Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー vol.9
学校法人呉学園 日本写真芸術専門学校には、180日間でアジアを巡る海外フィールドワークを実施する、世界で唯一のカリキュラムを持つ「フォトフィールドワークゼミ」があります。
「少数民族」「貧困」「近代都市」「ポートレート」「アジアの子供たち」「壮大な自然」、、
《Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー》では、多様な文化があふれるアジアの国々で、それぞれのテーマを持って旅をしてきた卒業生に、思い出に残るエピソードをお伺いし紹介していきます。
海風と真珠の思い出
PFWゼミ5期生 谷本 冴海
今から12年前の6月、私はインド南東部オリッサ州のプリーというベンガル湾に面した漁村にいました。
そこは穏やかな海風が心地よく吹いていて、浜辺に木造の小舟が並び、カラフルな石造りの家々が立ち並ぶ小さな村でした。
そこに暮らす人々の生活を取材撮影することを目的として来ていたのですが、正直なところ撮影はあまりうまくできなかった場所でした。
けれど、FWで思い出に残っているエピソードとして今でも時々思い出すのは、ここプリーでの出来事だったので、記憶を辿って書いてみようと思います。
(ただ、本当に申し訳ないことに、何回かの引越しで旅中につけていた日記が行方不明中のため、記憶を頼りに書かせていただきます…)
プリーでの撮影がうまくできなかったのは、インドという国の“圧”に気持ちが萎縮してしまって、なかなか人との距離を縮められなかったことがひとつの理由でした。
最初の慣らし期間であるコルカタ滞在中や、プリーに向かう電車やバスでの移動中のなかで、路上生活者や痩せた子どもたちから「プリーズ」と伸ばされる手に困惑し、どうするべきかわからず、あまりにも身近にある“貧困”という現実に、衝撃を受けていました。
その気持ちを引きずったままプリーに入ってしまった私は、なかなか気持ちを切り変えられずに日本人である自分に罪悪感のようなものを感じて、人から向けられる視線や、写真を撮りたいと言ったらどう思われるかが怖かったのです。
その日もなかなか写真を撮れずにカメラを肩に下げて村を歩いていると、興味を持って話しかけてきてくれた青年がいました。
褐色の肌に短い髪、チェックのシャツにジーンズ、ショルダーバックを肩にかけた小柄な青年で、この辺りの腰巻一丁の漁師さんとはちがう都会的な風貌をしていました。
年齢は確か18歳くらいで、彼は、私がここに写真が撮りたくて来ていることを伝えると自分が村を案内してあげると言って、一緒に来てくれたのです。
英語の話せる彼が通訳をしてくれ、彼のおかげで村の人たちとも交流ができ、本当にありがたい気持ちでいっぱいでした。
ですが、彼には彼の事情がありました。
その日の夜、彼の家に招かれ夕飯をごちそうになり、「見てほしいものがある」と言われ、目の前に出されたのは貝殻に付いた真珠でした。
最初は「わー!すごい!」と感動していたのですが、他にも様々な色の真珠が出てきて、知らず知らずのうちになぜか話は値段の話へ…。
そこで私は、彼が私に真珠を買ってほしくて見せてくれていることにようやく気付き、「もしかしたら彼はこの時のために、私に良くしてくれていたのかもしれない…」と思いました。
私が購入を断ると、彼は「なぜ?とっても安いんだよ!他じゃこの値段では買えないんだ。俺たちは見ての通り貧乏だから、君みたいな外国の人たちに助けてもらわないと生きていけないんだ。」
「母の手料理を食べただろう?フェアーじゃないか。」
彼は沢山の言葉を投げかけてきましたが、ぱっと買えるほど安い値段でもなかったので、お互い一歩も引かない言い合いになりました。
私は、用意周到にカモにされた気持ちになり、彼の話す言葉を信じることができず、断ってその場を後にしました。
純粋に仲良くなれると思っていたのに、彼の目的がお金目当てだったことにショックを受け、やはり日本人である私はそういう風にしか見てもらえないのか…という悲しさと、彼に対する怒りのような感情と、でもそれも仕方がないのか…という気持ちとがごちゃまぜになっていました。
もう村には行きたくないな…、と思いながらも次の日村へ行くと、そこにはまた彼が。
彼はいつもと変わらぬテンションで話しかけてきて、「村を案内するよ!」と言ってきましたが、私は断ってひとりで村を歩くことにしました。
その青年がいないことで、一気に心細さは増しましたが、勇気を出して村の人に声をかけ、ほんのすこしずつ写真を撮らせてもらいました。
そして、軒先で出会ったある少女に「家の中の写真を撮らせてくれませんか?」とお願いすると少し恥ずかしい様子ではあったけれど、首を斜めに振って「いいよ」と言ってもらえました。
(インドでは、“yes”のときに首を横に振ります。日本人からすると一見“no”に見えます。)
彼女は少し英語を話せて、家族の人に私が写真を撮りたいと言っていることを伝えてくれました。
長い黒髪をひとつに束ねて、すらっと背の高い彼女に年齢を聞かれ、「20歳」と答えると目をまん丸くして驚かれました。「13、4歳かと思った!」と。そばにいたその子のお母さんも加わってみんなで笑いました。私が同い年くらいかな?と思っていたその子は15歳でした。
私がその子の着ていたサリーをとっても素敵だね、と褒めると「着てみたい?」と言ってその子が昔着ていたという服を出してきてくれ、お母さんと一緒に着せてくれました。
写真を一緒に撮って、サリーを脱ごうとすると「for you!」と言って、なんといただいてしまいました。
部屋での撮影は、小窓から入る光しかなく、これは難しいかもしれない…と思うほどの暗さで、三脚などを持って来なかったことをすごく後悔しました。
現像せずともブレていることがわかるくらいのシャッター音で、本当に悔しかったです。
(その後悔のあとからは、三脚やストロボなどもなるべく持ち歩くようになりました。)
帰り際、少女が私にまたしても「for you」と手渡してくれたものがありました。
それは、白いビーズの紐の先に一粒の真珠がついた首飾りでした。
一瞬、どうしてこれを渡されたのかわからなくて、困惑しました。
「もしかして、これを買ってほしいということかな?」「もしかして、また…」と不安になりました。
けれど、最後まで代金を要求されることはありませんでした。
お互いの幸せを願って、彼女は笑顔で私を送り出してくれました。
その日の夕方に、またあの青年がやってきて、「明日、お祭りがあるんだ。行かないかい?」と陽気に誘ってきたので、なんだか怒る気も失せて、行くことにしました。
彼は憎めない愛嬌のある青年だったのです。
実はこの文章をこうして書くまで、彼のことは「少し苦い思い出」として、記憶の底のほうに追いやっていました。今思い返してみると、彼が本当に騙そうとしていたかはわからないし、私にも偏見の目があったことは確かでした。
すこしヤンチャっぽいけれど、優しい青年。
彼を許すことができなかった12年前からは、私は少し成長できているのかもしれません。
そして、何の偏見も持たずに私に接してくれた彼女に、私はあの時どれほど救われたかわかりません。
この真珠の首飾りは、少女の優しさとあの憎めない青年を思い出す、私の大切な宝物です。
あの二人が今も幸せに暮らしていますように。
本当にありがとう。
そして、少し苦かった思い出も、今こうして受け入れられたことを嬉しく思います。
素敵な機会をいただき、ありがとうございました。