「ニャーマ」スピンオフ2
ふたたび、アフリカへ
2023年-ケニア取材(1)
エミレーツ航空EK719便は2023年3月12日13時50分、ほぼ定刻通りにケニアの首都ナイロビにあるジョモ・ケニヤッタ国際空港に着陸し、私の「4年ぶり」のアフリカ取材がスタートした。
ケニアのコロナ禍は、2020年3月に初めてのコロナ感染者が確認されてから始まった。国際線の運航停止、夜間外出禁止、都市間移動の禁止、マスクの着用など厳しい規制が敷かれた。入国に関しても世界的な感染者数の増加により、「オミクロン株」検出国(日本も含む)からの入国規制や、新型コロナワクチンの接種証明書の提示など厳しいものとなっていた。
それでも2022年の秋ごろから西欧のコロナ規制緩和に歩調を合わせてケニアの入国規制も緩和され、私はケニア取材を決意した。
成田国際空港はマスク姿の搭乗者であふれていたが、経由地のドバイ国際空港(アラブ首長国連邦)ではマスク姿は半分以下になり、ジョモ・ケニヤッタ国際空港では一割以下に減った。空港スタッフもマスクを着けていない人が多い。
ケニアの入国審査ゲートの前にコロナワクチン接種のチェックポイントがあり、入国者たちはスマホに保存した証明書を見せて通過してゆく。私はスマホの不具合の発生も考えて用意していた紙の証明書(英語)を提示した。
担当者は証明書を一瞥しただけで、手に取ることもせず「行け」と合図した。日本出国前には対策に気を揉んだコロナ禍のヘルスチェックポイントを、あっけないほど簡単に通過した。
次はパスポートとビザによる入国審査だ。審査の列に並ぶ人々の半数はアフリカ系の人々、3割ぐらいは中国人を中心としたアジア系の人々、残りは中東やヨーロッパから来た人々だ。
女性の入国審査官は、笑顔で「カリブニ、ケニア」(ケニアにようこそ)と言いながら私のパスポートに手を伸ばした。数分後、「ハクナ・マァタァタ」(問題ありません)と言ってパスポートを返してくれた。彼女の笑顔にコロナ禍の入国審査の緊張と不安が消えていった。マラウイの入国で味わった「トラウマ」から、解放された瞬間だった。
ナイロビ-東アフリカの大都会
ホテルに着きチェックインを済ませ、早速ナイロビの中心街にタクシーで向かった。渋滞のひどさは聞いていたが、ホテルから2キロほどの移動に30分ほどかかった。車の増加に対して道路整備が後手に回り、市内の渋滞は物流などの経済活動を阻害する深刻な問題になっている。
ケニアは長くイギリスの植民地として忍従の時代を過ごしてきたが、1963年12月に独立を勝ち取った。独立以降様々な問題を抱えながらも、アフリカ諸国の中で有数の経済発展を成し遂げてきた。ここ数十年は日本や中国など外国の援助によって道路や橋、スタジアムなどの社会インフラの建設も進んでいる。モバイルフォンを片手に街を歩く人々の速さは、東京のビジネスマンたちと変わらない。
商店街のアーケードには、ファッショナブルな洋品店やしゃれたカフェが並び、東京の秋葉原のようにモバイルフォンやノートPC、テレビなど様々な電気製品を専門に扱う店が増えている。だがアーケード街の歩道に商品を並べて売る女性を見ると、「あー、やはりここはアフリカだ」と納得する。
コロナ禍では夜間外出禁止令と共に、マスク着用もルール化されたが、今はマスクを着けている人はほとんど見かけない。街角でマスクを売る40歳ぐらいの男性に話を聞いた。
「マスク一枚20ケニアシェリング(約20円)で売っている。2020∼22年は一日200枚ぐらい飛ぶように売れた。今は40枚売れれば良いほうだ。」
稼ぎは良くないがほかに仕事が見つからないとあきらめ顔でいう。コロナ禍で失業した人々は多いが、彼の場合はコロナ禍への無関心が、生活に不安をもたらしている。
初めての女性ドライバー
手を挙げてピキピキ(バイクタクシー)を止めた。渋滞に辟易して、少し危険だがホテルへの帰路はバイクタクシーを利用しようとしたのだ。ドライバーは女性だった。名前を聞くと「フェイブ」と名乗った。歳は20代後半ぐらいだろうか。
予期せぬ展開に躊躇する私に「6年間無事故でピキピキを運転しているの。安心して乗って」という。西アフリカや東アフリカで幾度もバイクタクシーを利用してきたが、女性ドライバーとの出会いは初めてだ。
何かの縁と思い後部座席に座った。運転はうまいが、途中で乱暴に車線に割り込んできた車のドライバーに向かって右手の中指を突き立てた。中指を相手に向かって立てるのは強い侮蔑のサインだ。同業のピキピキに追い越されたときもスイッチが入った。客を乗せているのを忘れたかのように、抜いたバイクを抜きにかかった。
「ポレポーレ、ポレポーレ」(ゆっくり、ゆっくり)と彼女の肩を叩いて私は叫んだ。
負けん気が強くなければ男社会のドライバーたちのなかで生き残れないのだろう。フェイブさんから大都市ナイロビで生きる女性の気概が伝わってきた。
風の丘-ンゴングヒル
ナイロビの街から西に20数キロの処に、30基ほどの風車が立ち並ぶンゴングヒルがある。ケニアの総発電量の約90%は再生可能エネルギーを利用して生み出されている。
地熱発電が40%、水力が30%、風力が16%である。石油や石炭資源がなく、輸入する財源も厳しいケニアは「再生可能エネルギー」の開発と利用に力を入れてきた。地熱発電所の建設や風力発電の風車の建設などに今も積極的に取り組んでいる。
ンゴングヒルに着いたときは15時を過ぎていた。はるか遠方に見えるナイロビの高層ビルの近くを、雨季の到来を告げる雨柱が通過してゆくのが見える。
今は下校時間なのだろう。小学校から家に向かう身なりの整った10歳ぐらいの子供たちが風車の脇の砂利道を登ってくる。その横では同年代の裸足の少年が、草をはむ山羊たちを見守っている。この山羊の世話をする少年の家にも風力発電の電気は届いているのだろうか。
撮影・文責 飯塚明夫
©IIZUKA Akio
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