが多いのでしょうか?
はい、とくに宮崎駿監督の作品には神話と重なる部分が多いと思います。たとえば『もののけ姫』のシシ神殺しは、大自然の母神イザナミ殺害を中心とする古代の創世神話と重なります。
けれども宮崎アニメの神話とのつながりは、神様の名前が出てくるというような分かりやすい表面的なものではありません。神話やその末裔としての昔話がその根底に持っている、私たちの古い世界観そのものとの深い結びつきなのです。
最後に古川先生から読者のみなさまへメッセージをお願いします。
神話は、私たちの心に奥にある世界観を物語の形で表したものです。私たちはなぜ生まれて死ぬのか、死んだらどこへ行くのか等、人間にとって大切な問題を考える豊かな物語。新しい知識や技術を学ぶのと同時に、古い神々の声にも耳を傾けてみてはいかがでしょうか。千尋のように、何か大切なものを見つけ出せるかもしれません。
古川のり子
東洋英和女学院大学国際社会学部国際コミュニケーション学科教授。専門は日本神話、昔話など。
『日本の神話伝説』(共著・青土社)
『昔ばなしの謎 あの世とこの世の神話学』(KADOKAWA)
宮崎アニメ関係の論文としては、次のものがある。
「シシ神とイザナミ—『もののけ姫』玉の小刀の誓い」(『アジア女神大全』青土社)
「姥皮の娘とタニシ息子の物語—『ハウルの動く城』」(『死生学年報2013』)
「『魔女の宅急便』『風立ちぬ』からオイディプス神話へ—風を制御して飛ぶことは可能か」(『死生学年報2018』)
古川のり子先生、ありがとうございました!世の中に存在しているたくさんの物語のなかには、まだ誰にも見つかっていない発見があるかもしれません。神話や昔話など、みなさまもぜひストーリーを考えるときの参考にしてみてくださいね。
PicoN!編集部木下
画像提供:公式サイトより https://www.ghibli.jp/info/013409/
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