菊池東太のXXXX日記 vol.4
わたしはナバホ・インディアンの写真でデビューした。
ところが今になってその写真に納得がいかなくなってきた。インディアンと呼ばれている珍しい人たちという視点で彼らを見、シャッターを押していた。同じ人間という視点ではないのだ。
撮り直しに行こう。最終作として。この考えに至った経緯も含めて、これから写真家を目指す若者たちに語ってみたい。
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つぎは足尾の山を撮ることにしたが、35ミリ以外はほとんど使ったことがない。だが、フォーマットを変えてみようと思った。
フリーになる前、出版社に勤めていたころ、4✕5のリンホフに触ったことがある、という程度でしかない。大型は大きくて重くて、あまり好みではなかった。
だがこのときはそんな考え方はしなかった。
大きなフォーマットで撮れば、写り込んでくるディテールも繊細になって、今までとは違う面白さがあるに違いない。
既製のフィルムで、日本国内で手に入るいちばん大きなフォーマットは8×10だ。8×10で撮ろう。
こんな調子でフォーマットを決めた。今から思うと実に乱暴な決め方だ。もちろん8×10にどんなカメラがあるかもまったく予備知識すらない。
結局、8×10の木製フィールドタイプということにたどりついた。持ち運びしやすいので。
大型カメラならアメリカ製。実にシンプルな論理だ。目標に合致する8×10に、アメリカ製のウイズナーというのがあり、ニューヨークのカメラ屋が在庫を持っていた。
見たこともない知らないカメラを、現物を確かめもせず、オーダーした。4×5のテヒニカと同じような値段だった記憶がある。代金を振り込んだら2週間で届いた。
デカイ!そして木製とはいえ重い。だが日本の木製フィールドタイプ・カメラより、かなりきちんとした作りで、ちょっとほっとしたことをおぼえている。
このときからカメラバッグを変えた。ショルダーバッグからリュックへ。重い荷物を運びやすいからだ。
8×10カメラ本体、8×10フィルムホルダー10枚、三脚、このときから使い出したギア・ヘッド(ギア式雲台)、レンズ2、3本がリュックにつめて背負って運べる限界だった。
車でギリギリまで近づき、停め、機材の入ったリュックを背負い、撮影ポイントにたどりつき、三脚をたて、カメラをのせる。
ああでもない、こうでもないと、迷ったり悩んだりしながらカメラを構え、シャッターを押すのだが、8×10はとにかく大きくて重い。シャッターを押すにいたるまでに消費する体力と気力が根本的に異なる。
だが、その見返りとして得られる画面の緻密さ、解像力の高さは快感というか、なにものにも代え難いものだった。
なんと言っても、生まれて初めて使う8×10だ。ベタをとると、週刊誌の大きさと同じ。35ミリのベタ1本分と同じ面積だ。克明であたり前だ。大型画面に痺れて、撮りまくった。
あるとき、長いレンズが使いたくなり、レンタルショップでN社の1000ミリを借り、足尾に持って行った。他にはシュナイダーの800ミリしかなかった。ようするに8×10をカバーする長玉、1000ミリ級はN社かシュナイダーしかなかったのだ。この店は、最大手のレンタル・カメラ・ショップだった。
1000ミリといっても8×10では長焦点でしかない。決して望遠ではない。ライカ判の150ミリ相当。足尾の撮影ポイントに行き、ウイズナーにそのレンズを装着し、ピントグラスを覗いた。
何かへんだ。ピントがこない。
どこをどう動かしてもダメ。
東京に戻り、メーカーのN社に相談しに行った。
しばらくしてから、あのレンズは光軸がずれています、という返事がかえってきた。光軸がずれやすいレンズなのだそうだ。
そんなことって、あるんだ。
光軸がずれるということが、物理的にレンズのどの部分がどうなったのかは、まったく理解ができなかったが。
レンズの製造担当者は配置がかわっていたが、その人に連絡をとってくれ、レンズを解体し、正常な状態に戻してくれた。
とにかく写真家は、精密機械であるところのカメラが狂いなく正確に動いてくれて初めて仕事ができる、というかそれが最低必要条件なのだ。
写真家は、カメラとそのメーカーの協力のもとになりたっている。それを欠いてはなにも出来ない存在なのだ。
例えばアメリカ・アリゾナ州に数ヶ月間ナバホの写真を撮りに行くと、カメラからレンズ、付属品にいたるまで砂まみれになる。普通に使っていても、帰って来るたびにバラバラに分解して掃除してもらわなければいけない。ザラザラの砂まみれになってしまうのだ。
その分解掃除の手間暇を考えると、相当な金額を覚悟しなければならないことは理解している。
毎回ビクビクしながら請求書をみると、請求額が¥0。
こわいのでこの件は質問しないことにしている。プロ・サービスの範囲というふうに。
vol.5へつづく