Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー vol.6

学校法人呉学園 日本写真芸術専門学校には、180日間でアジアを巡る海外フィールドワークを実施する、世界で唯一のカリキュラムを持つ「フォトフィールドワークゼミ」があります。

「少数民族」「貧困」「近代都市」「ポートレート」「アジアの子供たち」「壮大な自然」、、

《Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー》では、多様な文化があふれるアジアの国々で、それぞれのテーマを持って旅をしてきた卒業生に、思い出に残るエピソードをお伺いし紹介していきます。

風の谷の少女の恋に寄せて

PFWゼミ4期生 山本 友来

 

18人乗りのプロペラ機で降り立ったネパールのジョムソン村は驚くほど小さく、なんだか閑散としていた。

2009年7月7日のことである。

ヒマラヤ観光オフシーズンのジョムソン村には、何もない。
あるのは、青空と、砂混じりの風と、濁った河と、強烈な紫外線と、黄褐色の山肌。

10分で往復出来る空港前のメインストリートの端から端までぎっしり並ぶホテル兼お土産屋は3分の1ぐらいが閉まっている。
観光客もほとんどおらず、見かけたとしても、季節外れのトレッキングの途中に立ち寄った欧米系のグループが数組と、聖地ムクティナートを目指して巡礼中らしきインド系グループと修行僧たちがちらほら。
一人旅はまず見当たらない。

住民もシャイで遠慮深く、目が合えば挨拶はするけれど、それ以上は近づいてこない。直前までいたインドの、人酔いするほどの喧騒とコミュニケーションの圧に疲れ切っていた私には戸惑いを覚えるほどの淡白さで、少し寂しさすら感じていた。

それでも毎日村を歩いていれば、顔見知りも増え、打ち解けていく。

メンドクという名の15歳の少女と出会ったのは、滞在3日目のことだった。

ゆっくりとした英語で穏やかに質問に答えてくれる彼女とは波長が合い、私たちは仲良くなった。

一緒に歩いているうちに、なんとなく恋愛の話になった。

「結婚相手は誰が決めるの?」と聞くと、
「多分お父さんが。」と答える彼女。
都会では恋愛結婚も少しずつ増えているけれど、やはり大部分は両親が決めた相手とお見合いするらしい。
ネパールの女性は、割と結婚が早いそうだ。
彼女もそろそろ周りが相手を探し始める年頃。
本当は自分で決めたいんだけど…と恥ずかしそうにうつむいた彼女を見て、もしかして好きな人がいるのかな?と思った。

ネパールの休日は土曜日。
撮影するならいい場所を教えてあげる、というメンドクに連れられ、朝からハイキングに出かけた。
ハイキングと言ってもひと山ふた山は軽く越える。

彼女はいつものTシャツとジーンズではなく、ドレッシーな姿で現れた。

こんな靴で山道を何時間も歩くのだ。

山を越えてティニという村につくと、待っていた少年と合流した。
オシャレの理由がわかった気がした。

彼らは私の撮影を邪魔しないようにと、少しうしろを仲良く歩きながら道案内をしてくれた。

ジョムソンを発つ前日の夕方、ホテルの部屋までふたりで遊びに来てくれた。
「ふたりは恋人同士なの?」
と聞いてみた。
彼女はただ恥ずかしそうに笑っていたけど、彼ははっきりと、
「そうだよ、彼女は僕の大事なガールフレンドだ」と言った。

あれから12年半が経った。

メンドクは慣習通り、お父さんの決めた相手と結婚したのだろうか。

それともあの彼と、今も仲良くやっているのだろうか。

メールアドレスを持っていなかった彼らとは、連絡先を交換することができなかったので、知る術はない。

「また来るね」と行って別れたけれど、そしてそれは社交辞令のつもりなど全くない本気の言葉だったけれど、いまだに実現できていない。

そんな出会いと別ればかりの旅だった。

 


 

あの旅で何か私の⼈⽣が劇的に変わったということは、正直ない。
むしろ、⼈間半年間旅をしたぐらいでは変われないのだということを思い知らされた経験であった。

半年では何も変わらなかったが、
旅を終えてから今原稿を書いているこの12年半では、世界も、私も、あまりに多くのことが変わった。
写真学⽣だった私はプロのフォトグラファーの端くれとなり、27歳の⾃由気ままな若者から40歳に差し掛かる⼆児の⺟となった。

誰もがポケットに収まる超薄型の機器で⾼精細の写真をいつでも撮れるようになり、それをどこからでも瞬時にほぼ無料で世界中の⼈に⾒せ合うことがきるようになった。
「地球の歩き⽅」だけが頼りだった⾒知らぬ⼟地の情報も、個⼈発信の物語も、今はSNSやインターネットに溢れる量が桁違いだ。

⾏かなくても、会わなくても何かを知った気になれる世界が広がっている。

スマホが普及する前の時代に何も知らない若い感性で旅に没頭できたことは、今となっては本当に幸運だったと思う。

さらには感染症の流⾏が対⾯でのコミュニケーションを断念させる事態となり、最近では⼤きな戦争まで始まって、ますます海外に出かけていくことのハードルが上がっている中、直接出会う、偶然に出会うということの貴重さを改めて強く感じる。

今回この⽂章のオファーをいただき「FWの旅で思い出に残る1⽇」というテーマで記憶を掘り起こした時、浮かんでくるのは全て、出会った⼈についての思い出だった。

それはどれも個⼈的で些細な出来事や会話であり、
183⽇間をかけて私が受け取ったものは壮⼤な⼈⽣観なんでもない、恋バナとか笑い話とか⽇常のあれこれといった、個別バラバラのエピソードの⽋⽚であった。

在学中に⽿にした「⾃分の半径5メートルの視点だけで済ませるなよ」という先⽣の⾔葉を「もっとグローバルに物事を考えよ」という意味に捉えて⾃戒のように反芻してきたけれど、あれから⾃分なりに経験を重ね、他⼈様のプライベートを写真に収める仕事をしてきて感じるのは、この⾔葉のもう⼀つの意味についてだ。
それは「⾃分ではない遠い誰かの」半径5メートルを丹念に知ることで⾒えてくる世界があるという実感である。

さて、この旅を綴った当時のブログタイトルは「ちょっとそこまで。」としていた。
疫病や戦争に自由な移動や交流を阻まれる昨今。
フィールドワークコースの後輩たちを含むこれからの若い人たちがまた、このような偶然の出会いを求めて「ちょっとそこまで。」と気軽に世界へ飛び出していける、見知らぬ街の生身の誰かの恋の話に直接触れられる、そんな世界が1日も早く戻ってくることを願ってやまない。

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