Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー vol.13

学校法人呉学園 日本写真芸術専門学校には、180日間でアジアを巡る海外フィールドワークを実施する、世界で唯一のカリキュラムを持つ「フォトフィールドワークゼミ」があります。

「少数民族」「貧困」「近代都市」「ポートレート」「アジアの子供たち」「壮大な自然」、、

《Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー》では、多様な文化があふれるアジアの国々で、それぞれのテーマを持って旅をしてきた卒業生に、思い出に残るエピソードをお伺いし紹介していきます。

超えて行かなければならないらくだのこぶを。

PFWゼミ2期生 佑木 瞬

驚いたことは、あの日のあの温度を、恐怖を、感嘆をはっきりと思い出せるということだった。

 

2007年7月21日。
引率の五十嵐先生と中国敦煌で、らくだで砂漠に一泊ツアーに参加した。
このツアーは、感動も辛さもハプニングも面白さも砂漠の中に詰まっていて濃密なことこの上なかった。

まずこの旅で外せないのはコーディネーターの陳さん。


敦煌料理店通称『旅人の家』を拠点にして仕事をしている。怪しい日本語を巧みに操り、胡散臭いなあと思いつつも不思議な説得力を持つ。
当時は旅人の家のおやじと思っていたが、冷静に考えれば客席の一角で飲んだくれながら観光客への宿泊やツアー紹介を担っていたので、コワーキングスペース的な働き方だったのかもしれない。

ツアー当日。17:00集合。
心配してテルテル坊主を作って願った甲斐もあり、晴れた。
さあ出発!と思いきや、ガイドのリーさんのご自宅に案内されメロンでもてなされたりする。ここでもう30分以上遅れている。と、ヤキモキしても仕方ない。委ねるしかないのである。
裏庭にらくだ達が現れた。なるほど、リーさんが飼っているらくだに乗せてもらうからここに来たんだ。リーさん、中国人にしては珍しく純朴寡黙な温かみのある、高倉健のような人だった。

思った以上に目線が高くなるらくだ。立ち上がる時の高低感がすごい。揺れます。こぶを触ってみる。毛が硬い。もふもふ。らくだに乗りながらバランスを撮りながらの撮影は予想より大変。

ツアー参加者は、五十嵐先生と私とスペイン人カップルの4人。
ツアーに2パターンあって、らくだに荷物も一緒に乗せるコースと自分だけ乗るコース。
『まあ、運んでくれるのはらくださんだし、、』
私たちはそれで安くなるならと荷物も運ぶパターンを選択。カップルは人だけコース。必然的に自分達の荷物とカップルの荷物もらくだに乗せられる。なるほど、そういうことか。。出会ったばかりで同じツアーに参加するだけなのに、急に召使い感が出る。別にいいんだけど、そういうルールだけど、なんか複雑。こういうなんとも言えない気持ち程覚えているものだ。

敦煌のお墓を通過しながら徐々に砂漠へ。見渡す限り砂漠。街が遠のいていく。全て砂の世界。すごい!すごい!そして直射日光がとても熱い。日が当たっている片面だけ、ジリジリと焼けていくのがわかる。太陽が近い気がした。

永遠と続く砂漠も、らくだのリズムも少し慣れてきて。一時間程歩いたところでストップ。
ここからは自力で砂山を登れという。私たちは初耳。カップルも聞いてないという。
戸惑っているうちにガイドのリーさんは『日が沈む前に、10時までにはテントの用意しとくから来てねー。』と、鼻歌を歌いながら行ってしまった。

見上げる山。有無を言わさない砂漠登山が始まった。登っても登っても砂山。これが驚く程キツイ。なにがって前に進まない。サンダルに砂は入ってくるし足場はどんどん崩れて来るから、早く足を前に動かさないと後退してしまう。私はクロックスを脱いだ。『裸足のほうが登りやすいー?』遠くから彼女が聞いた。『少しはマシかも。』息が上がりながら私は答えた。
国を忘れてしまったが、それぞれ別の国に住んでいて、中国で合流してツアーに参加しているスペイン人のカップルだった。国を超えた遠距離恋愛をしながら、敦煌を旅している2人。とても素敵だった。いろんな価値観や結婚も付き合い方も多様なことは、出会った人に教えてもらう。


登山はまだ半分行っていない。汗だくで息は絶え絶え、乾燥している。夕日が迫ってくる。夕日が落ちる前にリーさんの元にたどり着かなければ、砂漠の闇が迫ってくる。でも立てない。立たなければ遭難してしまう。五十嵐先生が遠くなっていく。
死を覚悟しながら見た砂漠の夕日はえげつなく美しかった。


“自分探しなんてしてる場合じゃない”と当時のブログに書いていた。
日本では限界だと思っていたことも、限界を超えないと死を覚悟する瞬間。自分で歩かなければならない瞬間。生きている、となにより思った。

リーさんお手製の夕ご飯を食べてから砂漠の夜がやってきた。

明かりはたき火と星だけ。夜が、深く広い。ここなら野外で暗室できるんじゃないかなってくらい暗い。少し小高い丘にいって砂漠にごろんと寝転がる。360度遮るものが何もない星空。完璧な天の川。流れ星。こんなに瞬いてるとは。あんな小さな星も目に見えるとは。人生で一番、星が見えている夜だった。
リーさんとカップルは早々に寝てしまったが、五十嵐先生と私は興奮で寝れず、夜な夜な焚き火をしながら寝てしまった。砂漠の夜は日中とは違いとても寒く、寝袋に入っても冷えるほど。砂漠で野宿してしまった。

ここに来たから感じられること。
『世界が教室だ』という意味はここでいやという程体感した。
どの国のどんな街だってインターネットで見れるかもしれない。
でも大切なのは予測していない人との出会いや、自分がそこにいて限界を超えたときに見えた景色と心の機微だったりする。

15年も前のことなのに、当時の写真を引っ張り出してくると水を得た魚のようにありありと蘇ってくるあの日。写真を撮っていたからだ。写真を撮っているときの感覚は思い出せる。これは他に例えようがない。私がカメラを持っている人で本当によかったと思う。

旅に出る前、私は怖くて仕方がなかった。自分が変わること、知らない世界に行くこと、独りになること。
それでも私を突き動かしたのは、海外への興味と決意だろうと思う。

FWで得たことは、撮影する勇気を持てたこと。カメラを他者に向ける、写真を撮る。それはその人の人生を一部引き受けることになるし、自分と向かい合うことでもある。大変な撮影がある時ほど、“いやいやでも、あの旅をしてきたんだから大丈夫。乗り越えられる”と、お守りのように思い出す。写真家である根幹は、いつもこの体験にあることは否めない。

そして、今思えば、旅する日常が私はとても好きだった。
『しつこいね』と、恩師にかけられた言葉は的を得すぎて苦笑いした。諦めが悪く現在でも写真を撮っていて、北海道と東京の2拠点で活動している。毎月バスとフェリーで移動しているなんて非効率な生き方を選択しているのは、フィールドワークの旅を終わらせたくないから、かもしれない。

 

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