Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー vol.11

学校法人呉学園 日本写真芸術専門学校には、180日間でアジアを巡る海外フィールドワークを実施する、世界で唯一のカリキュラムを持つ「フォトフィールドワークゼミ」があります。

「少数民族」「貧困」「近代都市」「ポートレート」「アジアの子供たち」「壮大な自然」、、

《Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー》では、多様な文化があふれるアジアの国々で、それぞれのテーマを持って旅をしてきた卒業生に、思い出に残るエピソードをお伺いし紹介していきます。

緑の村で出会う

PFWゼミ11期生 藤林 彩名

台湾の雲林では毎日曇天だった。そこで私は廃墟の村を撮影していて、その日もホテルから50分程歩いて村に向かった。

村の名前は”建國村”。この辺は日本の植民地時代、日本の空軍基地や軍事コミュニティエリアとして利用されていた。終戦後は台湾に返還され、台湾空軍の退役軍人とその家族が住める村として使用されていた歴史ある場所だ。かなりの広さがあり、その日は撮影2日目でまだ村の全貌が掴めない程だった。村に残されている建物はほとんどが植物に覆われていた。じめっとした薄暗い廃墟は映画のセットのようだった。そんな場所に心躍らせながらも、廃墟特有の不気味さに毎回緊張をしていた。

村の歴史や地図が載ったパンフレットもあり一応観光地化はされているようだったが、当時観光客に出会うことはなく地元の人が通りがかる程度だった。やはり外国人が撮影をしているのが珍しいようで地元のおじさんに話しかけられる。台湾語でいきなり話しかけられたので、「私は日本人です。」と言うと、おじさんもどう言ったらいいのかわからないようで、「おー!ジャパン!」と言いながら握手を求められる。おじさん「大阪!東京!」私「東京!」おじさん「おー!東京!」そしてまた握手。ここに来る度にこのおじさんとは顔を合わせるようになった。何をやっている人なのかはよくわからない。でも私を気にかけてくれているようで、決して悪い人ではなさそうだった。

おじさんが「ちょっと来て。」と言うのでついて行くと、何にやら私と歳の近そうな人たちがいて私のことを紹介してくれた。地元の大学生がここ建國村の歴史を勉強していたようで一緒にどう?と言われたので、お言葉に甘えることに。日本から写真を撮りに来たと言うと、すごく興味を持ってくれたようで「ひとりで来たの?」「クラスメートはどこにいるの?」「なんでここを撮っているの?」「ここにはいつまでいるの?」など質問攻めに。googlの翻訳アプリを使って会話。それから「大学のアトリエに来ない?」と言われ、せっかくなので見せてもらうことに。

村の近くにこんなに綺麗な建物があることに驚いた。そこでは多くの学生と先生らしき人が話し合いをしていた。台湾名物・牛肉麺やらフルーツまでご馳走してもらってしまった。お腹が空いていたのでありがたかった。なかなかお互い上手く会話をすることは難しかったが、私を全力でもてなそうとしてくれている姿は本当に嬉しくもあり、なぜ初対面でここまでよくしてくれるのか少し不思議な感覚にもなった。

そこで一番仲良くなったクリスティーンとアリス。アトリエから帰るときに、クリスティーンが「うちで遊ばない?」と誘ってくれて、そうさせてもらうことに。彼女たちは日本語を勉強していて日本に短期留学の予定もあった。そこでも台湾名物・豆花(トウファ)をご馳走になり、日本語と台湾語を教え合ったり、他愛もない話をした。帰りはホテルまで送ってくれた。ホテルに戻ってひとりになると心がじーんと熱くなり1日の出来事にしばらく浸っていた。

翌日撮影に行くと、またあの自転車のおじさんがどこからともなく現れる。豪雨でびしょ濡れで困っていると、おじさんが来てというのでついて行くと、前日に行った大学生のアトリエに連れて行かれる。林さんという男の人がいて、雨で濡れた私を見て新しいタオルと温かいお茶をだしてくれた。雨がやむまで雨宿りをさせてもらうことに。その間建國村について教えてもらったり、フィールドワークについて話をしたりした。林さんが名刺をくれて「撮影とかで何か困ったことがあったらいつでもここに電話してきてね。」と言ってくれた。雨がやむと「君のホテルから建國村はすごく遠いから、自転車を貸すよ。返すのはこの街を出る時でいいよ。」と言ってくれて、ありがたく自転車を貸してもらうことに。徒歩で毎日往復2時間は大変だったので本当に助かった。

雲林から台北へと戻る最終日、アトリエで出会ったアリスと、アリスと同じ大学の卒業生カリンが最後に街を案内してくれた。一人だとなかなか入ることが出来なかったローカルなご飯屋さんに連れて行ってくれたり、廃墟好きならと劇場の廃墟に連れて行ってくれたり、最後には列車の中で食べられるようにと小籠包を持たせてくれた。駅まで送ってもらいまた会うことを約束し別れを惜しんだ。

いよいよ始まったFW1カ国目でのその出来事は、撮影や旅のことを思いあぐねてばかりで押しつぶされそうだった私に、台湾の人たちが強く背中を押してくれたようだった。

海外FWがあった年の年末、日本を訪れていたクリスティーンが家に泊まりに来た。あのときの恩返しが少しでも出来たらと思っていた。数日間観光地を案内しながら私自身も楽しんでいた。それ以来彼女には会えていないが、なんだかまた会えるような気がする。なかなか気軽に海外に行くことが出来なくなった今、あの時彼女たちに出会えたことは何かの巡り合わせだったのだなと改めて思う。今でも日常生活の何気ない場面でふとFWの出来事が想起される。半年間の撮影の旅は、私に言葉以上の多くの経験と思い出を与えてくれた。それは私の強い支えとなり、そして新たな道へと歩んでいく後押しをしてくれる。

関連記事