写真家 鈴木邦弘エッセイ「テーマへの誘い」

斜めから入る陽射しによって、様々な樹木の影が重なり合い複雑な模様を編んでいた。日が暮れようとしていた。

「パトロン、今日はここに寝る」
狩猟採集民ピグミー族のガイド、ジャンクロードは私に向かってつぶやいた。

そこは、乾季のために干上がった川底の平らな部分だった。森の中で、寝る場所を探すのは意外と難しい。板根の巨木、大小の樹木、それらにまとわりつく蔓性植物、その下に繁茂する雑草、森の中では、ほとんどの人間は部外者だ。唯一部外者ではない人々が、森の民ピグミーたちだ。

 

私はテントを張る場所を探した。すると、干上がった川底の淵にくっきりと残る足跡を見つけた。それは巨大なものだった。「マヌー」と大声で通訳を呼んだ。マヌーはジャンクロードと一緒に来た。私はそれを指した。二人は凝視した。ジャンクロードは、地面にひざをつけ、かがみこんでその足跡をじっと見ていた。

「パトロン、大丈夫だ。ゴリはここにはいない」とジャンクロード。
私は通訳のマヌーに詳細を尋ねた。ジャンクロードと少し話したマヌーは「スズキ、大丈夫だ。この足跡はゴリラだが、3日以上前のものだ。もうこの近くにはいない」と告げた。

 

夕食を済ませ、コーヒーを飲んでいると、皆がざわめきだした。マヌーが私のそばに来て、「スズキ、聞こえるか」と尋ねると、森の奥の漆黒の闇を指し
た。私はそちらに顔を向け、耳をそばだてた。

「エーリエ、エーリエ」という歌声が耳にとどいた。私は、マヌーの顔を見ながら、大きくうなずいた。「エーリエ、エーリエ」の歌声がよりはっきりと聞こえた。私はピグミー族の撮影をするために、コンゴ共和国の熱帯雨林の中にいた。

 

撮影のために、このジャングルに入るのは3度目だが、今回はピグミーたちに出会うことに苦労をしていた。移動生活をする彼らは、自分たちのテリトリーの中を獲物を求めて動き回る。川沿いの農耕民の村から食料や撮影機材を運ぶポーター、ガイド、通訳と総勢7名のグループを組んで、彼らとの出会いを求めて森の中を歩いてきた。私たちは3日目の夜を迎えていた。

 

しばらくすると、ジャンクロードが森の闇の中から突然目の前に現れた。そして、その脇には見知らぬピグミーがいた。

「彼はピグミーだ。近くで踊っていた。大勢いる。明日行こう」
あの森の奥にピグミーたちがキャンプを張っているのだ。やっと、彼ら彼女たちに会える。

 

大学4年生の終わりごろ、私は写真家を志していた。そして大学卒業後、日本写芸術真専門学校の夜間部に入学し、樋口健二氏に写真を学んだ。そこで学んだことは、テーマを見つけたら、とにかくしつこく取材撮影することだった。

写真学校卒業後、写真の仕事にはすぐ就かず、ノンフィクションライターの石飛仁氏のアシスタントを1年ほどやった。彼は、日中戦争中の中国人強制連行をライフワークにしながら、週刊誌の記者をしていた。写真家を志す人間が、なぜノンフィクションライターのアシスタントのなのか。それは、調査取材のノウハウは、ノンフィクションの文章家に就いたほうが、勉強になるだろうと考えたからだ。

 

文章は、対象をよく理解しなければ良い取材はできない、良い文章もその深い思考の中から出てくる。質問ひとつとっても理解と思考の深さが必要だ。それに比べて写真は、それほどの思考の深さがなくても、時々、センスだけで良いものが撮れてしまう、と当時は考えていた(その後、これは大きな間違いだと気付くのだが)。彼のところでは、指示されたものを調べたり、書いたりしていた。仕事に就いた期間は 1年ほどだが、いろいろな経験をさせてもらった。

当時彼は、日本に残った強制連行された中国人生存者の意を受けて、戦争中、使役をしていた鹿島建設と賃金交渉をしていた。その中で様々なことが起きた。例えば、まったく交渉のテーブルにつこうとしない大企業の不遜な態度やこの交渉や運動に賛同した人たちが集まり、運動を広げるための協力体制ができつつあった頃、グループは主導権争いで揉め出し、分裂し、それぞれの利益を得るために成果の横取りをしたり、等々。

 

私はアシスタントという最末端の立場でこれらの出来事を見ていた。それらの姿は、非常に醜いものだった。このような出来事をとおして、私は、人間という生き物、にそれまでにない関心を持つようになっていった。

私は基本的には、非常に単純な人間だ。これらの経験による疑問(人間とはどのような生き物なのか)の回答が欲しくて、人間の原点、人類がその誕生から最も長く経験した生活様式、そして、最も原始的な社会、そう、狩猟採集という世界で現在も生きる人びとを、先ず見たいと思った。そして私は、辺境の地への関心以上に、そこに生きる人間たちの在り様に興味をいだいていた。

 

そして2年後、私はモノクロフィルムを詰めた8×10のカメラを担ぎながら、アフリカの森の狩猟採集民ピグミーたちの間をかけまわっていた。

 

つづく

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