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Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー vol.3
学校法人呉学園 日本写真芸術専門学校には、180日間でアジアを巡る海外フィールドワークを実施する、世界で唯一のカリキュラムを持つ「フォトフィールドワークゼミ」があります。
「少数民族」「貧困」「近代都市」「ポートレート」「アジアの子供たち」「壮大な自然」、、
《Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー》では、多様な文化があふれるアジアの国々で、それぞれのテーマを持って旅をしてきた卒業生に、思い出に残るエピソードをお伺いし紹介していきます。
闇夜のダンスホール
PFWゼミ7期生 長山 萌
2012年7月、私はカトマンズからバスで1時間半ほど西に進んだダルケという小さな町にいた。この町を訪れる前に私は長い旅の疲れから体調を崩し、以前から予定していたナムチェバザール行きをキャンセルしていた。ネパールでの撮影先をどうするか悩み、カトマンズで滞在していたFUJIホテルマネージャーのナラヤンブジェル氏に今後の取材先の相談をした。幸運にもダルケという町にある彼のご実家が私の撮影テーマにぴったりだったので、すぐにご家族に連絡を入れて1週間ほどホームステイさせていただくこととなったのだ。
ブジェル氏には妻と2人の娘がいるが、ブジェル氏と長女はカトマンズで、妻と次女(以下、チャンダニ)はダルケで生活をしていた。
ダルケのナラヤン一家は大家族だ。
ブジェル氏の弟を中心に、彼らのご両親、ブジェル氏の妻、チャンダニ、弟の妻や子どもたちそれから大勢のいとこ達で生活している。あまりの子どもの多さに誰が誰の子どもであるのか把握するのには3日ほどかかった。
私の滞在中は主に英語でのコミュニケーションが可能な弟とチャンダニが生活のサポートをしてくれた。
ナラヤン一家の生活は、ブジェル氏からの仕送りと農業が主な収入源であった。
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庭先の祭壇
ナラヤン一家の1日は、天候に関わらず庭先の祭壇で行われるおばあさんのお祈りの鈴の音で始まり、子どもたちは学校へ、大人たちは畑で農作物を収穫し、数十キロの収穫物を担いで商人へ売りに行く。
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通学
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収穫した作物を運ぶ
子どもたちは学校から帰宅すると大人たちが帰宅するまで宿題をし、牛や山羊の世話をして過ごしていた。
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宿題する子ども
私が訪れた7月はちょうど田植えの時期と重なり、子どもたちも総出で丸1日田んぼに出て働くこともあった。
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田んぼで昼食をとる農婦たち
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田植えの手伝いを終え帰路につく子どもたち
ある日、田んぼでの作業を終え、チャンダニに誘われて従姉妹のスリスティとともに近所に住むリティカの家に遊びに行った。
夕食まで時間があったのでその帰り道に雑貨屋に寄ってチャイを飲んでいると急に店の電気が消えた。停電らしい。聞くとその日は、都市部でお祭りがあるので田舎まで電気がこないという。
私が困惑していると、いつ間に辺りにはキラキラ光るものが沢山飛んできた。蛍だ。
空を見上げると見たこともない数の星が空いっぱいに広がって何度も、何度も私の視界を横切る。
私がリティカら貰ったクルタを着て帰宅すると、皆が私の方に懐中電灯の光を向けるからくるくると回ってみせる。
暗闇の中で、チャンダニが携帯電話からアクアの「愛しのバービーガール」をかけると、子供たちが一斉に踊り出す。
クルタの裾と丁寧にブローされて編まれたお下げ髪がヒラヒラと舞って、腕につけたチュラが懐中電灯の光に反射してキラキラ光る。ネパールの女の子たちはうっとりするほど本当に綺麗だ。
私が笑いながら手を叩いていると「ディディも踊ろう!」と誰かが声を上げる。
「ディディ」はネパール語でお姉さんという意味だ。私はこの言葉の音と響きが大好きだった。
私が無理無理と拒んでいると、チャンダニが私の手を引く。皆が揃って手を叩き、私を盛り上げるからチャンダニと一緒に踊る。
その晩は、結局電気が灯ることがなく、ローソクと懐中電灯、それから携帯電話の明かりを頼りに夕食をとり、夜更けまで語り合った。
その晩はこれまで一時も一瞬も逃すまいと構えていたカメラから少しだけ手を離し、家族との大切な時間を共有できた。
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クルタを着用した私。左からリティカ、チャンダニ、私、リティカのお母様
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撮影した写真を見て笑う家族
ネパールでの撮影に入る前に、インターネットでとある美術評論家の方の記事を目にした。
「表現は生のままを露呈させることではなく、表現は氷山の一角であるべき。深く潜り、沈殿し、ほんの一部が水面から浮上する。表現は表すという他動詞ではなく、表れるという自動詞である。表れるためには隠れているものがなければならない。」
私にとってこの一夜の出来事がまさに表れる為に隠れているものだったのだろうと当時を振り返り、今思うことの一つである。
私はフォトグラファーとして被写体と向き合いシャッターを切り続けることが役割であると同時に、被写体が私だけに向ける視線や表情にいかにして気がつくか、カメラの外で繰り広げられる被写体の人生に触れた時、フォトグラファー自身がどんな体験をするのかが作品を作り上げる為にどれだけ大切かをナラヤン一家との交流を通して改めて気がつくことが出来た。
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ヘナタトゥで遊ぶ子ども
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縁側で談笑する少年たち
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おばあさんの髪を編む子どもたち
FWでの旅を終えて9年経った。卒業後もFWで制作していた作品をライフワークとして続けていく上ではもちろんだが、仕事の現場でもネパールでの取材体験が今でも活きている。
私は、東京と上海で仕事をしてきた。私にとって異国の地である上海での仕事は、東京で体験してきたこと以上にその土地の文化や日常の中にある事象をより一層周知し、観察する必要があったし、私をサポートしてくれる現地のスタッフやクライアントとの会議から雑談まで言葉一つ一つに耳を傾ける必要があった。友人との何気ない日常の交流や会話の中にも、その街でフォトグラファーとして仕事をしていく為の貴重な体験が沢山あった。
時には自分の中にある凝り固まった常識に引っ張られ反発してしまうこともあったが、異国で生活し仕事をすることができたのは、ネパールでの一夜とFW全体での経験があったからだろうと思う。
最後に、なぜ今回ネパールでの出来事を記事にしたかという話をしたい。
「FWの旅で思い出に残る1日」というテーマで執筆依頼をいただき、FW中につけていた日記を読み返していた。
なぜかネパールの日記だけがすっぽり抜けていたのだ。日記帳に記載のある出来事でも一切当時のことを思い出せないことがある中で、日記のないネパールでのこの一夜のことは鮮明に当時の情景が頭に浮かび、今回のテーマにぴったりだと思い作品を見返しながら記事を書いた。
作品を見返しながら当時の出来事を文章に書き起こしていく作業は、子育ての為に作品制作や写真の仕事から少し離れた生活をしている今の私にとってとても有意義な時間となった。
執筆の機会をくださった広報の三浦さんをはじめとした学校関係者の皆様と、バトンタッチしてくれた岡田舞子ちゃん、ありがとうございました。
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別れ