菊池東太のXXXX日記 vol.3

わたしはナバホ・インディアンの写真でデビューした。

ところが今になってその写真に納得がいかなくなってきた。インディアンと呼ばれている珍しい人たちという視点で彼らを見、シャッターを押していた。同じ人間という視点ではないのだ。

撮り直しに行こう。最終作として。この考えに至った経緯も含めて、これから写真家を目指す若者たちに語ってみたい。

▼vol.1、2からご覧ください



 

発泡スチロールの丼にラーメンを入れて、子供にわたす。その後ろにも子供がいる。その子にもラーメンを入れた丼をわたしてやる。その後ろの子にも。大人たちにも。
しばらくすると、かれらからコーヒーが差し入れられた。
外の駐車中の車の中で寝るのも、変わった。リビングのカウチで寝ることになり、キッチンも使えるようになった。
どうやら人間らしい環境が整ってきた。

家の中はベッドルームが2つとリビング、そしてキッチン。
トイレは電話ボックスのような縦長の木造手作りの小屋だ。外にある。水洗ではない。地面に穴を開けてあるだけだ。その上に穴を開けた板で蓋がされ、馬蹄形の白い便座がセットしてある。隙間だらけだが、そんなことはたいして気にならない。雨露がしのげるだけで充分。
ちょっと雨漏りはするけど。

隙間だらけのトイレ

キッチンはさすがアメリカだ。外のLPGのタンクに直結された4バーナー、大型オーブン付きの白いほうろう仕上げの大型キッチン・コンロが鎮座している。
水はこれもまた外に巨大なタンクが据えてあり、流しの蛇口からはスムーズに水がほとばしり出る。
タンクの水が無くなる前に、だいたい1ヶ月に1度、馬車で水汲み場まで地下水を汲みに行き、外の巨大タンクに注水する。

問題はフロだ。
ナバホ保留地の大半は砂岩の上だ。その砂岩の表面は長い間に砂漠と化し、この砂は日本の海砂と異なり粒子が極めて細かい。少しでも風があると砂は簡単に宙に舞い上がる。
頭髪はもちろん、衣類の中にまで砂が入ってくる。シャツやパンツの中にまで。
これはカメラやレンズには危険な環境だ。
人間にとっても1週間が我慢の限界。町に出て買い物の途中にモーテルに行き、シャワーを浴びる。1週間に1度。
かれらは子供たちの通う小学校へ、シャワーを浴びに行く。1、2週間に1度。
いちどその学校に連れて行ってもらったが、低学年の児童に合わせてあるので、窮屈な姿勢が辛くて2度と行く気にはなれなかった。

空気が乾燥しているので、日本にいる時のように毎日シャワーを浴びる必要性は感じない。湿度が30%あると、アメリカ南西部では今日は湿度が高いな、と感じるくらいだ。湿度が一桁ということは何度もあった。ちなみに湿度30%というと、この日本では乾燥しているほうにはいる。
アメリカの南西部では毎夏、あちこちで山火事があるが、これを消火するのにヘリコプターを出動させるのが恒例になっている。
見渡す限り真っ黒に焼けた森林を見ながら、その中のハイウェイを車で走ったことは何度もある。

ところで、滞在1ヶ月になるとカメラを出しても、誰も何も言わなくなった。
ただ目の前でレンズ交換をしたりはしない。ボディは1台。2台同時に出したりはしない。とにかく地味に、なるべく目立たないように。
ナバホ保留地で、とくにこの一家のなかでカメラを構えていると、昔見た有名作家の写真、そのショットがファインダーの中にちらちら見えたように感じたことが何度かあった。記憶しているシーンと現実を重ね合わせていたのだ。

毎年毎年カメラ機材を担いでナバホ通い。様々な雑誌に掲載されもした。
掲載されないようでは取材費も出ないし、だいたい現地へ行くことも出来ない。掲載されてあたり前なのだ。だが、そんなに注目もされず、一生懸命のわりにたいして話題にもならない。

また写真が掲載されると、それなりの原稿料が振り込まれる。彼らに対する後ろめたさで、心が傷んだ。掲載されても彼らには何のプラスにもならない。見世物にしているだけだ。
その気持から少しでも逃れるため、次の訪問ではテレビ(現在と異なり、1台10万円以上した)や、大人の女性が何人もいたので、パールのネックレスをいくつも土産に持って行ったりもした。もちろん感謝の気持ちでの行為だったのだが、なにかひとつすっきりしないものもあった。金で彼らの気持ちを左右しようとしたのだろうか。しかし20年間ナバホに通うことによって、家一軒分の費用をつぎこんだのも事実だ。もう、いいかげんうんざりしていた。

あるとき、まったく別件で、小学校の社会科の副読本の取材で足尾銅山跡に行った。人間に浸食されてはいるが、まぎれもない自然だ。ああだこうだ山について忖度する必要もないし、そのまんま、対し、見ればいいのだ。と思うと随分気が楽だった。すんなりと足尾の山々を眺めることが出来た。

人間はもうやめた。
あの山を撮ろう。
できるだけ克明に微細に撮ろう。なぜだかそう思った。

vol.4へつづく

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