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【展示レポ①】フォトアートゼミ学生展 [Blind, Blend, Blunt] - 土井隼風『Baby Phone』について

写真科フォトアートゼミに所属する学生11名によるグループ展「Blind, Blind, Blend」が、日本写真芸術専門学校8FのWALL GALLERYにて開催中(2025年6月29日(日)まで)。

今回はその中から、フォトアートゼミ2年生・土井隼風さんの作品『Baby Phone』をピックアップして紹介します。ほかの作品も、それぞれの学生たちの個性が光る秀作揃いですので、どなたもぜひ足をお運びください。

フォトアートゼミ・グループ展「Blind, Blend, Blunt」
日本写真芸術専門学校8F WALL GALLERY
2025.6.6(金)- 6.29(日)
9:30-20:30
※土日は17:00閉館、6.8(日) & 6.22日(日)は閉館
入場無料

文/編集部 佐藤舜

忘れかけている違和感の感覚を思い出して – 『Baby Phone』土井隼風

土井隼風さんの『Baby Phone』は、 “違和感” をテーマにした作品である。

あるとき土井さんは、まだ言葉もわからない赤ん坊がスマホを触って遊んでいる光景を目にして「変だな」と感じた。その強烈な違和感が制作のきっかけになったと、解説文(ステートメント)に記している。

 まだ言葉を持たない手が、スマートフォンをなぞって世界とつながっている。その光景に、「なんだか変だな」と感じた。でも、それもきっと、すぐに “普通” になるのだろう。
歳を重ねるたびに、この世界は少しずつ新鮮さを失っていく。見慣れたもの、景色、ルール。そんな当たり前の光景たちに、少し飽きてしまった。
だから私は、その “当たり前” を少しだけ壊したくなった。(中略)忘れかけている違和感の感覚を、もう一度思い出して、この世界を、ちょっとだけ面白くするために。
(土井さんのステートメントより抜粋)

いま「変」だと感じることも、しばらくすれば「当たり前」になってしまう。いまある「当たり前」もすべて、ちょっと昔は「変」だったことである。

たとえば私は小さいころ、父親が毎朝、不可思議な機械を使ってひげを剃る光景が「変」に見えて仕方なかった。でもいまでは、ひげ剃りは私自身が毎朝行なう「当たり前」の習慣になっている。

「当たり前」を壊すことで、いまある「当たり前」に見慣れる以前の感覚を思い出す。その宣言通り、土井さんの作品たちは強烈な違和感のある風景ばかりを写している。

スパゲッティをハサミで切る。

CDをスポンジで洗う。

ブラインドの向こうから飛び出す腕が、包丁で豆腐を切る。

そんな風景たちの中に、ふいに「森の中に置かれた冷蔵庫」の作品が混ざりこむ。

うっかり見過ごしてしまいそうになるが、よくよく考えてみるとこれは「不法投棄」というまぎれもない現実の写しとも解釈できる。この一枚によって「変」と「当たり前」の境目が途端にあいまいになる。

「変」のすぐ隣には「当たり前」があり、すべての「当たり前」はかつて「変」だったものたちである。

改めてそういう目で、ほかの作品も見返してみるとどうだろうか。

 

スパゲッティをハサミで切って食べることはないけれど、同じ食材であるカニやサムギョプサルはハサミで切るのが普通である。スパゲッティをハサミで切らないのは、単なる習慣・習俗のためでしかない。

スポンジで洗われるCDは、サブスクの普及により不要になったCDが、音楽再生という機能を忘れられて、皿代わりに使われるようになった近未来の風景かもしれない。

ブラインド越しに豆腐を切る腕は、突如として始まる戦争や、得体のしれない詐欺グループなど、昨今の不透明な(ブラインド=blind=目に見えない)事象の暗喩にも見えるほど不穏だ。

ハサミで切る肉。CDを出さないミュージシャン。海の向こうで始まった戦争。すべて、いまでは「当たり前」になってしまったけれど、かつて「変」だと感じていたものたちばかりである。土井さんの意図と合っているかは不明だが、こんな風にさまざまな深読みをしたくなる不思議な魅力が、この作品にはある。

土井さんが写す「変」と「当たり前」のあわいにある作品たちは、「忘れかけている違和感の感覚を、もう一度思い出」すことをわたしたちに強いる。土井さんのフィルターを介せば、「当たり前」と受け入れてしまっているものたちの「変」さに気づかされる。当たり前でないことが当たり前になっていくことの滑稽さと怖さは、コロナ禍を筆頭とするこの数年間で私たちは嫌というほど体験している。

違和感の演出は、作品単体だけでなく展示空間そのものにも及ぶ。

写真同士を重ねたり、幕のように垂らしてほかの作品に覆いかぶせたり、その裏側に作品世界とリンクする小物を隠したりと、平面的な「当たり前」の展示作法に慣れきった私たちが驚かされる仕掛けが満載だ。

「能動的に動いて見なければ見逃してしまうような仕掛けをつくりたかった」と土井さんは語る。実際に展示を鑑賞すれば、その言葉の意味がよくわかる。

この作品全体をくまなく観るためには、のぞいたり、回り込んだり、しゃがんだり、背伸びをしたり、さまざまなかたちに身体を動かすことが強いられる。「もっといろんな角度から、しっかり物事を見てごらん」という作家からのメッセージを、わたしたちは作品そのものでなく、展示空間というメタ・メッセージを通じて、身をもって受け取ることになる。それは保育園の裏庭を探検しながらさまざまな細部に目を凝らしていた童心を思い出すようで、心躍るような体験だった。

「この世界を、ちょっとだけ面白くする」まなざし、 ”赤ん坊” のまなざしに映る世界の不穏な楽しさを、土井さんの作品は思い出させてくれる。

***

フォトアートゼミの学生たちが、それぞれの個性を発揮した作品を楽しめる本展示。将来の写真家たちの、みずみずしい感性をご堪能ください。

フォトアートゼミ・グループ展「Blind, Blend, Blunt」
日本写真芸術専門学校8F WALL GALLERY
2025.6.6(金)- 6.29(日)
9:30-20:30
※土日は17:00閉館、6.8(日) & 6.22日(日)は閉館
入場無料

 

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