[連載]見えているものについて考えるvol.1/江澤 勇介

「別の何か」を見つけて遊ぶ。

 

どこから話をすればいいかちょっとよくわからないけど、写真とかローカルとかデザインについて書いてくれという依頼を受けて、この文章を書いています。
私は埼玉県北本市を拠点に写真を撮ったり映像を作ったり企画を考えたり、何でもやりながら、地域に関わるまちづくりのような仕事をしている江澤勇介という者です。去年から日本写真芸術専門学校で講師をやらせていただくことになり、フォトソーシャルビジネスの学科で授業を担当しています。はじめまして。こんにちは。

私も15年くらい前に日本写真芸術専門学校に通っていて、ドキュメンタリー写真について学んでいたんですが、写真以外にも色んな面白いことが好きだったので、卒業後にはふらふらと色々なものことに関わりながら、紆余曲折あり、なぜか今年6月には地元北本市で何人かの友人とジャズ喫茶 兼 シェアキッチン 兼 色々やる場所「中庭」というスペースを始めました。写真とあんまり関係なさそうな話ですね。

この北本市という場所は埼玉県の大体真ん中くらいに位置していて、新宿駅からも東京駅からも50分くらい。そこまで田舎でもないけど、全然都会でもない。いわゆる郊外のベッドタウンのようなまちです。高い建物は少なく、家と畑がたくさんあって、地元の名物とかも特には思い当たらない。北本出身の私としても、どういうまちなの?と聞かれれば、「何もないよ」と答えるようなまちでした。

 

こんなふうに「何もないまち」と言った時に、じゃあその反対には「何かがあるまち」というものがあるんでしょうか。「何もない」と言っていた当時の私は、ぼんやりと「東京には何かあるんじゃないか。」そう思っていました。今となっては、東京って括りが広いし雑だしちょっと恥ずかしいですけど。

十数年を経た今から考えてみると、あの頃いっていた「何か」というのは、多分、用意された物語であったり、人の熱気だったり、まちのムードのようなものだったのかなと思います。自分が楽しめるような「何か」があるように見えたんです。
例えば写真が好きなら神保町の古本屋街に行って写真集を漁ったり、週末ごとにギャラリーを何軒も回って写真展巡りをしたり、音楽が好きなら下北沢に行ってライブハウスに入り浸ったり、古着が好きなら高円寺に遊びに行ったり、等々。

当時の私には、東京のそういう街ごとの属性や物語のようなものがキラキラと魅力的にみえて、それと比較する形で自分のいた北本を、フラットで均質化された面白みのない郊外のまち=「何もないまち」と呼んでいたんだろうと思います。自分が楽しめるような「何か」を、見出せなかったんですね。

今、北本市でまちに関わりながら新しい場所を作ったり色々な仕事をしているのは、その「何か」を自分たちで作りだそうとしている、ということなのだと思います。相変わらず東京の街は魅力的で色々楽しそうなんだけど、自分が歳をとったからなのか、消費のペースが早すぎてちょっと疲れてしまうところもあります。だから、ここで作ろうとしているのは、多分東京とは違う「別の何か」といえるものかもしれません。

 

散々「何もない」と言ってきましたが、とはいえ「無」ではないので、実際には色々あります。空き地とか空き家とか、使われてないものとか。いわゆる「余白」のようなモノコトたち。冒頭に話した「中庭」という場所を作ったのも、そんな「余白」の一つ、古びた団地のシャッター商店街の中です。「何もない」ということは、裏を返せば「何でもできる」ということでもあります。誰にも使われていない「余白」を使って、どんなことができるか考え試すことができます。
仮に、この商店街が活気あふれる現役バリバリの商店街だったら、自分たちでその中に場所を作ろうとは思いませんでした。「何もない」場所だったからこそ、新しいこと、今までになかったものを作ってみようかなという発想が生まれて、実行に至ったのです。うまくいくことばかりではないし、失敗もあるけど、時間さえあればいくらでもやり直すことが出来ます。

最近は、何かやりたい人が集まってきて「余白」を使って色々試せるまちになればいいなと思っています。何かやりたければやってもいいし、別にやめてもいい。やりたくなったらまたやれば良い。自由にトライアンドエラーをしながら、結果的に北本のまちにしかない「別の何か」が形作られていったら、面白くなりそうです。そのための準備やきっかけを作るのが、私の主な仕事、まちづくりのようなもの、です。

十年くらいそんなことを考えながらまちに関わる仕事をして暮らしてきた中で、今は北本を「何もないまち」とは思わなくなりました。「やろうと思えば何でもやれるまち」かな。
私の場合は、愛着があるから地元に留まるというよりは、自分がやりたいことを出来ているから場所に愛着が生まれたのだと思います。何でも自分たちで作ってみるのは、大変だけど面白いものです。

 

書き出しは写真とあんまり関係なさそうな話だったんですが、撮るだけではなく、観ること、考えることも写真の大きな要素です。”価値がないと考えられていた「余白」のような部分に新しい価値を見出していく”というのは、その意味では全く写真的な行為だとも感じます。
地域の中で、そこにあるはずなのに現状では見出されていない面白がり方「別の何か」を見つけ出す方法。多分色々あるんですけど、私の場合は写真が強い軸になっています。

別に写真じゃなくても、デザイン、アートでも何でもいいし、もしかしたら料理だったりファッションだったり、もっと予想のつかないような視点から見える「別の何か」もあるでしょう。自分の方法で「別の何か」を見出せると、いつでも、どこでも、どんな場所でも、今よりちょっと面白くなるかなーと思うのでオススメです。

写真・文 江澤 勇介

江澤 勇介
埼玉県北本市を拠点にしたまちづくり会社、暮らしの編集室の人。マーケットの企画・運営、場の運営、文筆、編集、まちづくりなど、何でもやる人。本業は写真を撮る人。現在北本市でシェアキッチン&シェアスペース「ケルン」「中庭」の二つのスペースを運営中。

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