【写真学校教師のひとりごと】vol.40 高田望について

わたし菊池東太は写真家であると同時に、写真学校の教員でもあった。

そのわたしの目の前を通り過ぎていった若手写真家のタマゴやヒナたちをとりあげて、ここで紹介してみたい。
その人たちはわたしの担当するゼミの所属であったり、別のゼミであったり、また学校も別の学校であったりとさまざまである。

これを読んでいる写真を学ぶ学生も作品制作に励んでいるだろうが、時代は違えど彼らの作品や制作に向かう姿が少しでも参考になれば幸いだ。


高田望はなかなか面白いヤツである。

今どうしてるのと聞くと、うん、パートナーと猫2匹と島で暮らしているよと、サラッと答える。
子供はいないようだ。

学校卒業後5年ぐらいの頃、祖母が住んでいる青森県三戸を撮って、ニコンで写真展をやった。
かの女は東京生まれの東京育ちだ。
だが、7年ぐらい前、博多にいる学生時代の友達のところに行ったとき、つい船に乗って島に渡り、その島、壱岐に住みついてしまった。
島に渡った1年後のことである。

この島いいなあ、と思うのはよくあることだが、気に入った挙句移住してしまうのはあまりいない。

相方は絵描きだというが、かれもその考えに賛同し一緒に島に渡っている。

島からはイベントなどを依頼されて撮っている。また個人的には、成人式や七五三なんかも撮るし、相方も子供に絵を教えたりしている。
一応、島の人の役にもたっているといえる。

島にはイオンとマツキヨの他コンビニも4件あるし、トーキョーにはなんの未練も感じない。
島の人はやさしい。
いま思うと、島に移住して本当に良かったと思っている。
人口2万人ちょっとの小さな島に住んでいても、写真をやめるつもりはない、と言う。

この壱岐島に移ってから6年、しこしこ撮りためた写真が約6万カット。

かの女の写真はサラッとしていて、キレがいい。
性格がそのまま表れている。

そして学生時代よりもかなり上達した。そんな写真を最近見せられた。
人が入っている写真は少ない。心情的風景とゆうのだろう、高田にとっての壱岐だ。
かの女は島の人はやさしいと言ったが、その言葉に対する想いというものが写真の端々に見える。
かの女には自分の考え、想いというものがわりにはっきりとあるので、写真のように自分を表現するのにはかなり向いているといえる。

いまある写真を整理して、発表してみるのもひとつの方法だ。
それによって方向性を再確認し、その後もう1、2度発表し、最終的には本にすることを考えてはどうだろうか。

本にするときに、その自治体に協力してもらえるように努力することを奨める。
こういったことをいうと、協力してもらうためにといって媚をうる輩がいるが、そういったことは一切しないことだ、人間も写真も安っぽくなる。

たまに依頼されて撮る島のイベントの写真を、その意味を一生懸命に理解して撮ることだ。
自分の写真を使うことは悪いことではない、と心の中で自信を持って考え、写真を撮ることだ。
媚びてはいけない。自分の写真にプライドを持って。
そのために時には博多の図書館に通って、先人の写真を見るのもプラスになるのでは?

いまが、現在が、高田望が大きく前進すべき時だし、できると思う。
こんなチャンスはめったにないことだ。
こんなことを考えながら写真を撮っていればアッという間に10年ぐらい過ぎてしまうだろう。

そうすれば島で日々を過ごすのも、なかなかの生きがいになるんじゃない!

菊池東太


1943年生まれ。出版社勤務の後、フリー。

著作
ヤタヘェ~ナバホインディアン保留地から(佼成出版社)
ジェロニモ追跡(草思社)
大地とともに(小峰書店)
パウワウ アメリカインディアンの世界(新潮社)
二千日回峰行(佼成出版社)
ほか

個展
1981年 砂漠の人びと (ミノルタフォトスペース)
1987年 二千日回峰行 (そごうデパート)
1994年 木造モルタル二階建て (コニカプラザ)
1995年 アメリカンウエスト~ミシシッピの西 (コニカプラザ)
1997年 ヤタヘェ 北米最大の先住民、ナバホの20年 (コニカプラザ)
2004年 足尾 (ニコンサロン)
2004年 DESERTSCAPE (コニカミノルタ)
2006年 WATERSCAPE (コニカミノルタ)
2009年 白亜紀の海 (ニコンサロン)
2013年 DESERTSCAPE-2 (コニカミノルタ)
2013年 白亜紀の海2 (ニコンサロン)
2015年 日系アメリカ人強制収容所 (ニコンサロン)
ほか

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