写真に触れて見る「凹凸写真」②

※写真に触れて見る「凹凸写真」➀の続きとなります。

写真に触れて見る「凹凸写真」➀

 

ー西尾さんは毎日のようにお仕事が終わられてから撮影をされているんですよね?そこまで写真に興味を持たれた理由を教えて下さい。

(西尾)私、三十五歳ぐらいで見えなくなったんですけども、見えなくなった時にもう自分は見て楽しむっていうのはないんだなって。必要ないっていうかできないんだなっていうことで、映画見るとか、本を読むとか、絵を見るとかね。他に楽しみもいっぱいあったんで、それは別になくてもいいんだっていう風にしてたんですね。それ以降、しばらく見るっていうことを自分の頭の中には、すっかりなかった。それが、写真教室に参加して、写真を通して見るということをやった時に、撮った風景が自分の中に綺麗な形で返ってきた。見えるんだっていう感じで。それがねすごい面白くて。

(管沼)それは先ほどおっしゃったように頭の中に描かれている感じですね。

(西尾)自分はそんなものないんだと思い込んでたんで、それが帰ってきたっていうことと、写真という、フレームの中に風景を取り込んで、切り取って、そのイメージを自分の中に作っていくって言うかね。そうすると、なかったはずのところにまた新たな、綺麗な風景が帰ってきて。それが、凄く面白くて。たまたま、最初にガイドしてくれた方が写真家だったんですよ。それが、良かったんですけど。非常に刺激的な体験でしたね。何十年ぶりかに、別れた恋人にまた出会ったようなね。

(管沼)それは視覚的なものという風に、ご自分でも認識されていくっていうことですよね。

(西尾)そうなんですよね。そういう風に思っている人も視覚障碍(の方)もそうですし健常者の方も多いと思うんですけど、視覚障碍だから風景が見えないんだっていう風に。それもね、かなり違うなっていう感じがしました。

(尾崎)一つ、西尾さんに質問があって。別れた恋人と何十年ぶりに会ったじゃないですけど、いい場合もあれば悪い場合もあるじゃないですか。別れた恋人がだいぶ変わってとか。それと同じように西尾さんって、失礼だけど、どんなに言っても視覚的には確認ができないわけじゃないですか。例えば、ガイドさんから伝えられた、自分的にはすごくよく撮れてると思ってたのになんか全然違うとか、そういう怖さとかはありますか?

(西尾)それはありますね。見えないんで、現場に行って見てもらう。それから、撮った写真を見てもらうっていうのは、二回見てもらわなきゃいけない。一眼レフを買って、これから撮るぞっていう頃に、急に天候が変わったりすると、写真を撮りに行きたいなと思ってもいけない訳ですよ。ガイドを予約しないといけないので。見えてたら、自分で撮れるなと思って、非常に地団駄踏んだ時期があったんです。でも、仕方がないので、そこは我慢して、ガイドさんと一緒に撮る。撮った写真を見れる人に見てもらう。それを繰り返してるうちに、それってすごく面白いことだなと思ったんだよね。写真って普通、一人での作業じゃないですか。それを二人で撮りに行って、二人でわあわあ言いながら見る。これ結構楽しいなと思ってね。それから、急に天候変わって撮りに行きたいって衝動があるにしても、次に撮ればいいやっていう感じになりました。人と一緒に撮りに行くっていう楽しみのほうがなんか楽しい。それもハマりました。

 

ー西尾さんの写真は途中からモノクロに変わってきましたよね。

(西尾)色は見えないとね、その都度考えなきゃいけないんです。色は考えないとが出てこないんです。単純な色なら分かりますけどね。複雑な微妙な色とか、そこらじゅうに色が混ざってるのを、説明を聞いて、頭の中でこれとこれとって考えなきゃいけないんで、それやめたんです。そうすると、写真が自由になったというか、制約がなくなったんで、楽に撮れるようになりましたね。あんまり考えなくていいんで。だから今、白黒ですね。

(管沼)それはやっぱりフォルム、形に興味があるっていうことなんですか?形とかテクスチャとかそういうものが面白いと思われるてるというか。

(西尾)形はちょっと分かんないけど、複雑じゃなくなりますよね。モノクロにすると。白と黒だけ考えればいいので、余計なことを考えなくていいので、それが凄く楽に撮れるようなりました。

(管沼)たくさん西尾さんの写真を見てきた尾崎さんどうですか?

(尾崎)基本的にやっぱり色も説明した方がいいと思います。なぜかと言うと、例えば小さい頃から目が見えない方と、色のある生活をされてる方、要は言葉で説明している家庭とそうじゃない家庭だと、大きくなった時にどれくらい色に関して想像ができるかってなった場合、きちんと色のある生活をしてきた方は、仮に目が見えなくても大体同じような感じで色に対して想像ができるという、科学的なデータがあります。データベースとしてはあるんですけど、写真を撮る部分に関して、西尾さんがいらないっていうのは、情報量があまりにも多くなっちゃいますし、違うことのイメージもしないといけないっていう、そこの難しい部分が発生するんです。たぶん、西尾さんはそれでカラーはいらないっていうことで、それよりも、もっと違うイメージを持っていきたいっていうことで、おっしゃってるんだと思います。

(管沼)違うイメージっていうのは、モノクロにすることによって、想像することが容易になる。色があると一枚のイメージを考えたときに時間かかるし、複雑になっていくから、なるべくシンプルに想像ができるということで、モノクロになっていくっていうことですかね?

(西尾)そうですね。いろんな色がある写真よりも、モノクロで白から黒に微妙にグラデーションしていくような写真の方がなんか美しいなっていう感じがする。だから白黒にした部分もあります。

(管沼)尾崎さん、ずっと西尾さんの写真をご覧になってきてどんな変化がありますか?

(尾崎)根底に流れる部分は同じだと思うんですけど、最近撮られた写真を今回のトークイベントに関してお渡し頂いて、心象風景じゃないですけれども、そういうのを撮られるようになってきたかなと。西尾さんは展覧会とかもされてるので、写真家の領域だと思うんですけども。

 

ー東京駅の写真を含めて、作品の解説をお願いします。

(西尾)尾崎さんのところで学んでから、写真が楽しくて、5・6年は毎週のように撮りに行ってたんです。それは目が見える人と一緒に撮りに行って、見てもらって何がどこにあるかっていう、モノをいっぱい撮ってたんですが、それはその人が見てその人がいいなと思った写真なんですね。まあそれも楽しかった。見えなかった自分に、そのモノが見えるぞっていう、そういう楽しみがあったんです。ただ、それちょっと自分が描いてる風景とちょっと違うなと思い始めた。それで、自分が見てるのってどういう風景かなって考えた時に、視力がだんだん見えなくなってきたのが二十代後半だったんですけどね。その時、何とか治せないかと思って、あちこちまわったんです。どこの医者もはっきり言わない。しばらく様子見ましょうみたいな感じ。で、ある医者に行ったときにね、あんたもう見なくなるから、治療なんかしても駄目だよって言われた。もう準備してそっちの道へ行きなさいって。もう来なくていいからって言われたんですけど。ものすごいひどいこと言われたけど、今思うと、そう言ってもらってよかったんです。それがなかったら、まだちょっとさまよってたかもしれない。その医者に行った帰りに、近くの駅から電車に乗るんですけど、絶望感で、どうしていいか分かんないんですよね。今いる社会から自分がだんだん外れていくんだなって。その駅のコンコースの柱にもたれて二時間ぐらいぼーっとしてたんですよ。その時見てた風景っていうのが、多分この駅のぼけた風景。

写真としてどうかと思うんですけど、写真だけ見たら何ですかこれってなる、失敗写真です。説明をつけると、多分なるほどっていう話になってくる。今まで写真にコメントをつけるって邪道だと思ってて。尾崎さんに相談したら、つければいいんじゃないのって簡単に言われちゃったんで、そうかと思って、コメントをつけて展示したら、すごくわかってもらえるような。そういうやり方っていうかね、すごく自由になってきて。自分の中のイメージっていうのはこういう感じっていう。写真だけ見たら意味がないんですけど、コメントをつけると、その写真が生きるなっていうことで、なんかものすごく広がったというか変化しましたね。モノを撮ってるというよりも、その時の心象風景を撮ってる感じになりましたね。すごくね、自分の中にあったものが自然に出ている感じで気持ちがいい。あともう一つ、それも心象風景なんですけど、写真を撮って知り合いのデザイナーにその写真にちょっと手加えてもらう。そういう写真、写真とは言えない、絵かもしれない。そういうのをちょっと最近作るようになりましたね。

(管沼)作品を作ってるような感じですよね。アプローチの仕方っていうのはね。

(尾崎)美大で西尾さんとやらせてもらった時に、個人的にすごい嬉しかったなと思うのは、西尾さんが、写真をやってて何が一番面白いですかと質問されたときに、色んな人と会えるのが一番面白いですよって言ってて。多分それってもう変わらないと思うんですけど僕と。西尾さんの場合って、どこかに出るのは誰かと一緒に行かないといけない。また、見るのも誰かと一緒に行かないといけない。さらに出来上がった写真をデザイナーさんとやって、また一緒に作品作るっていう、多分それも楽しいのかなと思います。一回そういう世界は自分にはできないって思ってた人たちから、逆になんか一緒にやりましょうっていう声がかけられるのがすごい面白いのかなって。

(西尾)これは面白いですね。人とできない自分だから、こうできる人と一緒にやるっていうかね。その組み合わせっていうのはね、一見ネガティブですけど、実は面白いっていう感じになってきてね。

 

ー写真教室をされていますが、印象的な出来事はありますか?

(管沼)ガーディアンガーデンでギャラリーの仕事をしているときに、皆さんと一緒に若い方たちと一緒に写真教室やらせていただいて、皆さんのヘルパーとして、若い作家たちが付いて、写真を銀座に撮りに行ったりしましたけど、その時に山口さんがおっしゃったことが「さっき僕に付いてた彼女、すごく優秀だね。凄く良い写真家になるよ」ってボソッとおっしゃったんですよ。で、実際にその子、ほんとそういう風になっていってるんです。それはどういうところでそんな風に感じられたのかなっていうのがちょっと不思議だったんですけど、山口さん覚えてます?

(尾崎)小柄でなんか可愛い声してるとかじゃないですか笑

(山口)私は、写真教室を通じて色んな人に出会うのが楽しみ。一緒に歩く人の視点が全部違うから、それを説明する仕方も全部違うんですよ。銀座を歩いたときに、マンホールとかね、ドブとか、そういうのばっかりで説明する人がいて、そういう写真を集めて撮ってるんですよみたいなこと言ってたんです。マンホールなんかちっとも面白くないね、ドブなんか綺麗でもないしと思ってたんだけど、そういう人もいるんだなとかね。一枚の写真でその人の生き方っていうか、人となりっていうのが分かるまで、説明ができればすごい写真だなと思って聞いてたんです。そういう面では本当に一枚の写真でも面白いのかなと。あとは、人との出会いで、視点が違うっていうね。私たちはもらった情報量でイメージするわけですけども、その情報は一緒に歩いてくれるガイドさんによって情報の出し方っていうか質も量も違うわけですから、受け手としての視覚障碍者がどう組み立てるか違ってくるから、その辺の面白さってあると思うんですよね。私は適当に組み立てて、はー、はーと言いながら頭の中でこれは違うぞって思いながらも、組み立てるところがあるんだけども、そのへんの面白さがあるのかな。だから私は一人で撮るって事は、ほとんどやってないんですね。いつも誰かに一緒にくっついて写真を撮るということで楽しんでるんです。

(管沼)そっか。私も山口さんと何度かご一緒しまして、私がここにこういうものがあります。面白いですよって言ったら、山口さんシャッター押さなかったってことは私の言ってること全然信用してなかったんですね笑 でも西尾さんも一緒に付く方によって写真変わりますよね。

(西尾)変わりますね。それは人の影響だと思うんですけど。でもまあ自分が本来そういう写真撮りたかったんだなっていう気はしますよね。

(管沼)ご自分の撮りたいものに合うような人と出会った時には写真が深まっていくということですね。

(西尾)そういう人の影響が大きいですね。

(尾崎)西尾さんのガイドってしたことないんですよ。西尾さんが撮りたい写真っていうのは大体分かるので。ぱっと見せる分とかにはちゃちゃっといけると思います。けど、それって僕は西尾さんの好きな写真を知ってる西尾さんに寄せちゃう可能性もあるので、そうするとたぶん今の西尾さんからしたら面白みがないやつって思うかもしれない。もっと新しい視点をくれっていう。

 

ー写真教室の面白さを教えて下さい。

(尾崎)そうですね。僕自身も自分で写真撮ったりするんですけども、それはこうなんか突き詰めたいものがあって。主に人を撮るんで、人間のことを突き詰めたいって部分はあるんですけども。目の見えない方の写真っていうのは、要は見るっていうことが何なのかっていう。僕らは今もカメラマンで仕事をしてたり作品を撮ったりしている。いわゆる見るっていうことを専門的にやっている人種なわけなんですよね。お二人はそれができなくても、人生を生きてる方たちなんですよね。じゃあそれを知ることによって、より見るっていうことは何なのかっていう。それが知れるっていうのが一番やっぱり面白いところなのかなって思いますね。

 

ー尾崎さんは今どのような写真を撮っているのですか?

(尾崎)ホスピスです。ちょっとコロナで行けてないところはありますけど。

(管沼)ご自分の写真をフィードバックされるようなこととかは?

(尾崎)さっき言ったみたいに、西尾さんみたいになかなか一枚の写真だけでは伝わらない部分とか、そういうのはあったりするわけなので。その辺は似通っている部分はあるのかなと思いますけど。

(西尾)尾崎さんの写真を私、実際は見えないですけど、説明を受けてね。尾崎さんの写真って、匂いがするんですよね。例えばタバコの匂いとか血の匂いとか。それからね泥の匂いとか。そういう匂いがするなと思いましたね。汗臭さとかね。そういう感じしました。人間のなんかその、もっとこう深いというか、汚れた部分を尾崎さん、撮ってらっしゃるのかなっていう。そういう汚れがその人間臭いっていうかね。そういう感じがしましたね。

(尾崎)今撮ってる、ホスピスとか何年も撮ったりしてるんですけども。やっぱりある程度通っていると、あ、この方亡くなるなみたいなのが分かるのは、やっぱりそれが臭いであったりするんですよね。結局、普段僕らが生きていて、なかなか人が死ぬことって直面しないわけなんですよね。そういう時を何度も、言い方は悪いですけど、経験ができるじゃないですけど、そうなった時に、人ってもうみんな分かってるかもしれないけど、生まれてから死ぬことっていうのはみんな一緒じゃないですか。ただ、最後の死ぬことってなかなか経験することが少ないので。それが日常の中の一環だっていうのはすごい感じたりするところがあるので。そこがなんかうまく写真につながってれば、さっき言ったような、人間臭いとかそういうのが出てくるのかなって思います。

 

ーこれからのビジョンや、将来的にやっていきたいことを教えて下さい。

(山口)情報っていうと、視覚障碍者の場合は文字情報がメインだったんですよね。でも画像データの大切さっていうのは、見直されてきて、視覚障碍者でも、実際に画像のデータを共有しながら、生活をエンジョイするとかね。子育ての中で、医療の中で、赤ちゃんがちょっと具合悪いから写真を撮って、お医者さんに画像で見てもらう。これからやっぱり、視覚障碍者も画像データで、いろんな形で情報交換ができ、楽しみも、生活の中で役立つことも、たくさんあると思う。だからそれを育てる意味でも、まずは写真から始まって、画像から動画から色々あるけど、そういう意味ではすごい尾崎さんは画期的なことを始められたんですね。

(尾崎)やっぱり今は、テクノロジーの進歩がものすごいんで。しかもスマホもすごいじゃないですか。僕ら当初やり始めたときはフィルムからデジカメになって、この写真教室ができるようになったんです。今はどんなカメラ買えばいいですかって言われた時に、いやスマホで十分で、iphoneで全部やってくれるわけじゃないですか。そしたらまた今度、五年後、十年後になってもっと変わっていくと思うんですよね。

(管沼)もうスマホの画面に凹凸が出てくるような。

(尾崎)3Dでボンッつてなる可能性はありますし。

(管沼)その時にね尾崎さんの、今の技術が生かされるという。

(尾崎)現状ネットでできるのは、いわゆる聴覚であったりとか、視覚である訳じゃないですか。嗅覚であったり触覚っていうのはまだできないですが、今後それがどうなるか全く分からないので。バーチャルの世界というか。バーチャルって言ったらこの方達はいわゆるバーチャルじゃないですか。なので、逆に僕らがそっちの世界に入っていってっていう、また違う体験ができる可能性もあるので。そうするとコミュニケーションがさらに取れるのかなと。

(山口)香りとか匂いとかね、そういうのができるようになるとすごく違うと思うんですよね。五感があるうちに、視覚障碍者だから見えないと、あとの四つの中でやっぱり聴覚は色々情報を集める。触覚とか臭覚とか、そういうことも忘れないで、同時にそのITだけじゃなくて、機械だけじゃなくて、お互いの触れ合いの中で、人間と人間のふれあいの中で、写真を通してのコミュニケーションも、手段として使えるよって、そういう視点も大切にしていきたいなと思いますね。

(管沼)西尾さんはこれから撮りたい写真というか、こんなことに挑戦していきたいっていうのは?

(西尾)そうですね、今の写真の継続ですけども、写真展をできたらやっていきたいなと思って。昔、写真展がちょっと恥ずかしくて。無理ですよって言ってたんです、尾崎さんにも。一回やったら楽しくて。みんな来てくれるじゃないですか。嬉しくて。また今年の秋にやる予定なんですけど。みんな見に来てくれるのが楽しくて。

(尾崎)写真学校の学生さんが視覚障碍のある方の写真教室に興味があって来てくれたんですけど、普通に楽しく写真教室に参加されて、終わった後に食事会の時に、最初は視覚障碍がある人がどういう写真を撮るみたいな風に興味持ってきたんですけれども、たまたまその人がついた方が盲導犬ユーザーだったんですね。で、盲導犬ユーザーをヘルプして、撮影の介助してたんですけど、とある大きいチェーン店のコーヒー屋さんに一緒に入った時に、ウチちょっと犬は駄目だっていう入店拒否をされちゃって。それが結構心に残っちゃって。もちろん、きちんと説明して、それは大丈夫だったんですけれども。こういう風に拒否されるんだっていうのが。で、本当は写真に興味を持つ予定で来たのに、もうそっちの方が興味(の対象に)じゃないですけども。それがきっかけで興味を持ってもいいんですけれども、そういう写真以外、写真を含めてその方の世界観を広げるような会があればいいのかなっていうのは思いますね。

(管沼)私もそういった意味では、皆さんから視野を広げて頂いたところがあるので、ぜひそれを皆さんに伝えていきたいというふうに思います。

 

尾崎大輔(写真家)
1983年三重県生まれ。2006年、早稲田大学社会科学部卒業後、渡英。2007年、London college of communication(ABC diploma in photography)卒業。2011年より視覚障碍者を中心に知的障碍者、精神障碍者などを対象としたワークショップを多数主催。日本視覚障碍者芸術文化協会(Art for the Light)副会長。

菅沼比呂志
キュレーター。1963年生れ。’87年(株)リクルート入社。’90年若手アーティストを支援するギャラリー「ガーディアン・ガーデン」の立上げに参加。以後、若い世代の新しい表現を求めた公募展『ひとつぼ展』(’ 92~ ’08年)、「1_WALL」(’09年~)等の企画に携わる。’17年よりフリーに。’18年「粒子にのせた言葉~日本現代写真の源流」展( 韓国・古隠写真美術館/ 釡山)、’ 21年「とどまってみえるもの」展(横浜市民ギャラリーあざみ野)等を企画。現在、T3Photo Festival Tokyoの運営委員を努める。

山口和彦
1946年、東京生まれ。
上智大学を卒業後、25才の時に緑内障で失明。
1983年東京都失明者更生館の開設に伴い指導員として勤務。視覚障害者の自立生活訓
練指導を行う。また、視覚障害を持つ海外留学生へ支援する。
2009年12月 日本視覚障碍者芸術文化協会を設立、視覚障碍者のための写真教室、
「香り奏でる朗読会」などを企画、運営する。
現在、NPO 法人tOMO理事長。
2020年 厚生労働省から障碍者の援護功労賞を受賞。

西尾憲一 70歳
網膜色素変性症にて36歳のころ失明
一般企業を退職後はり灸マッサージ師免許を取得
現在 東京都台東区で 西尾はり灸治療室を運営
2011年10月 写真家 尾崎大輔氏主宰 視覚障害者と一緒に楽しむ写真教室に初参加
2020年2月 写真展 「盲目の写真世界 vol1」を開催
2022年11月22日より 「盲目の写真世界 vol2」を開催予定

文・PicoN!編集部 山﨑

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