Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー vol.17

学校法人呉学園 日本写真芸術専門学校には、180日間でアジアを巡る海外フィールドワークを実施する、世界で唯一のカリキュラムを持つ「フォトフィールドワークゼミ」があります。

「少数民族」「貧困」「近代都市」「ポートレート」「アジアの子供たち」「壮大な自然」、、

《Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー》では、多様な文化があふれるアジアの国々で、それぞれのテーマを持って旅をしてきた卒業生に、思い出に残るエピソードを伺い、紹介していきます。

今日も地球のどこかで

PFWゼミ10期生 小野塚 大悟

 

イギリスが生み出した大量生産・大量消費社会。その最たるものが「家」、つまり郊外に立ち並ぶ新興住宅地群だと考え、フィールドワークでの撮影テーマに新興住宅地の誕生から廃退までを選んだ。そのハイライトがマレーシアになることを旅の前は想像もしなかった。

クアラルンプールからKTMコミューターという電車に乗って1時間。西部の町Klang(クラン)に着く。そこからバスに乗り換えて20分ほどすると撮影地である、Setia Alam(セティア アラム)の新興住宅地に到着する。

バスを降りて左右を見渡すと、すでに建てられた新興住宅地に人が住んでいて一つの小さな社会として機能している様子だった。そこはどうやらSetia Alamの端っこあたりのようだった。
私の中のイメージでは、まだ人の住まいとしては機能を果たしていない、開発されている真っ最中の新興住宅地の写真が欲しかったので、ひとまずは空間が開けている方向を目指してとにかく歩くことにした。住宅地を外れると、整地された地面が剥き出しの荒野が広がっていた。

歩き出して1時間ほど経った頃、大きな建物が見えてきた。そこは「Setia City Mall」というショッピングセンターだった。暑さを凌ぐ思いで建物に入ってみると驚いた。立ち並ぶテナントが、想像していたよりもずっと先進的なものだらけだったからだ。ファッション、アクセサリー、飲食店。我々には馴染み深いユニクロや日本食の店まで入っていた。日本でいうならイオンのようなモール。
外を歩いていた時は荒野さながらの景色が果てしなく続くかのように思えたが、ここにはオアシスが広がっていた。

モールの一角に、東京では考えられない空き具合のスターバックスを見つけたので休むことにした。フカフカなソファに汗と砂埃まみれの体で座り、窓の外に広がる人工的な川と緑の景色を眺めて、この後どうするべきかを考えた。
手っ取り早く今あるこの荒野を歩き回って撮影するか、すでに目に見えている範囲の建設現場を撮影するか。しかし、まずはこのだだっ広い荒野がどこまで続くのか、全貌を把握したかった。
そこで、Setia City Mallに辿り着く前に視界の端っこにチラついていた小高い丘に登って、周囲を眺めることにした。

その丘の麓まではシティモールから1時間ほど。撮影しながらゆっくり歩いた。歩道を歩くのは私だけで、車道は韓国製の乗用車や日本製のトラックやピックアップトラックが砂埃を撒き散らしながら走っていた。
マレーシアは多国籍民族だからか、異国人が道を歩いていようと電車に乗っていようと誰も気にしない。旅行を続ける6ヶ月間のなかで、他者の視線を常に感じながら過ごしてきた身としては、マレーシアはとても過ごしやすい国だった。

この丘は元々緑が豊かだったのだろうか。今は採掘のために削られて、黄土色の地面が剥き出しだった。トラック1台が通れる道も整備されており、その道を黙々と登った。時折後ろを振り返ると、徐々にSetia Alamの概要が掴めてきた。私がはじめにバスを降り立ったところは、すでにコミュニティとして機能した住宅ブロックがいくつか集合した場所であり、人々が日常生活を送っている場所だった。それが左手側にあり、正面にはSetia City Mallがそびえ、右手側にはまだ建設途中の住宅ブロックがポツンポツンとあるだけだった。
それ以外は荒れた土地が広がっていた。だからこそ、そのなかに建つ綺麗なSetia City Mallは、現代的な異質物の塊という感じで浮いて見えた。

その眺めに圧倒されながら、さらに丘の上を目指した。丘の中腹ではショベルとダンプが採掘作業をしていて、だだっ広い空間に重機の音だけが響いていた。
その採掘現場を通り過ぎて頂上に立った時、私は驚愕した。
丘の向こうにさらに倍の広さの開発地があったのだ。

歩いてきた道中からは、この丘が壁になって見えなかったのだが、ようやく全貌が見えた。
そこからまず目に入ったのは、マンションのような10階建て以上の大きな建物が、いままさに建設されている姿だった。多くの作業員と重機が忙しなく動いている。そしてその向こうには、すでに完成した白く輝く新品のマンション群が建ち並んでいた。
まだ人が住んでいる様子はない、出来立ての建物だ。いままでみてきた荒野はかりそめの姿でしかなく、この勢い溢れる建設ラッシュの光景こそ、Setia Alamの本当の姿な気がした。

フィールドワーク中、最も衝撃を受けた瞬間だった。
自分の想像を上回る規模で開発が行われており、日本と同じ地球上の出来事とは思えなかった。SFでありがちなどこかの惑星建設計画のワンシーンのようだ。自分がさっきまで見ていた世界なんて、ほんの序章に過ぎなかった。

新興住宅地という言葉では生ぬるい大規模な開発。白い箱のような家やマンションが立ち並ぶだけで、人の気配が微塵も感じられない異様さ。ひとつの街が新しく作られようとしていた。でもこの膨大な数の家に本当に人が住むのか? 資本はどこから? ここは元々山だった? 草原だった? 目の前の現実に頭の理解が追いつかないまま写真を撮り続けた。

 


 

現在、写真を主な生業にしていない私にとって、この出来事を含めたフィールドワークの旅が、今に活きているのか正直なところわからない。しかし、これまでの人生にない数々の衝撃や出会いによって、価値観は少なからず変化したはずだ。

私の人生における選択はこの6ヶ月間の旅で得られた経験も影響しているはずで、そういう意味ではこの出来事の延長線上に今が在ると思っている。
見知らぬ土地で彷徨いながら、自分自身の内面と被写体に向き合う濃密な6ヶ月間だった。

今でも、たまにこの時の光景を思い出してこう思う。
「今日も地球のどこかで、これまでの世界が変わろうとしている」と。

 

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