飯塚明夫アフリカフォトルポルタージュ《ニャーマ》 Living For Tomorrow:明日へ繋ぐ命 #3
アフリカ大陸には54ヵ国、約12億人の人々が暮らす。ライフワークとして約30年間、この大陸の人々の暮らしと文化、自然を取材し実感したことがある。それは「彼らに明日は約束されていない」ということだ。
アフリカの人たちの「命の生存」を支える経済基盤は驚くほど脆弱である。不安定な現金収入のため、「その日暮らし」の状況に置かれている。今日の一日の労働は、明日に命を繋ぐための闘いだ。
だが彼らから感じるのは、悲壮感よりエネルギッシュな生活力である。厳しい社会状況の中で一生懸命に生きる人々に尊厳を感じたことも多い。そのような彼らの姿をシリーズでお伝えしたい。
メインタイトルの「ニャーマ」は「霊魂・生命力」等を意味する西アフリカに住むドゴン族の言葉である。アフリカの人々の中に息づく逞しい「ニャーマ」を少しでも感じ取っていただけたら幸いである。
アフリカフォトルポルタージュ-#3
真夜中の花嫁
-サハラ遊牧民の結婚式-
「花婿の待つテントを目指して、真夜中に旅立つ花嫁を撮りたくないか」
サハラ砂漠の取材から帰った私の耳元で、宿の主アハマドがささやいた。遊牧民ベルベルの結婚式が明日から始まるという。
ここはモロッコのメルズーカ。サハラ砂漠の北縁に位置する小さなオアシスだ。私はかつて栄えたサハラ縦断交易路の取材のためメルズーカに滞在していた。
サハラ砂漠は不毛の土地と思われがちだが、ラクダを「砂漠の舟」、サハラ砂漠を「砂の海」として、北アフリカのアラブ・イスラーム文化圏とサハラ砂漠以南(サブサハラ)の黒人諸国の間で、砂漠を縦断する交易が8世紀から19世紀末まで行われていた。最盛期(14世紀頃)には数千頭~2万頭のラクダのキャラバン隊が、金や象牙、香辛料、装身具、岩塩などを積んでサハラ砂漠を行き来した。
ラクダの扱いに慣れたベルベル人(モロッコ先住民)は、「ラクダ使い」としてサハラ交易に従事し、キャラバン隊の一翼を担っていた。
結婚式はぜひ取材したいが、ひとつ懸念があった。私の帰国便のフライトは5日後、カサブランカ14時発の便だ。結婚式が行われる花婿のテントとカサブランカの距離は約900キロ。道路状態と車の整備状況などを考慮すると移動に2日間は見ておきたい。3~4日続くという結婚式を最後まで取材するのは難しい。
「帰国便に間に合うように車を手配してやるから、ギリギリまで取材しろ。俺に任せろ」。自信たっぷりに請負うアハマドを信じて、結婚式の取材を決めた。
翌日の朝アハマドの案内でメルズーカから北東へ200キロほど離れた花嫁のテント(ブデニブ地方)に向かった。砂漠に出来た轍を頼りに進むが、幾度も車が砂に埋まり、テントに着いたのは午後四時頃であった。
花嫁のテントには既に近隣の遊牧民たちが大勢お祝いに駆け付けていた。花嫁家族に挨拶が済むと、男たちはお茶を飲みながら、牧草の育ち具合や市場での家畜の値段など様々な情報交換に余念がない。女性たちは客に振舞う、羊の肉を使ったベルベルの伝統料理クスクス作りに忙しい。
夜中近く、結婚衣装を身にまとった花嫁がテントから出てきた。彼女の顔は「アブロッコ」というベールで隠されていたが、ぎこちない身のこなしから緊張が伝わってきた。
花嫁の名はザハラ(17歳)。幼いときに両親を病気で亡くし、今日まで兄と六人の姉妹で力を合わせて暮らしてきた。花嫁衣裳に身を包んだ妹を兄が優しく抱き上げ車に乗せた。昔はラクダの背に揺られて花婿のテントに向かったが、今は車が主流だという。
花嫁の一行と私たちは夜の砂漠をゆっくりと進んだ。250キロほど離れた花婿一族のキャンプ地(ブアルファ地方)に到着したのは昼近くだった。
ザハラの兄が妹を抱きかかえて車から花嫁用のテントに運んだ。そこには既に二人の花嫁が座っていた。怪訝な表情をした私に側にいた花婿の父親アラー・アディ(50歳)が、事情を話してくれた。
「三組の合同結婚式だ。花婿のうち二人は俺の息子、もう一人は甥。一度に済ませたほうが手間もお金も掛からない」と笑った。厳つい体格と深く刻まれた顔の皺、口髭から家長の風格が漂う。
テントの外は、タンバリンのリズムに合わせて踊る人々や、久しぶりの再会を楽しむ人々で賑やかだ。いつの間にか布を売る商人まで現れた。
暫くすると三人の花婿が介添人を従えて、花嫁のテントに挨拶にやってきた。ベルベル人の結婚では結婚相手を家長が決めるので、当人たちは結婚式が初顔合わせとなるのも珍しくない。
その後親類縁者を交えて緩やかにダンスが始まったが、当人同士が直接言葉を交わすことはなかった。今夜初めて一緒に過ごすのだという。
3日目は朝から花嫁と花婿を囲んで、歌と踊りが続いた。今日は結婚式の最終日。日没後着けていたベールを取り、花嫁たちが参列者に素顔をお披露目するという。
陽が沈んで、花嫁たちはアブロッコから質素な白い布にベールを変えた。薄暗闇の中で花嫁たちの静かなダンスが続いていたが、ベールをとる気配はない。「これ以上は待てない」というアハマドの忠告を受け入れ、19時頃にカサブランカに向けてテントを後にした。
イスラーム社会では成人女性の素顔を撮影するのは、様々な制約があり難しい。日没後もベールをとらなかったのは、「異邦人」の私の存在が影響したのかもしれない。
夜を徹して走る車の窓越しに月が見えた。その月に誘われて、ザハラの素顔を想像した。
文・写真/飯塚明夫
©IIZUKA Akio