“依頼される側”の社会人デザイナーが魅せる「四季を6倍楽しむ方法」_グループ展 「NEW NEW NEW WORLD!」レポ
日頃、依頼される側であるデザイナー6人によるグループ展「NEW NEW NEW WORLD!」にお邪魔してきました。
出展作家のお1人 グラフィックデザイナーの安村晋さんにお話を伺いました。
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憧れを現実にするための第一歩
ーー今回のグループ展は、どんな経緯でスタートしたのですか?
何か特別な「この瞬間」があったわけではありません。就職してから展示やイベントに足を運ぶ中で、ずっと感じていたことがありました。自主制作をしている人たちが、すごくキラキラして見えたんです。楽しんで作ったものを自信を持って展示している姿を見て、「自分もやりたいな」と思うようになりました。とはいえ、インスタを始めても続かず、なかなかモチベーションが上がらない。デザインの友達とも「できないよね」と話していました。それである時、「じゃあグループ展をやろう」と思ったんです。というより、まず“締め切りを作ろう”と考えました。展示という場と日程を決め、そこに向かって制作すれば、自主制作ができるんじゃないかと。
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実はこのメンバーとは以前から「何人かでやろうよ」と話し、テーマまで決めたこともありました。でも、「いつ」「どこで」を決めきれず、そのまま流れてしまっていたんです。そこで今回は、先に日程と場所を決めてから改めて声をかけました。発起人として動くのは珍しく、少し勇気のいる挑戦でした。これまでも、デザイナーに限らず「何かやってみたい」と思っている友人たちとグループ展を重ねてきました。その中で、会場の借り方やスケジュールの組み方なども学び、今回も「なんとかできるかもしれない」と思えたんです。見る側としてギャラリーに行くことはあっても、いざ自分たちでやろうとすると、何から始めればいいのか誰も教えてくれない。初めての一人暮らしのように、やってみて初めて分かることが多いですよね。これまでは「箱」が用意された展示に参加することが多く、運営やディレクションは別の人が担っていました。だからこそ、会場を借りて一から組み立てる経験はとても大きいと感じています。
「ニューニューニューワールド」誕生。中堅クリエイターが“原点”に戻ってつくる世界
――この展示のテーマを今回どのように決められました?
開催場所が決まり、「もし自主制作をやるなら何を作る?」という話を進めていくうちに見えてきた共通点は、「自分の世界観を形にしたい」という思い。半数はすでにイメージを持ち、残りはこれから探る段階でした。アイデアを少しずつ“こねる”中で、「世界を作る」という方向性にまとまっていきます。ただ「ワールド」では広すぎる。どうしようかと悩んだとき、あるメンバーがふと、「“ニューニューニューワールド”でいいんじゃない?」その瞬間、「これだ」と空気が動きました。
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“ニューワールド”は想像しやすい。でも“ニュー”を3つ重ねると、途端にイメージできなくなる。だからこそ、どこまでも広げられる余白がある。それが面白いと思ったんです。
個人的には、3つの“NEW”に意味も重ねています。
つくることが純粋に楽しかった頃の発見。
もっと上手くなりたいと思った頃の発見。
そして社会に出て、「こうやって作るんだ」と知った発見。
そのすべてを経た今、もう一度原点の感覚に立ち戻って世界をつくったらどうなるのか。そんな思いを持ち寄りながら、丁寧に話し合いを重ねていきました。盛り上がっても、そのまま公式コンセプトになるとは限らない——そんな“大人あるある”も含めて。
――メンバー間の打ち合わせは基本オンラインですか?
メンバーには遠方在住の人もいれば、子どもが生まれたばかりの人もいる。それぞれ生活が違うので、時間を合わせるのは簡単ではありませんでした。基本はZOOMで、月1回のミーティング。昨年9月にスタートし、「半年あれば形にできる」と走り出しました。でも大人にとっての半年は、本当にあっという間。最初の5か月でじっくり考え、最後の1か月で一気に仕上げる、という流れでした。その“熟成期間”があったからこそ、最後に力を出せたのだと思います。特に印象的だったのは、締め切り直前の“間に合わせ力”。限られた時間の中でやり方を決め、仕上げきる判断力。中には、案をすべて捨てて作り直し、2日で完成させた人もいました。決断力と実行力。経験があるからこそ発揮できる力が、今回の展示を支えていたと感じています。
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――参加した皆さんは、いわゆる中堅の立ち位置の方ですか?
立ち位置としては“中堅”。普段は調整役を任されることも多く、「できませんでした」が通用しない立場です。そうした責任感は自然と身についています。でも今回は、あえて調整役に徹しすぎず、自由に作れる場でもありました。中堅だからこそ、そのバランスを楽しめた気がします。若手中心の現場では、「本当は自分がやりたい」と思う瞬間もある。だからこそ今回のような機会は、自分の中にたまっていたものを発散できる場になったのかもしれません。メンバーの多くは、部下を抱える管理職というより、いまも自分の手を動かしている人たち。日々プロダクトなど実務に向き合っているからこそ、「いつもと同じ」は作りたくない。普段とは少し違うものを作りたい——その思いが、今回の制作の原動力になっていたのだと思います。
時間を「デザイン」する。二十四節気から生まれた仕組みのグラフィック
――今回の作品はどんな作品ですか?
身にまとう
今回は、一つのグラフィックを作るのではなく、“仕組み”をデザインしたいという思いから始まりました。大人になると時間が早く感じる。その理由の一つは、日々の「区切り」が減ることではないかと考えました。子どもの頃は行事ごとに季節が刻まれていたのに、今は気づけば数か月が過ぎている。ならば、意識的に区切りを増やせばいい。そこで着目したのが「二十四節気」です。1年を24に分け、季節の移ろいを細やかに示す暦。その一つひとつをグラフィック化し、時期ごとにスマートフォンへ届く仕組みにしました。
「立春」「雨水」「啓蟄」——
言葉をきっかけに季節を探したくなる。大切なのは知識ではなく、体で感じること。体感があってこそ、時間の流れは変わると思うのです。
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コロナ禍で、季節を感じないまま時間が過ぎた経験も、この発想につながっています。だからこそ、二十四節気の力を借りて、日々をもう少し長く、豊かに感じられるようにしたい。時間を「身にまとう」ように、季節を日常に取り戻す。それが、この作品の出発点です。
自主制作ですが、いずれは広げていきたいプロジェクト。だからこそ、強い“作家性”は出しすぎないほうがいいとも考えました。待ち受けとして使ってもらうものなので、「二十四節気」という仕組みに寄り添う表現を意識。図形的に構成し、できるだけ自分らしさを抑えたつもりでした。でも完成してみると、やはりどこか生き物のようなニュアンスや、少し茶目っ気がにじんでしまうんですよね(笑)。クライアントワークでは提案しない表現も、今回は「これも自分だ」と思って出せた。誰かの判断ではなく、自分が「好きだ」と思えるものを選べる自由がありました。普段は依頼主の世界観を読み取り、そこに寄り添って組み立てていく。でも今回は足がかりがない。だからまず、「自分は何が好きなんだろう?」と掘り起こすところから始めました。海外のデザイン集なども見ながら感覚を探りつつ、ただ真似るのではなく、自分の中で消化して近づけていく。そのプロセスがとてもよかった。最終的にOKを出すのは自分。だからこそ、とことんこだわることができました。
最初のキービジュアルは、わりと早い段階でできました。制作は11〜12月頃から。ただ、「これじゃない」と感じて手が止まり、そこから本格的にリサーチを始めました。自分の作品を自分で磨く作業は、大きな学びでした。「良くする」とは何かを、自分に問い続ける時間。今回は相談相手もいない。本当に、自分との対話でした。仕事の場合だと上司やクライアントが判断してくれる、という方も多いと思いますが、今回は頼れるのは自分だけ。だからこそ徹底的に調べました。本当にこれでいいのか、何度も考え直しました。日本の文様やその歴史を調べ、江戸時代の着物の構成も参考にしました。柄の途切れや流れの工夫、市松模様の使い方など、思い込みを覆す発見が多くありました。時間をかけて調べることで、表現は確実に変わる。予算も締め切りもない個人制作だからこそ、その深さまで掘り下げられたのだと思います。
――うちは子どもがいるので、外には出ていました。とはいえ、「花見ができない」春は強く印象に残っています。近所の桜並木は例年なら人であふれるのに、あの年はほとんど誰もいなかった。その光景は、少なからず作品にも影響しています。学生たちの話を聞くと、社会人1年目でコロナ禍を経験した世代も多い。「いろいろ挑戦したい」時期に立ち止まらざるを得なかった。でもその時間があったからこそ、自分の“本当に好きなもの”を再発見できた、という声もよく聞きます。
制限があったからこそ、気づけたこともあったのかもしれません。考える時間が増え、失って初めて分かるものにも気づいた。当たり前だった日常やリズムが崩れ、働き方や時間の使い方を見直した人も多かったはずです。立ち止まる時間があったからこそ見えたものがある。あの時期は、そんな時間でもあったと感じています。
自分で決めるから乗り越えられる──仕事と展示準備のあいだで
自主制作には締め切りがありません。それがいちばん大きな違いかもしれません。義務も目的もなく、やらなくても誰も困らない。それでも、やると確実に何かを得ている感覚がある。クライアントワークは締め切りがあり、対価もある。でもこちらは、お金を払ってでも続けたい時間です。単なる「経験」ではなく、お金では手に入らない何かを得ている気がしています。仕事は仕事で、好きなんです。提案し、自分の好きな方向性を差し込むこともできる。ただ、そこには常に“先方”がいる。一方で自主制作は、何をやってもいい状態から始まる。自由だからこそ、自分の「好き」がどこにあるのかがはっきり見えてくる。理由も義務もないのに、やってしまう。その時間自体が、自分にとって大きな意味を持っているのだと思います。
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ーーいまの表現につながっている原体験は?
振り返ると、子どもの頃はとにかくゲームが好きでした。制作をしていると、色使いや配置、イラストの描き方などに、どこかゲームっぽい表現が自然と出てくることがあります。意識はしていないけれど、原体験がにじみ出ているんだと思います。特に好きだったのは、任天堂のゲーム。兄と一緒にスーパーマリオブラザーズで遊び、RPGでは『MOTHER2』に夢中になりました。『MOTHER2』の言葉は、糸井重里さんが手がけています。あの独特のリズムを子どもの頃から浴びてきたことが、いまの自分の言葉感覚につながっている気がします。自由に作っているつもりでも、源泉はきっと同じ。好きだったものは、時間をかけて自分の“キャラクター”になり、いまの創作に静かに影響しているのだと思います。
ーーAIって、どういうタイミングで使っていますか?
クリエイターの中には、AIを“敵”と捉える人もいます。でも、もう無くなることはない。だからこそ、排除ではなく「どう関わるか」を考えるべきだと思っています。僕にとってAIは、代わりに作る存在ではなく、思考を広げるパートナーです。アイデア出しや言語化の壁打ち、リサーチの入口、ラフ案の量産など、「思考を加速させる装置」として使っています。一度AIに一気に出してもらい、そこから自分が整える。足りない部分を見つけて、磨いていく。この工程がとても重要です。文章でもロゴでも同じです。短納期の案件で大量に案を出し、その中から“種”を見つけて発展させる。かなりの時短にもなりますし、自分では思いつかない視点に出会えることもある。ただ、最後に決めるのは人間です。「これはいい」と見出し、整え、価値にする。その役割は変わらない。AIが敵になるかどうかは、主導権を握れるかどうか。僕にとっては、可能性を拡張する“右腕”のような存在です。
ーー普段の仕事をしながら展示準備を進めるのは、大変でしたか?
締め切りが重なると、正直きついです。夜遅くに仕事が終わって、「ここから展示準備か…」という日もありました。やっている最中は後悔するのに、終わると「やってよかった」と思える。この感覚は何度も経験しているので、つらさは一時的だとわかっている。しかも自分で「やる」と決めたことだから、踏ん張れるんです。独立して強く感じるのは、「自分で決める」ほど人生は濃くなるということ。指示通りに動くだけの状態が、僕は怖い。仕事も自主制作も、最終的にどう動くかを決めているのは自分です。スケジュールも状況に合わせて組み替える。飛び込み案件はヒヤッとしますけどね。展示準備では、完璧を目指しすぎないことも学びました。120点でなくてもいい。世に出すことのほうが大事。そして展示は、完成がゴールではありません。目の前で誰かが見て、感想をくれる。その瞬間に立ち会える。普段の仕事ではなかなか得られない実感です。誰かが足を運んでくれる。その事実だけで、「やってよかった」と思えるんです。
表層美から構造へ。AI時代に挑む、次のデザイン
中学一年生のころに、親が持っていたパソコンを使って、姉と兄と一緒に「ホームページ」を作りました。そのWebサイトの管理人として、それから更新作業などを担当することになったのですが、そこで季節ごとに背景を変えたりして、デザインの原体験をしました。
僕は大学を卒業した後、デザイナーとして就職を目指すためにデザインの専門学校を探し始めました。まず、年数としては2年制で、短い期間で就職まで行きたいという思いがありました。これは焦りもありました。同期の周りがどんどん就職していく中で、自分はまだ就職ができない。ひとりだけ就職できない、みたいな状態だったので、3年・4年と就職が後ろになるのは避けたいと。そういった中で専門学校を探していたのですが、1つは「渋谷」という土地に惹かれたことでした。
惹かれたといっても、自分自身はどちらかというと苦手意識のある街で、若者の街といったイメージでした。僕自身、そういった若者文化にどっぷり浸かるみたいなことがあまりなく、それを端から見ているようなことが多かったのですが、デザインを学ぶことを考えたときには、情報の先端に触れていたほうが良いと思いました。その点でいくと、渋谷という街をちょっと恐れているとか怖がるというのはあまり良くない。むしろそれを迎えに行くくらいのほうがプラスに働くのではないかなと思いました。そして見学に行ったのですが、その時に卒業生の先輩方の実績のレベルの高さといいますか、輝かしい功績みたいなものを拝見して、そこに夢というか希望というか、そういったものを感じました。これが2つ目です。
3つ目は、その時に対応してくださった職員の説明に、とても熱があったことでした。話してくださる内容ももちろんそうでしたし、紙に向かってテキストを書いてくれたのですが、説明をするときに対面で書いているのに、こちら側が読めるようにひっくり返して文字を書いて説明してくれていたのがとても印象的で。こんなに熱量のある職員の方が支えている学校というのはとても面白そうだなと感じました。
最後に決め手となったのが、私が入学した学科の存在でした。渋谷にある企業とのコラボレーションにより、実践の中で企画からデザインまでを学ぶ、というコンセプトが刺さりました。
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「デザインというものは課題解決だ」というようなことを、図書館で読んだデザイン本などで聞きかじっていた当時の私は、企業の実際の悩みに対してデザインを作れる機会が多いということが、とても魅力的に感じました。「はやく就職がしたい」という一番の悩みを考えたとき、就職で必要な「ポートフォリオ」作りにも直結する。ここで学んで、デザイナーとして社会に出るぞ!と決めました。
いくつかありますが、佐藤先生という方のある日の授業で「パッケージデザイナーさんの展示に行こう」という回がありました。そこで大手有名ブランドや商品に携わってきた方々の作品を観て、ご本人が在廊していたので会話もさせていただいたことが印象的な授業です。当時、広告デザイナーの世界のイメージが「忙しくて、スルドイ」という印象だったのですが、こんなに雰囲気の柔らかい方々が、高度なデザインを生み出しているのか、と。その後には、フリーペーパーの取材でインタビューまでさせて頂くなど、パッケージデザインの世界にどんどん惹かれていくきっかけともなりました。(のちに本当にパッケージデザイン会社に就職できたのだから、人生は何が起きるかわかりませんね!)
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二つあります。自主制作と、部活に入ったこと。自主制作は、私はなかなか一人だとデザインが作れないのですが、「依頼を受けて人の名刺を作る」などの機会があれば、率先して手を挙げるようにしていました。そこに金銭が発生しようとしまいと、「就職」というひとつのゴールに向かって間違いなく一歩進めるはずだ、と考えていました。なので、昔の友人からの依頼や、写真校の方の名刺など、様々な機会に挑戦しました。やはり初心者なので、自分も相手も心地よいと感じるデザインを作るのは簡単ではなかったのですが、もがきながらなんとかやっていました。最終的には、それらがポートフォリオに載ることはなかったのですが、実践経験の中で磨かれていくタイプのスキルがあると思っているので、短い期間でレベルアップできたなと思います。
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もう一つは部活動。当時、二年生の就職が決まったあとにラウンジでだらだらしていたら、どういう経緯か忘れたのですが、(当時)軽音部の人が声を掛けてくれて、高校生の頃にバンドをしていた、と話したところ「ライブ出る?」と誘ってもらえて、卒業ライブの一バンドに混ぜていただきました。急に現れた、いきなり卒業する部員にも関わらず、みんなすごく受け入れてくれて、一気に学科と学年を越えた友人が増えて、とても嬉しかったのを覚えています。大学を出てから就職するまでは、趣味のゲームもなるべく我慢して2年間頑張る!と思っていたので、解放感、うれしさもひとしお。いまでもその時の軽音部の人たちがバンドを続けていたりするので、いまでも観に行ったり、演奏に混ぜてもらっています。
卒業してすぐは、実はデザイナーという職業ではなく、オペレーターという職業でパッケージデザイン会社に入社しました。これは、デザイナーやディレクターが指示する内容を、手書きラフをもとにデータ化を担当するという仕事でした。フォーマットが決まっているシリーズの横展開、新しい商品の名前を入れたり、柄を作ったり。作ったデータが実際に店舗に並ぶのを楽しみに、1年半ほど過ごしたのちに、デザイン部門に異動となりました。
行きたい会社がわからない……という期間が一番悩みました。大手には応募してみるものの、まったく採用とはならず。悶々としているうちに、NDSの就職相談に通い、見つけていただいたところに就職が決まりました。
ブランド作りのブランディング・デザイン、強みと打ち出し方を整理するリブランディングのデザインを主な軸として、企業やサービスの「なにをどう伝えるか?」の整理整頓と世界観作りをしています。アウトプット先は依頼により幅広くて、CI、VIなどのロゴデザイン関係や、様々な場面で共通で使われる「キービジュアル」の作成、Webやパンフレット、書籍の装丁、時には制服、オフィスやトラックの外装、神社のお守りや御朱印など、本当に様々。様々な専門性を持つクリエイターさん方と協業したりして、困りごとがあれば解決方法を一緒に考えるスタイルで仕事をしています。
ひとつは、現在も「デザイン」の枠を超えて、言葉を作る「コピーライティング」も仕事として行うようになっているのですが、今後さらに、表層美をつくる意味での「デザイン」から、仕組みや構造をつくる「デザイン」にシフトしていきたいと思っています。今回の展示で挑戦した制作物もそのうちの一つだったりするのですが、AIの発展も目覚ましい昨今、いままでと同じ場所に留まり続けるよりも、新しくて面白そうで、そしてよりよい未来を感じる方向性に向かって進んでいきたいなと。もう一つは、今はひとりデザイン会社なのですが、社員を雇えるように体制を整えて、外部の方ともチームを組み、大きな輪のなかへ自分を持って行きたいなと思っています。
まだデザイナーじゃない、ということでしたら、やはり自主制作。大手有名企業の場合は分かりませんが、中小の企業が面接で見たいのは、スキルのほか「人柄」と「熱意」だと思います。「おおー自主制作でこんなものを。どうして?」と聞きたくなりますし、その会話を通じて自分の会社にいる人達とも雰囲気が合いそうだな、と見ているようでした。あとは、好きなことに打ち込むこと。オススメです。「何かを頑張る」というスキルは、じつは何にでも応用できます。そして打ち込んでると、当たり前ですが、楽しい。お得です!
デザイナーになって10年ほど経ちますが、いまでも「デザインが作れるってうらやましい!」とめちゃめちゃ言われます。AIでポン出しでデザインができる!みたいな手法も含めて、どんなツールを使ってもいいと思うのですが、「あったらいいな」を「形にできる」のは素晴らしいことです。僕は、大学を出ても就職ができず、デザイナーとしても就職できず、と残念続きの20代でしたが、チャンスにしがみついていたら何とかなりました。これはたくさんの人に助けられた末のラッキーですが、めちゃエリートじゃなくても、何とか楽しいデザインはできています。
安村さんありがとうございました!
■Profile
安村 晋(やすむら しん)/ クリエイティブディレクター・デザイナー (SHINWORKS Inc.) 1988年生まれ、東京都出身。青山のデザイン会社に勤務後、2018年に独立。2022年に法人化し「SHINWORKS Inc.」を設立。ブランディング・デザインを主軸に業界を問わず、VIの策定・実装からWEB制作、パッケージや装丁まで生活者の接点となり企業やサービスの顔となるデザインを得意とする。