クリエイティブ圏外漢のクリエイティビティを感じる何か…〈vol.2〉

この文章を書いている今もロシアによるウクライナ侵攻により、国際社会の緊張感が増している状況です。
日々のニュースを追っていても想像を超えた目を覆いたくなる現実が立ち上がり、様々な情報に右往左往するばかり…

国際的な組織や民主主義の理想は
平和な世界(=ユートピア)の実現を目指しているはずなのに、
厳しい現実はユートピアを目指すことを揺るがすような状況です。

そんな現実を憂慮して理想について考える機会が増えている中で
今回取り上げる作品は
デイヴィッド・バーンが2018年に発表したアルバムから再構成された
ブロードウェイのショーをスパイク・リーが映画化した
ライブ映画「AMERICAN UTOPIA」です。

本作を語る上で簡単に制作した2人の才人に関してご紹介。

-デイヴィッド・バーンについて

デイヴィッド・バーンは1952年スコットランドで生まれアメリカに引っ越し、アートスクール在学中にTALKING HEADSを結成。80年に発表した「REMAIN IN LIGHT」が大きな反響を生む。84年にTALKING HEADSライブを映画化したライブ映画の金字塔「STOP MAKING SENSE」(ジョナ・デミ監督)を発表し、各所より高評価を受ける。
バンドは91年に解散したが、バーンはソロとしての活動やブライアン・イーノとの共作など勢力的に活動を続け「Everyting that Happens Will Happen Today」(08)ではデザイン部門のグラミー賞を受賞。14年ぶりのソロアルバム「AMERICAN UTOPIA」(18)でグラミー賞候補に。

-スパイク・リーについて

スパイク・リーは1957年アトランタで生まれ3歳でNYに一家で移り住む。
大学の映画科で学び、86年に長編デビュー作「シーズ・ガッタ・ハヴ・イット」で興行/批評的にも成功する。人種問題を扱った89年「Do THE RiGHT Things」は世界中に衝撃を与えると共にHIPHOPの隆盛の一翼を担い、アカデミー賞のオリジナル脚本賞の候補となる。
18年に発表した「ブラック・クランズマン」ではアカデミー脚色賞を受賞。
アフリカ系アメリカ人の先駆的な映画監督/クリエイターとして
業界問わずにリスペクトを受け続けており、
ニューヨーク大学、モアハウス大学の教鞭もとる才人。

①音楽ライブとしてのAMERICAN UTOPIA

本作でパフォーマンスされている楽曲群はTALKING HEADSの往年の名曲やデイヴィッド・バーンの関連曲、
ジェネル・モネイのカバーから構成される。

それらの楽曲は、アフロビートをはじめワールドミュージックミュージックが垣間見え、
ご機嫌で踊れるものばかり(筆者は映画館で踊りながら観ていました)。

圧巻なのはライブパフォーマンス。

デイヴィッド・バーンはじめ性差、人種の異なるバンドメンバーが踊りながら、
ワイヤレスの楽器で演奏して音楽的にも視覚的にも同期している。

楽器や音響設備に関して知識が無くても、「どうやってこんなコトが出来るんだ?」と思うこと請け合いなので是非これだけでも一見してほしい。(ワイヤレスパフォーマンスの実現方法に関してはこちらのShureをご参照!)

そして最先端技術の導入はその披瀝が目的なのではなく、
ワイヤレスで多用なメンバーが踊り、
音楽を奏でるコトで指揮系統の無い
フラットで自由な印象とメンバー全員の活力を感じる。

②映画としてのAMERICAN UTOPIA

圧巻の音楽ライブをそのまま「ライブ」として見せるだけでも素晴らしい作品が出来るはずだが、もう一人の才人スパイク・リーは「映画」という芸術フォームを選択したことの効果と意味、そして彼の作家性を付与している点が見事。

計算された「どこから撮影しているのか?」というアングル、メッセージに則した編集と視点の変化、アフリカンカルチャーとその闘争の歴史…“A SPIKE LEE JOINT(スパイク・リー映画で必ず表示されるタイトル)”なのだ。

映画内の始まりから終わらせ方まで文句のつけようのない完成度。
(歓喜の作品の収束には一抹の懸念はあったが、杞憂に終わる納得のエンディングでした)

デイヴィッド・バーンとスパイク・リーという両才人の個性、音楽ライブと映画というフォーマットの個性も損なうことなく、
才能が化学反応を起こし昇華されたような本作は奇跡と言えるマリアージュだろう。

③AMERICAN UTOPIAのメッセージの現在における有用性

この奇跡の作品を取り上げた理由を今さらかつ遠回りしたが説明したいと思う。

本作は移民国家であり、多様な人種が一種の“アメリカ的なる”理想を信じて、フラットなコミュニケーションをすることでパワーを得てきたアメリカという国が分断、ディスコミュニケーションにより“アメリカ的”理想が失われていることの警鐘とそれをもう一度信じることを訴えている。

ただ、デイヴィッド・バーンは本作について
「僕たちがいるのはユートピアではないが、それを実現出来る可能性についても伝えたかった。それを見ることができる。
そして、その心地いい手ごたえを感じることが出来る。」
と語っている。

これはアメリカの話だけではない。
ユートピアなど無いが、誰もがユートピアを目指すこと自体が必要であり、
そのユートピアを目指す姿勢が重要なのだと思う。

本作は公開時より現在の方がそのメッセージの意味が重く、有用になっているという筆者の想いから取り上げました。

2人の才人による奇跡を体感してユートピアの実現を目指すことを諦めず、踊れる未来になればと思います。

各種配信サービスでも鑑賞可能ですが、上演していたら映画館で踊りながら鑑賞するのがおススメです!

文・写真 北米のエボ・テイラー

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