菊池東太のXXXX日記 vol.1

わたしはナバホ・インディアンの写真でデビューした。

ところが今になってその写真に納得がいかなくなってきた。インディアンと呼ばれている珍しい人たちという視点で彼らを見、シャッターを押していた。同じ人間という視点ではないのだ。

撮り直しに行こう。最終作として。この考えに至った経緯も含めて、これから写真家を目指す若者たちに語ってみたい。


 

わたしは、小学校の四年から高校の一年までを北海道の室蘭ですごした。その西のはずれの海沿いに一つの集落があった。そこは北海道の先住民、アイヌの人たちが住んでいるところだ。

出版社をやめフリーになり、何か自分のテーマを持ったちゃんとした写真家にならなければいけない、と強く思っていたころのことだ。
そんなとき、アメリカ北西部シアトル近郊に住むインディアンの集落に行くことになった。トーテムポール(自分の家の言い伝えに出てくる数種類の動物を柱状に彫刻したもの)を作る人たちだ。

その集落にあるミュージアムにふらりと入った。
ハッピのような上着のようなものが何着かぶら下っていた。白地に黒や濃紺で何やら幾何学的な紋様が描かれている。なにか、このインディアンとアイヌのデザインもしくは紋様を編み出す感性には、何か共通性があるのではないかと強く感じたことを憶えている。
このインディアンも、モンゴロイド系でその昔ベーリング海峡を渡ってきた人たちの子孫といわれている。肉体的な特徴と同時に感性なども遺伝していくことがあるのではないだろうか。人類学を勉強したことはないが。

それから一年後、アメリカ南西部のアリゾナ州に行くこと機会があった。あの有名な大渓谷、グランドキャニオンのあるところだ。
その東にモニュメント・バレーという、数多くの映画のロケ地として使われた台形状の砂岩と砂漠の地帯がある。バック・トゥ・ザ・フューチャー3などで見たことがある人もいるはずだ。

巨大なメサが立つモニュメント・バレー

 

このモニュメント・バレーというところはアメリカ・インディアンの一部族、ナバホの伝来の地である。アメリカ・インディアンというのはアメリカ先住民のことだ。

「これだ、自分が撮るべきはアメリカ先住民だ。」

アメリカには、350余部族の先住民がいる。
その中で人口が最多なのはナバホと呼ばれる人たちだ。その当時(1970年)は約10万人。彼らが居住するように指定された保留地の広さは1600万エーカー。北海道の広さに近い。海抜が1千mから2千m近くある高地だ。だがもともと彼らが住んでいたところも同じような高地である。一部には森林もあるが、そのほとんどは巨大なメサ(台形状の岩石)とその岩石がくずれてできた赤い砂の砂漠だ。
ナバホの人たちはこの土地にきたころは、狩猟民だった。その後メキシコ人と接することによって羊を飼うことを覚え、遊牧民になった。現在遊牧はしていないが。

適当な家族を探し、住み込んでみるしかないだろう。
先住民各部族はそれぞれの部族政府を持ち、連邦政府直轄のもと自治をしている。ナバホ政府を訪ねてみた。取材と撮影の許可は意外とあっさりオーケーがでた。
羊を飼っているナバホの一家を探すことにした。目の前にある道を一本一本車でたどり、その先にある家を訪ねるしかない。住居も木と土で作った伝統的なホーガンに住んでいて欲しい。車で探し歩いた。毎日毎日。
舗装された州道を離れ、看板ひとつ立っていない凸凹な無舗装道路をあちこち走り、一軒の質素な平屋を見つけた。

伝統的な住居、ホーガン

彼らは羊飼いだ

 

外側をセメントで仕上げた木造の家だ。近くに羊の柵があり、ホーガンも三軒見える。煙突からは煙がでている。
ここだ、ここでいい。ドアをノックした。
しばらくしてドアが開いた。ナバホの女性が顔を出した。非常にビックリした顔をしている。

ここに車を停めさせて欲しい。車の中で眠るから。
水も食べ物も持っている。ここに居させて。迷惑はかけない。
そんなことを必死になって頼んだ。

羊追いから帰ってきた父親がその話し合いに加わった。赤銅色に焼けた逞しい身体で鋭い目つきの初老の男だ。
二人の話には英語は一切ない。ナバホ語だ。
突如、その男が低い声で言った。

「オウッ」
「???????」

その娘らしい人が通訳してくれた。

「He said yes.」

ナバホは女系家族だ

その夫

 

vol.2へつづく

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