ラグビーを追い続けるフォトグラファー、谷本結利
昨秋、熱戦を繰り広げた「ラグビーワールドカップ 2023」。日々試合を楽しみにしていた方も多いのではないでしょうか?
このフランス大会に、日本写真芸術専門学校の卒業生である谷本結利さんが現地入りし撮影をしていました。国内のラグビーチーム「静岡ブルーレヴズ」の公式フォトグラファーでもある谷本さんから、ラグビーワールドカップの撮影の様子から普段のお仕事について、谷本さん自身のお話まで伺いました。
谷本 結利
静岡県静岡市出身。中学3年生のときに大畑大介氏をテレビで見たことでラグビーと出会い、高校1年生からラグビーを撮り始める。日本写真芸術専門学校の昼間部3年制写真科フォトフィールドワークゼミ卒業後、研究科を経て、2008年4月~2011年3月まで朝日新聞出版に契約カメラマンとして在籍。人物、ルポ、料理、店舗など様々な撮影現場で経験を積む。
現在はフリーランスの商業カメラマンとして、ラグビーをはじめとするスポーツを中心に活動の場を広げている。日本スポーツ写真協会会員。2022年より国際スポーツプレス協会会員。
現在の仕事について
私は主に「J SPORTS」というスポーツ専門のテレビ局、「静岡ブルーレヴズ」という国内のラグビーチーム、「ジャパンラグビーリーグワン」という国内のリーグの全試合の撮影を請け負っている方からの依頼で、ラグビーの試合を撮影しています。
まずは、クライアントさんから指定された試合の撮影依頼がくるところから始まります。どの媒体であっても試合当日の流れはほぼ変わりません。
試合当日の流れ
会場着。フォトマネージャーさん、もしくはチーム広報さんにその日のイベントや流れについて確認
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イベントや雑観や試合の撮影
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ハーフタイム中に速報用データを送る必要があればデータ納品
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記者会見やミックスゾーンの撮影
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試合終了1時間以内に雑観、会見、ミックスゾーン、試合全てからSNS発信のための速報用データを数十枚納品
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翌日などそれぞれの締め切りまでに残りのデータのセレクト、処理、納品
ラグビー以外のスポーツでも同じですが、オフィシャルフォトグラファーと、それ以外のフォトグラファーで撮影できる範囲は異なります。ラグビーにおいてはオフィシャル以外のフォトグラファーは基本的にはゴールポスト裏のデッドボールラインの後ろのみ、オフィシャルはピッチ内とベンチ前以外のほぼ全ての場所から撮影できます。
そのためオフィシャルの方がさまざまな写真を撮ることができるため、とても刺激的で楽しい撮影になります。
スポーツ写真ならではの魅力は、流れていってしまう試合の決定的な瞬間を留められるというところと、また流れていく中では見逃してしまうかもしれない選手の表情などを留められるというところです。
写真として留めることでより印象に残るシーンになると思っています。
私もそうですが、フリーランスのフォトグラファーの多くは、写真に関する権利を自分に残すために旅費交通費などは自腹で出し、クライアントさんからは原稿料だけをいただくという形をとっている方が多いです。そのようにすると、取材申請を出させていただいたクライアントさんの媒体以外の媒体でも写真を使っていただくことができます。自分の写真をいろんな人に見ていただく機会が増えるわけです。
そしてそれぞれから原稿料をいただき、旅費交通費の赤字を少しずつ挽回しています。これは試合の勝敗によって、ワールドカップで言えば日本代表がベスト8に進めば雑誌の別冊が出るかもしれないなど、かなりこちらの収入に関わってくる話になるため、そういった意味でもフリーのフォトグラファーは勝敗にハラハラしています。
「ラグビーワールドカップ 2023 フランス大会」について
昨年は「ラグビーワールドカップ 2023 フランス大会」が開催されており、私も開幕から準々決勝までの一ヶ月半、撮影に行っていました。ワールドカップの撮影は、前回行なわれた2019年の日本大会からで二度目になります。
私は撮影分担の都合上、単独での行動が多く、行く前はとても不安でしたが、行ってしまえばスマホ(特にGoogleMAP)があればなんとかなるもので、自分が17年前に行ったフォトフィールドワークの旅とは随分違ったものになりました。
フィールドワークのときはまだ携帯もガラケーでしたし、その場でGoogleMAPを見ることなど出来ず、電車やバスの時間を調べることさえ出来なかったので、いま思えば一体どうやって旅していたのかわかりません。(よくやっていたなとしか言えません(笑))
スマホにより、旅自体は楽になったものの、宿の予約確認書や電車のチケットなど全てがスマホに入っているため、スマホを紛失したら終わり…ということも感じました。
治安がとても悪いと言われている場所でのナイターの試合では、帰れるのが毎回深夜1時を過ぎてしまうのでホテルの部屋に戻ってドアを閉めるまで安心できず、なかなかのストレスを感じ、日本は安全だなと実感しました。
それでも、ワールドカップの撮影はとても楽しいものでした。
試合のレベルは高く、ファンも熱く、スタジアムがある街全体がワールドカップを盛り上げており、ワールドカップでなくては感じられない高揚感を感じることができました。
海外のファンの方々はスタジアムへの行き帰りでも歌を歌い、地下鉄やトラムの壁や天井を叩きまくり、飛び上がって盛り上がっていました。そういう文化がない日本人の私にとっては「これ日本でやったらたぶん通報されるかヘタしたら捕まるだろうな」と思う場面も多々ありましたが、おもしろかったです。
ラグビー以外も様々なスポーツの世界レベルの大会を撮影されてきた60代半ばになられている大先輩フォトグラファーさんが、「ラグビーのワールドカップは中毒になるよ」とおっしゃっていました。
2019年の日本大会では感じなかったことですが、日本の日常から離れているという感覚も途中から無くなって、その中で世界最高峰の熱狂的な試合を撮影できること、またどれだけ赤字を減らせるかという勝負になるとしても、撮れる権利さえいただけたら私はまたきっと撮りに行ってしまうのだろうと思いました。
ラグビーを撮り始めたきっかけ
そもそも写真を好きになったのは、小6の修学旅行のときに「写ルンです」で撮った写真を学校の先生と写真屋さんのおばあちゃんにとても褒められたことがきっかけです。学級新聞のようなものを作ったときに、担任の先生が「ゆうりの写真上手いからみんな見ておいで」と言ってくださり、それが嬉しくて写真が好きになりました。
当時はカメラ付携帯電話もなかったですし、当然デジタルカメラもありませんでした。いまはもうその写真は手元にはないですが、ネガという生ものであったことがいま振り返るとすごいことだなと感じています。
いろいろな方に質問をされるのですが、私がラグビーを撮り始めたきっかけは一目惚れから始まります。
大畑大介さんという選手がいたのですが、その方がプロスポーツマンNo.1決定戦というSASUKEのプロアスリートしか出ない版のような番組に出ていて、しかも初出場でぶっちぎりで優勝したんです。中3の冬でした。心を鷲掴みにされました。この方がやっているラグビーというスポーツ見てみたいと思って、当時その時期にやっていた日本選手権を地上波で見ました。ものすごくかっこよくて、生で見たいと思って県内のグラウンドに行ってクラブチームの試合を見た時「あ、これは撮った方がいいな」と思って高1の冬からラグビーを撮り始めました。
私は写真を撮るのが好きで、大畑さんを見て、ラグビーを知って――その時の全てがいまにつながっているなと思います。
専門学生時代を振り返って
日本写真芸術専門学校では、フォトフィールドワークコース(現:フォトフィールドワークゼミ)に在籍していました。このコースでは、3年目にアジアを半年間かけてめぐりながら写真作品を制作する、というカリキュラムがあります。
私は前述のような経緯で写真を撮っていたこともあり、いろいろな国の伝統的なスポーツを撮るテーマを掲げ、アジアをめぐりました。
特に印象に残っているのはタイのムエタイで、ジムに朝から夜まで毎日通って密着取材をしました。
当時はインターネットも現在のようには普及していなかったので、まだまだ情報の少ないHPや地図やガイドブックなどで情報を集めてはいましたが、バンコクに着くまで何も決まっていませんでした。
私はとても運が良いのだと思うのですが、私がバンコクで目当てのジムを探して迷っているところに声をかけてジムまで連れて行ってくれたおじさまが、私の事情を全部ジムの方に説明してくれました。ジムの方々はタイ語しか分からない方も多く、おじさまが通訳してくれなければジムを見つけたその日に取材交渉が出来ていたか分かりません。結果として、プロモーターの方が来た時にちゃんと挨拶してくれたらあとは自由にやっていいよ、と言っていただけて、かなり突っ込んだ撮影もすることができました。
半年間のフィールドワークをすべて自分で計画して、自分で実行して、そして無事に帰ってきたこと、これを二十歳そこそこの小娘がやれたことはとても大きい経験だったと思っています。
フォトグラファーとしての矜持
プロのカメラマンとしてのキャリアは、株式会社朝日新聞出版に入社してから始まりました。
学校ではフィルムで撮影していたのでデジタルでの撮影は朝日に入ってから本格的にやることになりましたし、ということはPhotoshopの技術も未熟でしたし、スタジオワークもあまりやっていなかったので、朝日に入ってから学んだことは本当に多くあります。もちろん学生時代にも授業で学んではいましたが、何よりも仕事として引き受けることで生じる責任は、学校で課題として撮影することとは比べるものではないレベルの話のものです。
仕事として向き合うということは、自分が撮った写真が紙面に載り、自分の名前も載り、それでお金をいただくということであり、とても責任が伴うものです。芸能人の方を撮る機会が多くありましたが、そうではない一般のお医者さんや大学の先生など、普段はあまり表に顔が出ない方々の写真を撮ることもたくさんありました。その写真が誌面に載ると、他に自分の写真が表に出ているわけではないそのひとたちにとっては、もしかしたら一生に一度かもしれないその写真で、見た人に判断される可能性があるというかーーそういうことを考えるようになったのも、プロとして働くようになったからだと考えています。
誰かを写すということはものすごく暴力的なことで、すごく丁寧に扱わないといけない。それを全国で見られる媒体で仕事をして実感しました。
いざ「お仕事」として「プロ」として仕事をしていく上での覚悟や真摯さや繊細さ、その考え方や姿勢を身につけていけたのは、最初のキャリアとしてとても重要な経験だったと思っています。
私は「スポーツフォトグラファー」と言われることもありますが、「スポーツフォトグラファー」のつもりはないというか、なっていないというか――
カメラマンとしては当たり前にプロだと思っていますし、インタビューやポートレートやルポなど、依頼をいただいたら撮れるものは何でも撮っているので、いわゆる商業カメラマンとして活動しています。その中でもラグビーが好きでずっと撮り続けていたら、ありがたいことにラグビーやスポーツ周りの撮影をいただけるようになったのだと思います。プロレベルの試合をコンスタントに撮れているのはいまはラグビーだけなので、ちゃんとしたスポーツフォトグラファーとは名乗れないんじゃないかと思っています。
心に残る写真は?
いちばん心に残っているのは、専門学校に入学する前の写真で高校ラグビーの試合で土のグラウンドにトライしている写真です。ラグビーという体を張りまくるスポーツの過酷さがわかるものだったと思います。
専門学生時代の写真では、なんといってもムエタイの写真です。日本では格闘技の選手はもてはやされるものですが、ムエタイの試合は賭けの対象であり、選手は競馬の競走馬のような感覚で見られていると知り、深く撮りたいなと思ったものです。
プロになってからは、品川のキヤノンギャラリーでも展示させていただいた日本代表のスクラムを後ろから撮った写真です。私はラグビーの魅力として造形美を推しているのですが、それが上手く撮れた写真だと思っています。
こう振り返ると、私はそのとき好きだと思っているものを撮っているだけなのかもしれないと思いました。
これからも、自分が好きだと思うものの良さを伝えられる写真を撮っていきたいと思っています。
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