菊池東太のXXXX日記 vol.11
わたしはナバホ・インディアンの写真でデビューした。
ところが今になってその写真に納得がいかなくなってきた。インディアンと呼ばれている珍しい人たちという視点で彼らを見、シャッターを押していた。同じ人間という視点ではないのだ。
撮り直しに行こう。最終作として。この考えに至った経緯も含めて、これから写真家を目指す若者たちに語ってみたい。
▼vol.1からご覧ください
▼前回はこちら
大リーグ野球の大谷が投打二刀流で活躍していることは、日本で大々的に報道され、野球人気が盛り上がり、今までテレビで野球を見なかった人たちまで、テレビの前に集まってくるという騒ぎになっている。
ところがアメリカでは決してそうではない。
スゴイ、おめでとう、という人たちもいる。
だが、それは日本での手放しの喜びようとは少々異なっている。
こういったところは、報道されていない。日本人が喜ぶ部分だけが流されている。
野球の神様、白人ベーブ・ルースの記録をイエロー・ジャップが破ったことが気に食わない人がかなりいるのだ。
日本人として大変に残念なことだが、これは事実だ。人間というものは相手に肌の色や国籍などさまざまな理由をつけ、自分をより優位な位置につけようとする。
それが差別につながっていく。
有色人種の日本人は基本的に差別される側にある。だが、ときに差別する側にもなる。
同じ黄色人種の中国、韓国、朝鮮人に対する日本人による差別がある。
現在は少しましになったとはいえ、まだまだその感情はお互いに残っている。
差別される側の話にもどす。
わたしが今まで知っている範囲で、日本人として最も酷い人種差別だと感じたのは以下の話しだ。
第二次世界大戦中、どこに原子爆弾を投下すべきかがアメリカなど連合国側の会議で問題になったことがある。
出来たばかりの新型の核爆弾、原子爆弾をどこに落とすか。製造国アメリカとしては、さっさとどこかに落としてテストをしたい。「やつらはイエローだから」
会議の中での某国代表のこのひと言で、日本に原爆を投下することが決定したという。この発言はこのときの会議録に残っている。
連合国側は日本といっしょに戦った白人の国、ドイツやイタリアではなく、有色人種の国、日本に落とすことを選んだ。
この時点で連合国側の勝利はすでに決定的だった。
だから戦術的には新型核爆弾を日本に落とす必要はなかったのだ。しかも近々に日本が敗戦を宣言するだろうことを、かれらは察知していた。
それからでは壊滅的で決定的な攻撃(核爆弾投下)をするわけにはいかなくなる。そうなる前に落としてしまえ、ということだ。
この日本という国の中にいると、我々日本人には見えない、もしくは見えにくいことが多々あることを知っておいたほうがいい。
日系アメリカ人強制収容所の話にもどる。
強制収容といっても、野球やバスケット・ボールをしたりするぐらいの自由はあった。
そのほうが大勢を管理する側にとっては、人心掌握が容易だということだ。ガス抜きをしておくのだ。
何らかの事情で建物を解体したのだろう、錆びた釘がいっぱい地面にちらばっていた。
また、非常に数多くのリンゴの木があり、実がなっていた。父祖の地を想って造ったのだろうか、日本庭園の跡もあった。収容所内にだ。
1988年8月、合衆国大統領ロナルド・レーガンは議会で元収容者たち、日系人へ強制収容について謝罪し、1人につき2万ドルを支給することでこの問題に決着をつけたことになっている。(TOP画像:1988年8月レーガン大統領と日系アメリカ人)
わたし菊池東太自身の写真展にまつわる話は、今回で終わることにします。長いことお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
次回からは、わたしと何かの縁で学生になった人々のなかから、それぞれの写真展に至った流れ、いきさつなどを述べてみたいと考えております。
尚、ナバホ・リザベーションにはあらためて訪れ、よりピュアな眼でかれらと接し、もう一度カメラを向けてみたいと考えております。