KYOTOGRAPHIEレポート 作家インタビュー:映里[榮榮&映里(ロンロン&インリ)]

ー 続いて、外とドラム工場を繋ぐ作品はどのような作品ですか?

過程の消えつつある時代ですので、あえて内と外をつなぐ過程としての通路のような場所を作りたいと思いました。外から見ると「見山是山見水是水」という字が書いてあります。ロンロンがそこにかかっている箒で書きました。これは宋の時代の禅の言葉で、悟りに至るまでの最初の段階を表しています。外から見ると文字が見えるんですが内側にはいると文字は消え、遠くに実在する山と水が見えてくる。見ることに変化が生まれ「山を見る水を見る」という意味の解釈が変容します。日が当たると、この文字の書かれたメッシュを透過した光がモアレとなって地面に水面のような動きを生み出します。

箒で文字を書く榮榮さん(写真提供:榮榮&映里)

 

ー 最後にドラム工場の中の世界について、お話を聞かせてください。

ドラム工場の空間は「重層的な世界と消失する時間」を表現したいと思いました。写真を一枚の明確なイメージとして見せず、ぼんやりと記憶が変化してゆくように見せたかったので投影機を使いました。この展示はKYOTOGRAPHIEの展示空間設計(セノグラフィー)として建築家の島田陽さんがご協力下さりこのような建築的な空間を実現することが出来ました。入ってすぐに鴨川と生活のイメージが広がっていますが、真っ暗なので暗順応するまでぼんやり何が映っているかは明確には理解できないと思います。

写真提供:榮榮&映里

右に岩肌が見えて、真っ暗な空間を胎内くぐりのように進むとコロナ禍の現在を象徴したイメージが石垣に投影されていて、向かい合うように石のプリントされた写真があります。

写真提供:榮榮&映里

そしてさらに進むとドラムが出現する。80年以上の時を湛えた重厚な質感のドラムにカラーの写真が投影されています。先ほど視界を覆うように儚く虚ろっていた、また野外では小さくパーソナルに見えたイメージがずっしりと存在感を持って再び立ち現れる。現実と同じように記憶やイメージが様々な有り様で重複してきます。

写真提供:榮榮&映里

そしてその先、突き当たりのようなところから自然光が溢れる小部屋が不意に現れて、普段見慣れている方の「写真」がプリントで展示されている。ここの写真には荒廃した森や廃墟にいる「私たち」が写っていて、4×5とか8×10のモノクロフィルムのベタ焼きや試し焼きが、作品になる前の状況で、家の暗室のように吊るされたり置かれたりしています。

写真提供:榮榮&映里

何となく未完成です。だからこれらの写真にはまだ先がある。またここから暗がりを通り外に出て、振り返って全体を見直すとその繰り返しの中に様々な新たな発見が生まれてくるかもしれない。

この度の実験的な展示は私たちにとってとても重要な機会となりました。思い込みを壊す壊さないもある意味思い込みですが、壊れない確かな核心が見えたと思います。


 

お話を伺いながら作品を拝見して、お二人のプロジェクトの進め方に感心した。自分たちの思考や経験のみならず、発表の場である疏水記念館や、制作拠点のある京都の歴史という様々な要素を味方につけて、プロジェクトを進めている。そして、でき上がった作品が自分たちに新しい気づきや視点を与えてくれ、さらに成長させてくれるという。この作品との距離のとり方が絶妙だ。作品は作家が作り出すものと考えがちだが、実は、時代や社会、その土地に作品を作らされていると言えるかもしれない。作品を作りながら学び、成長できる。そんな状況を作り、上手に作品とつき合える人が、作家としてやっていける人なんだろうと、あらためて思った。

 

榮榮&映里(ロンロン&インリ)

中国現代写真の先駆者である榮榮(1968年生)と日本人写真家の映里(1973年生)は、「榮榮&映里」として2000年より共同制作を開始。2007年には、中国・北京の草場地に「三影堂撮影芸術センター」を設立。国際的な写真展や中国人写真家の展覧会、若手発掘のためのアワードやレジデンスの運営など、中国の現代写真界のプラットフォームとなっている。二人は、2015年より京都に制作拠点を移し、制作活動を続けている。

 

「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」、次回の開催は2022年春。テーマを「ONE」とし、ギイ・ブルダン、アーヴィング・ペン、イサベル・ムニョスなど国際的な写真家の展示に加え、10人の日本人女性写真家の作品を紹介するプログラムも行われる。会期は2022年4月9日〜5月8日。

関連記事