菊池東太のXXXX日記 vol.10
わたしはナバホ・インディアンの写真でデビューした。
ところが今になってその写真に納得がいかなくなってきた。インディアンと呼ばれている珍しい人たちという視点で彼らを見、シャッターを押していた。同じ人間という視点ではないのだ。
撮り直しに行こう。最終作として。この考えに至った経緯も含めて、これから写真家を目指す若者たちに語ってみたい。
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※TOP画像:442部隊の碑 ローワー収容所 アーカンソー州
日本人が日本にいる場合、日本人だからという理由で差別されることはない。だが海外に出てアメリカなど白人が多い国へいくと、そこに差別が生まれることが多々ある。この場合日本人は差別される側になる。
人種差別というものは人と競りあって、生活をする場合に起こりやすい。相手より優位にたつためだ。かつては多々あったし、今日でも残念ながらある。
わたしが世話になっているナバホの老夫婦と保留地の外のレストランに入ったときに、後から入ってきた白人客には水のサービスがあったのに、こちらには水を持って来なかったことがあった。
また、グランドキャニオンではひと言の断りもなしに、私とかれらがいっしょにいるところを、写真に撮られた。そのときのわたしはナバホの老夫婦とその息子という見世物だったのであろう。ひと言もなしにシャッターを押されたのは、この時が生まれて初めての体験だった。
これは日本人としてではなく、多分ナバホと間違えられておこったことだ。だが、間違いなく無礼極まりない差別である。
日本人もアメリカインディアンのナバホも白人ではなく黄色人種である。つまり人種の頂点に白人があり、黄色人種、黒人とあるのだ。ここで日本人が黒人より上だといって喜んではいけない。そう思うこと自体が差別である。
第二次大戦中にアメリカに442部隊という、日系二世で編成された日系人部隊があった。かれらはヨーロッパ戦線で活躍した。アメリカの部隊のなかで最も戦死率が高かった部隊といわれている。かれらは日本人の血を引いているということで、白人優位の社会で数限りない、様々な差別を受けて生きてきた。
この戦いで戦果、武勲を上げ、アメリカ国民として胸をはって迎え入れられたい、という強い願いがあった。だから非常に勇敢に戦った。その結果、戦死が多かった。命を犠牲にしてまで、自分たち日系人をアメリカ国民として再評価させ、その地位を高めたかったのだ。
なるべく若いうちに日本の外に出て、人種差別にあい、いろいろ感じたほうが良い。そのためにはそれを理解する能力、語学力が必要になるが。
そうすることによって、かつてこんな差別がおこなわれ、苦しんできた日本人や日系人がいたことを理解できるようになる。人を差別する側は人を見下しているから、差別意識をストレートに表現することもあるかもしれない。
欧米に行った場合、かなりの確率で差別にあうだろう。これは人間として大変に重要な体験になる。
自分が差別されることによって、差別されてきた人たちの気持ち、世の中の仕組み、日本人という位置をはっきりと理解、認識できるはずだ。
また逆に、日本人は人種差別している場合が多々ある。人種的に非常に近い、中国人、韓国朝鮮人に対してが特にそうだ。
そして黒人。白人と結婚することはそこそこあるが、それが対黒人となると極端に少なくなるのは、なぜだろう? よく考えてみたい。
vol.11へつづく