ミッフィーってすごい?―ディック・ブルーナのグラフィックデザイン的創作― 2

前回の続き

ディック・ブルーナが求め続けた「シンプルさ」

ブルーナのインタビュー記事等を読んでいると彼がいかに「シンプルさ」を重視していたかがよく分かります。それは彼の作品の根幹をなすテーマです。

ミッフィーは実に多くの時間や工程をかけて描かれるのですが、さまざまな下絵から「これだ!」という線をトレーシングペーパーに写し、そこからさらに水彩紙に写して丁寧に清書されます。さらにその線画は、今度は透明なフィルムに転写され、そこから配色やレイアウトが慎重に検討されていきます。こういった切り貼り、位置や色を調整して最適な解を検討していくやり方は、実にグラフィックデザイン的な方法です。シンプルであるがこそ、無駄なものをそぎ落とし、必要なものを残し最適化するという点で多くの手間がかかっているのです。ミッフィーの絵は一見簡単そうですが、それは描き込むという方法だけでなく、そぎ落としデザイン化することに多くの手間がかけられた作品なのです。

※8「ディック・ブルーナさんの絵本の作り方」みづゑ編集部・編2007 美術出版社 p49

線画と同じ形に色紙を切り抜いて、色の検討をする様子↑(※8)私はこの切り抜くという作業が、通常の絵を描くことに対して特にグラフィックデザイン的だと感じます。

ブルーナのグラフィックデザイナーとしてのキャリア

さて、ここまで何の気なしにグラフィックデザイナーという言葉を使ってきましたが、現代ではメディアがさまざまな形態に発展しているため、グラフィックデザインの内容も多様化しています。ここでは混乱を避けるために書籍やポスターのデザインをする人という意味でこの言葉を使っていきます。

ディック・ブルーナは若かりし頃からアーティストとしての道を目指していて、絵画の専門的な勉強なども受けていましたが、両親にはその道は反対されており、24歳前後の結婚などを機に、1951年に父親の経営していた出版社にてデザイナーとして働くことになります。

本の表紙というものは、戦前は「タイトルさえわかればいいというものがほとんどで、デザインに重きはおかれていなかった」(前回記事※3)そうで、そこから時代そのものが急速に発展していく中で、次第にデザインというものが注目されるようになっていきました。そういった時代背景と重なる形でブルーナはグラフィックデザイナーのキャリアを積んでいくことになります。

ブルーナは本の表紙やポスターには「一目見ただけでメッセージが伝わる明快さをもち、しかも斬新であることが必要だった」(前回記事※3)と語っており、彼が手掛けた作品はキャラクター、写真のコラージュ、文字を主役にしたタイポグラフィなどさまざまですが、こうしてみるとどれもが実に彼らしいです(※9画像:彼が手掛けたブックデザイン等)。

※9 「ディックブルーナのデザイン」芸術新潮編集部・編 2007 新潮社 p24-25 p74

まさにキャラクターを極限まで単純化し、一枚の絵をどこまでも分かりやすくしていくという、彼の絵本に見られる特性と共通です。

ブルーナは1971年に自社のメルシス社を立ち上げるまで、20年ほどグラフィックデザイナーとして働いていたことになりますが、多い時には年間100冊~150冊の本のデザインを手掛けていたそうです。ミッフィーの絵本の出版時期とも重なりますから、絵本作家として、グラフィックデザイナーとして大変忙しく過ごしていたようです。そういった中でシンプルでグラフィカルな表現を実践し、「切って貼って、色や形、レイアウトを検討し、意匠を凝らして伝わりやすいデザインを試行錯誤する」といったスキルに磨きをかけていったのでしょう。

線と余白

現在の絵描きが何の予備知識もなくブルーナの絵を見ればきっとAdobe Illustratorのベクトルデータで作成したものだと思うことでしょう。いわゆるイラレの絵はキレイな線、整った形、デザイン性のあるイラストには特に向いていて(もっとも他のテイストの絵も描けますが)、イラレとミッフィーの絵柄との相性はとても良いように感じます。ただしブルーナはデジタルでミッフィーを描くことはありませんでした。ミッフィーが誕生した当時はそもそもデジタルの絵というものは存在しませんでしたし、デジタルを使わなくても十分に魅力的な絵を描けたことも理由の一つだと思います。しかしながら、それ以上に彼が手描きの線というものに大きなこだわりをもって、いかに工夫をこらしていたかを紹介します。

ブルーナは線を描くとき、非常にゆっくりゆっくりと丁寧に描くこと、またお気に入りの細い筆の先端を少しだけカットしてカスタマイズして使うのはファンの間では有名です。ゆっくりと線を描いているのにどうしてもわずかなふるえが出てしまうと感じていた彼は「でも仕上がってみると、このわずかな線のふるえが絵全体をいきいきとさせているように思えてならなかった」(前回記事※3)そして「そうなんだ!ぼくの心臓の鼓動とか、息づかいとか、そのときのミッフィーへの気持ちとかが、このラインを伝わって、人間味を与えていたんだ」と線のふるえについて述べています(前回記事※3)下の画像はミッフィーの耳の拡大図ですが、言われてみればなるほど線に細かなふるえの成分が加わっていることが分かります(※10)。

※10 「ディック・ブルーナのすべて」2018 講談社p80 p46 p12

また↓(※11)は彼の作業中の原画ですが、紙もかなりテクスチャ感の強い荒目のものを使っていることが分かります。こういった紙のザラザラ感も線に独特な味わいを加味する役に立っているのでしょう。

※11 「夢を描き続ける力」ディック・ブルーナ 2015 KADOKAWA p126

このようにブルーナは線を非常に重視して、それが魅力的なものとなるようにさまざまな工夫を凝らしていました。「息づかい」や「心臓の鼓動」が伝わるような、魂のこもった線は、彼のアート表現の根幹をなす要素の一つです。そう考えると、簡単にデジタルに置き換えられるようなものではなかったことも分かる気がします。(ちなみに線のふるえについては、スヌーピーの生みの親、チャールズ・M・シュルツにも非常に興味深いエピソードがあります。ここでは詳しく触れませんが、世界的に人気なキャラクターの共通要素として面白いです。)

ブルーナの絵を語るときもう一つ触れておきたいのが「余白」についてです。彼の思い切った余白の使い方にはいつも感心させられますが、グラフィックデザインでは余白はとても大事な要素です。本やポスターはタイトルや文章などの文字のスペースがあることが前提であることが多く、紙面という限られた面積の中で、必要な情報を分かりやすく的確に伝える必要があります。スペースが限られていればそこにぎゅっと中身を詰め込みたくなるのが人情な気もしますが、彼は「余白をたっぷりとるのが好き」(※11)で、それはデザインとして美しいだけでなく、見る人に想像の余地を与えたいからだとしています。シンプルであるがゆえに、余白があるがゆえに、見る人が楽しめる要素ができるというのは、一見逆説的ですが彼の作品の魅力を考えるとその通りだと感じます。

ちなみに余談ですが、私はどちらかというと画面いっぱいに描き込みたくなってしまうタイプで、編集者に絵本のラフを見ていただいたことがあるのですが、その時に「隙間がなくて見ていて疲れる。目や心をほっと休ませるような余白がもっとほしい」と指摘を受けたことがあります。とても有意義なアドバイスで今でもよく思い出します。心地よい余白が描けるというのは実はとても価値あることなのです。

ミッフィーは全力投球の結果生まれた。

ミッフィーの絵を見て多くの人がこう思います。カワイイ?ステキ?それももちろんありますが、一方で大人から子供まで世界中の人たちが一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか?「こんな絵、だれでも描けるよ!」と。そう思ったことがあるのは何も私やあなただけではありません(笑)。実際、ブルーナやそのご家族がそんなふうに周りから言われたりすることもあったそうです(※10)。

ミッフィーを模写しようとすればそれほど手間はかからないでしょう。しかしながらミッフィーはブルーナが楽をしようと思って手を抜いて描いていたから誕生したわけでは決してありません。彼が線一本にもどれほどの配慮と手間をかけるのかは紹介した通りです。以下はブルーナの次男のインタビューの内容です。

「昔、父に『ベストを尽くせることをしなさい』って言われたことがあるんです。その言葉がとても印象に残ってる。だから僕はベストを尽くせることをしているんです」(※10)

またブルーナ自身も「制作するときにはいつも全力投球しているので、どの作品が一番ということはありません」(※10)といったことを語っています。こういった言葉は彼のインタビュー記事ではよく目にします。「ベストを尽くす」「全力投球する」ということが彼の仕事上の理念だったのではないかと感じる所以です。

本稿ではグラフィックデザインという切り口でブルーナのシンプルで魅力的なキャラクターや絵本について語ってきましたが、さらにその根底には、彼がその都度ベストを尽くした仕事をしてきたからではないかと私は思っています。

おわりに

ここまでお読みくださってありがとうございました。ミッフィーの絵を見たときにかわいい!とかオシャレ!と思うことはあったとしても「この絵すごい!」と感じることはあまりないのではないでしょうか。ところが、ミッフィーというのはディック・ブルーナという一人のアーティストが自らの表現を模索する中で、単純化というアプローチが結晶化して生まれてきたようなキャラクターだったのです。もし皆様が今度町中でミッフィーを見かけることがあったら、その背後にあるグラフィックデザイン的な手法や考え方を感じて、今までより少しだけ余計にあのキャラクターの魅力を楽しんでいただければ幸いです。

NDS講師 いとうみちろう
イラストレーター。児童書や絵本、教科書や雑誌、アプリ、カード、舞台美術などさまざまな分野を手掛ける。教育関係の仕事の傍らフリーランスとして活動をはじめ、これまでカルチャーセンターや美術学校などで、小学生から高齢者まで幅広い年代を対象に講師として指導。

関連記事