本つくりにこだわるブックデザインの世界 ~ものすごくすてきで、ありえないほど複雑な本~ 前編
ものすごくすてきで、ありえないほど複雑な本
原作を読まないで、映画になったものを見てわかった気になる人がいる。「本」と「映画」は別物だ。そう考えたほうがいい。
1984年、ウォルフガング・ペーターゼン監督の『ネバーエンディング・ストーリー』が公開された。それはミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を映画化しているのだが、公開時、エンデは激怒したという。なぜかというと『はてしない物語』は、物語が2部に別れていて、『ネバーエンディング・ストーリー』はその前半部のみを映画化したからだ(1990年に、別監督で『ネバーエンディング・ストーリー 第2章』として後半部が映画化されているが)。しかしひどい映画だったとこの前、ラジオで聞いた。38年も前のことをそんな風に言われているのも逆にすごいなと思う。
村上春樹は自分の作品が映画化されるとき、最初に承諾したらあとは一切関わらないそうだ。これもこの前ラジオで聞いた。誰が主人公を演じているのかも知らないし、試写会にも行かない。『ドライブ・マイ・カー』は小田原のシネコンで一人で観たそうだ。原作と本は同じではない。「映像」にしか表現できないことがあるように、「本」でしか表現できないこともある。はじめてそう思ったのは、大学生のときにミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を読んだときだった。ふつう本の文字(活字)は黒い。印刷用語では黒(くろ)ではなく墨(スミ)という。『はてしない物語』では深い赤と深い緑の2色で刷られている。主人公の少年・バスティアンは、同級生からいじめられ、追いかけられ、雨のなか古書店に飛び込んだ。そこである1冊の本、『はてしない物語』に吸い寄せられ、興味をいだく。店から黙って持ち去り、学校の物置に隠れて、その本を読みふける。現実の世界が赤、そしてそのお話の中の世界、幼ごころの君が支配する国「ファンタジーエン」の世界が緑。読み進めるにしたがって現実(赤)とファンタジーエン(緑)の活字が交互に、そして境界が曖昧になっていく。活字の色の違いを効果的に小説に取り入れた作品をはじめてみた。
日本の小説で、そういう効果を使ったものがあるのか調べてみたことがある。人の心を読む力をもつ超能力者(テレパス)の女性、火田七瀬のシリーズの1冊、筒井康隆の『エディプスの恋人』がそうだ。七瀬以上に強大な力をもつ「宇宙意思」、その心の声がなんと朱文字で刷られている。筒井康隆は、エンデよりも早くに文字に色を使っているし、その本には、新国誠一の「形象詩」のような文字組みの箇所もでてくる。つい最近も、1989年に発表された『残像に口紅を』がTikTokで話題になり、再び大増刷されたという。この世界から「あ」が使えなくなると、「愛」も「あなた」も消えてなくなってしまう……、彼の小説は常に実験的で古びない。
活字の色でなく、文字の組み方や書体の違いで、物語を効果的に読ませる本もある。
ブックデザイナー、祖父江慎の仕事には、複雑な組版の本が数多くあるけれど、どれかひとつをと言われたらやはり恩田陸の『ユージニア』だろう。この本の組版は凄まじい。著者からの造本の依頼は、「ツインピークスのような、読めば読むほど不安の高まる感じに」ということだった。本文組は、13級ベタ送り、1行42文字。漢字は岩田明朝M オールド、ひらがなは岩田明朝R オールド、カタカナは秀英5号L。行送りは22歯。ここまでは普通。ここからどういう風にして不安な感じにしていくかというと、その1、促音・拗捉音はすべて右上にあげる。小さな「ヤ」とか「つ」とかをすべて小学校の国語の教科書のように、四角い枠のなかの右上にあげる。その2、読点「、」は、横に150%変形、見た目自然な位置に、横に長く。その3、本文全体を左右両ページとも時計回りに1度傾ける。ただし、ひらがなの「で」「て」「に」「を」「は」「へ」のみ、角度を1度傾きを直すのではなく、1度歪ませて紙面に対してこれらの文字だけまっすぐに見えるようにする。版面を1度傾けることによって、小口側は1行42文字、ノド側は1行41文字になるっていったい何のことかわかりますか?笑。なんか船酔いするような紙面なのかなと実際読んでみたら、意外と読める。けれど確かに少し不穏な感じがする。ぜひ恩田陸の『ユージニア』を手にとってみてほしい。あっつ!残念。文庫本はごくごく普通の組版になっている。文庫本でこれをやれって言われたら、印刷所の人は「勘弁して下さい」ということになるだろう。
これはまだコンピュータ(インデザイン)で組んでいるからできることで、昔もっと滅茶苦茶なことをした本がある。萩原恭次郎の『死刑宣告』。アナキスト詩人の第一詩集で、これが活版印刷(活字で組まれている)と考えると心底驚かされる。復刻版のページの最後の「解題」にこういうことが書いてある。《本詩集は、収録された詩の強烈な破壊と否定のメッセージとともに、活字の大小や書体の使い分け、縦組みと横組みの混在、天地反転組み、インテルによる各種飾り罫、多数の図版、奇抜な装丁など、視覚的に読者を驚かせる要素をもっている》。活字を組む人はさぞや嫌がったんだろうなと思いきや《当時の印刷工員にはアナキストが多かった。アナキスト萩原の詩集ということで、工員たちも張り切って作業したと思われる》。そう組む人のハリキリが実によくでている。
後編へ続く
参考文献
『はてしない物語』ミヒャエル・エンデ作 上田真面子、佐藤真理子訳 岩波書店
『ユリイカ 特集・ミヒャエル・エンデ』2016 12月号 青土社
『そうだ、村上さんに聞いてみよう』村上春樹 絵・安西水丸 朝日新聞社
『村上さんのところ』村上春樹 絵・フジモトマサル 新潮社
『エディプスの恋人 七瀬シリーズ3』筒井康隆 新潮文庫
『残像に口紅を』筒井康隆 中公文庫
『死刑宣告』萩原恭次郎 日本図書センター
『ユージニア』恩田陸 角川書店
『ユージニア』恩田陸 角川文庫
『祖父江慎+コズフィッシュ』祖父江慎 パイインターナショナル
文:守先正
装丁家。1962年兵庫県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科卒業。
花王、鈴木成一デザイン室を経て、‘96 年モリサキデザイン設立。
大学の先輩でもある鈴木成一氏にならい小説から実用書まで幅広くデザインする。
エリック・カール『ありえない!』偕成社、斉藤隆介、滝平二郎、アーサー・ビナード『he Booyoo Tree モチモチの木』などの絵本のデザインも手掛ける。
▼後編