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タイガの森を抜けてー写真家 山市直佑 ロシア・ウクライナ紀行ー前編

2011年11月2日、ぼくはアゼルバイジャンのバクーからモスクワに移った。

ロシアは実は憧れの地だった。ウラジオストックからバム鉄道に乗り、ユーラシアを横断したい、という夢が10代のころにあった。
2011年当時のメモを振り返ると、こんなことが書いてあった。
「正直、僕がこの時代に生まれてきた、ということが、悔しくも嬉しくもある。ベルリンの壁をリアルタイムに目にすることができなかったこと、社会主義というものをリアルな体験として持たないこと、物心ついた時には冷戦が終わり、F. Fukuyamaの言うように”The End of History”を感じざるを得ない時代を生きていた。」
だからこそどうしても知りたかったことがあった。社会主義と資本主義というイデオロギーの対立が冷戦機にあった。この社会主義のイデオロギーの中生きていた人々の声が聞きたかった。

その過程で、2008年の9月にカザフスタンに、2011年の3月はブルガリアとルーマニアを巡っている。(実は3.11の震災はイスタンブルで目撃していた)それらに続いてのアゼルバイジャン、ロシア、ウクライナという取材旅行がこの秋だった。
カザフスタンもルーマニアもブルガリアもアゼルバイジャンもとても朗らかな国だった。日没後も身の危険を感じずに出歩けた。地元の人に「怖い目にあってないか?」なんて心配もしてもらったり、ゆきずりのぼくと一緒に食事をしてくれたり、自宅へ招いてくれたり、本当によくしてもらった。第二の故郷だと、ブルガリアを胸を張って紹介したくなるような出会いもあった。その中でイデオロギーの話もたくさんインタビューすることができた。この件はまた機会があればどこかで書こうと思う。
旧ソ連圏をめぐるこの取材旅行の中では、ロシアは、特にモスクワははずせなかった。だから満を持してモスクワを訪れた。

ロシアは、旧ソ連時代の名残でビザ取得がなかなか複雑だったが、独力で取得ができるくらい緩和されていた。宿も移動手段もすべて自分で手配ができた。2011年は各SNSが急速に育っていった時期でもあって、Web上でのやり取りができれば、見ず知らずの現地にいる人と話ができ、それをもとにビザの発給手続きが行えたのだ。

しかし、2011年という年は、世界的に不安定になっていく時期でもあった。年明け早々にチュニジアでジャスミン革命が、2月にはエジプトのムバラク政権が終わり、リビアの内戦が始まった。3.11を挟み、夏にはイギリスで暴動が起き、ぼくがロシアを訪れた時期は、下院選挙前のピリピリした時期で、いま振り返れば、反プーチン運動前のひずんだ状態だったのかもしれない。

ぼくが宿の人に聞いたのは、「外国人が襲撃されることが多い。日没後は外出を控えた方がいい」という警告だった。当時のモスクワの日照時間は9時~17時の間で、写真が撮れるような時間は約6時間足らずだった。寒い日は最低気温が-10℃前後、晴れる日もほとんどない時期だった。
だから、モスクワのイメージはとても冷たくて、当時の日記でもこう綴っている。

建設中の広い面積と、高いビル、吹き付ける吹雪。人はまばらで、何人かに声をかけるも、「はずかしいよ、写真なんて撮らないでよ」の連続。
スタバで話したヴィンセントに「それはロシアン・シンドロームだね。みんな寒くて塞いじゃってるんだよ」と笑われた。
話す時間をかけられれば、打ち解ける人もいた。しかし、朗らか、というには硬直してしまっている空気がそこにはあった。

しかし、モスクワも、たぶん、ぼくの偏見のフィルターを外せば、きっと朗らかだったのかもしれない。人々は遅くまで街を歩き、楽しんでいた。宿の周りはファストフード店が立ち並び、道端ではケバブが売られ、さまざまな人種が行き交っていた。

メトロが走り、鉄道が整備されていた。インフラはソ連時代の名残もあるんだろう、しかしその便利さや整備されたシステムを見て、当時をとても身近に感じるのだ。社会主義とは本当はいったいなんだったのか、旅をするほどにわからなくなる。

モスクワでも英語を話す人は多く、たくさんの観光客に出くわす。街は全てのスケールが大きく、個々の戸建はなかなか見られない。きっと郊外にいけばあるのだろうが…。

ドミトリーの調度品は全てIKEAだった。ロシア人の旅行客の男性は、インターネットゲームをしながらマックを食べていた。というか、そのためだけにラップトップを持ち歩いていた。マクドナルドの店内ではiPadで本を読む人や、ロックを聞く人、いろんな人がいたし働いていた。スーパーも日本と変わらない。暗い印象はなかった。たぶん、ぼくのステレオタイプがヴィンセントの言ったロシアンシンドロームをぼくに見せていたんだろう。思えば、ぼくの撮影を断った人は、「恥ずかしいよ」という理由だけで、終始笑顔だった。

ぼくが関わった人たちは、総じて優しかったんだろう。宿のオーナーも、スタバで話したスタッフのヴィンセントも、美術館の館員も、それぞれとの会話の記録を見返すと、助けてもらっているし、気にかけてもらっている。

モスクワの街並みは美しく、新しいもの、古いものが混ざり合いながら、均整がとれていた。街の風景そのものが芸術のようだった。そのモスクワもビジネス街では大きく開発が進み、ショッピングモールがあちこちに造られ、人々はスタバでゆったりと時間を過ごす。

以前、ブルガリアでディプスインタビューをウズノフ氏にした際、「社会主義に足りないのはchoiceだ」という言葉があった。それをここでも確かめたような気がした。しかし、それでは社会主義とは一体、なんだったのだろうか。
ぼくの視点からすると、どうしても資本主義も社会主義も表層としては大きな違いがないのだ。国を、町を、いくつも訪れる度に、そこに住む人々のなんと普遍的なことか!その姿には感動せずにはいられない。しかし、そのために、どうしても「世界の果てなどない」という諦念にとらわれるのだ。
モスクワもまた、「どこにでもある街」で、でも「少しだけ違う」他の都市と同じだった。

→後編に続く

文・写真/山市直佑

展示情報

「 Oneness 」

氏 名:山市 直佑
会 期:2022年5月3日(火)~ 5月15日(日)月曜日休廊
会 場:Koma gallery URL:https://www.komagallery.com/
住 所:〒153-0062 東京都目黒区三田1-12-25 金子ビル201
時 間:11:00~19:00 最終日は15:00まで
料 金:入場無料

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