【連載】時代を写した写真家100人の肖像 No.26 暴かれた‶地図″にない地下世界 内山英明『JAPAN UNDERGROUND』(アスペクト 2000年) 鳥原学
高層ビルが林立する大都市の景観はいつも明るい輝きを放っている
だが、そのアンダーグラウンドには、人に見せることを想定しない別の世界が広がっている。地上のインフラを支える機能と耐久性をもったその世界に、内山英明が見たものとは?
ジオフロントへ
かつて「ジオフロント(Geofront)」という言葉が、盛んにメディアを賑わせていたことがある。1990年前後、平成が始まったあたりの、いわゆるバブル景気のころだ。本来「ジオ」という言葉は地球や大地という意味だが、この場合は地上から40メートル以上もの大深度の地下空間を指している。人間がまだ手をつけていないこの領域を、湾岸開発に続く新たな「フロンティア(未開拓地)」として、新たな都市活動や産業の基盤として開発していこうという流れである。東京への一極集中で行き詰まっていた都市問題の解決のために、そんな構想が相次いで打ち上げられていた。じっさい、そのなかには実現したプロジェクトもある。
もっとも、人間が地下に可能性を求めるというのは、なにも最近に始まったことではない。記録によればトルコにある世界遺産のカッパドキアは、紀元前5~6世紀には、すでに約6万人が住むほどの巨大な地下都市として栄えたとされる推計もある。これほど大規模でないにせよ、日本でも地下空間は古代から氷室や保存庫などに活用されていて、その遺跡は今も各地に残されている。
つまり地下空間は古代から現代まで使われ続けてきたわけだが、どの施設も基本的な構造にはあまり変化がないらしい。地底の圧力に耐えてその機能を果たすため、その形状はいたって功利的でシンプルなものに帰着するからだ。
「無駄が削ぎ落とされているからこそ、地下空間は美しい。そこには過去・現在・未来が同時に存在する」
そう語ったのは、日本各地の地下空間をとらえた『JAPAN UNDERGROUND』を発表してきた内山英明である。同シリーズは2000年の第1集の出版以来、現代の文明観を問い直すものと評価され、多くの写真賞を受賞してきた。ことに国内外の若い世代からの支持が大きく、全4集が出版された。
このシリーズを通じて、読者の眼を釘付けにしたのは、ジオフロントに設けられた壮大な構造物の数々だ。古くは旧日本軍の防空壕からはじまり、超高層ビルを支える超高圧変電所や空調設備、東京湾を横断する道路「東京湾アクアライン」、ニュートリノなどの素粒子を観測するため神岡鉱山跡につくられた「スーパーカミオカンデ」、宇宙旅行を想定した「閉鎖生態系生命維持システム」などの実験的な施設にいたる。普段は絶対に目にすることがない先端的なハイテクノロジーが地下に集積されている光景を、内山は鮮やかな色彩をもって捉えている。それは妖しいほど魅力的であるが、見るうちになにか戦慄さえ覚えてしまう。それはジオフロントを開拓するために置かれているこのような先端技術が、じつは非常に危険なものであるということが、生理的に直感されるからだ。
古代から、地下は人間にとってフロンティアであると同時に、禁断の領域とされてきた。世界各地の神話には、日本の「イザナギとイザナミ」やギリシャの「オルフェウスとエウリュディケ」の物語のように、地底を死者の国とみなす例が少なくない。それゆえ人間が深い地下へと降りて行こうとすることは、死に限りなく接近するという隠喩になるのである。
その意味において、内山の『JAPAN UNDERGROUND』もまた、見てはならない“死者”の世界を覗いてみたいという願望が生んだ写真集だといえる。そしてその矛盾した願望こそが、文明を発展させてきた力の源だということをも示している。
始まりは東京
地下空間で撮影をしている間、内山は特別な精神状態に入るのだと語った。周囲の圧迫感と気圧の高さからか頭痛を覚え、しかし意識はより覚醒していく。次第に空間や時間の感覚も消えていき、ただ想像力だけがフル回転して、とめどなく妄想が湧いてくる。だがハイな気分になるだけでなく、懐に抱かれたような不思議な安らぎも覚える。その快感が、20年近い撮影を続けさせてきた理由のひとつである。
そんな内山が地下空間に興味を持ったのは1980年代前半、東京をテーマとしたモノクロ作品に取り組むなかで、開発が進む地下にも目が行ったのだという。ちょうど大規模な都市再開発計画が実行に移され、東京の姿が、地上でも地下でも大きく変わり始めていた時期である。
このころ「ポストモダン」というワードが流行語となっていたように、さまざまな過去の建築の様式を模倣したビル群が建てられていく一方で、土地の権利が複雑に入り組んだ街区は開発から取り残されるようになった。その結果、世界のどこにも見当たらない、過去と近未来が複雑に同居する無国籍的な都市景観が出現していた。
この景観の変貌は、欧米のクリエイターたちからも注目されるようになった。たとえば1982年に公開された、リドリー・スコット監督によるSF映画『プレードランナー』がそうだ。物語の舞台となる未来のロサンゼルスは、新宿歌舞伎町の景観を参考にして造形されている。酸性雨が降り注ぐ退廃した未来都市の風景と、レプリカントと呼ばれる短命を宿命づけられた人工生命体の哀しみを描いたストーリーは、内山にも大きな刺激を与えたという。
例えば内山が1993年に出版した写真集『都市は浮遊する』(講談社)でもそれが表れている。彼は無機質な都市空間を、それ自体が意志を持ち、自己増殖する有機体として捉えているのである。そのイメージにはもちろん社会に対する批評的な面はあるが、必ずしも否定的なものだけではない。殺伐とした雰囲気のなかにも、どこか解放感さえ感じられるのだ。
そのことは本書の後書きで内山が、ポストモダンの東京を「歴史から遮断された連続性のない特殊都市」あるいは「無垢な巨大な生命体」と形容しつつ、この「未来都市にやっと私の姿を写すことができた」と述べていることでもわかる。無国籍化する都市の風景を自画像とする志向は、2000年代半ばに発表した『東京デーモン』、『東京工デン』(アスペクト)という2冊の写真集にも受け継がれていてく。
さて『都市は浮遊する』の出版後、内山はすぐ続編の構想を立てた。そこには誰も見たことのないジオフロントのイメージを入れてみてはどうだろうか……。そう考えていたおり、偶然にも市ヶ谷にあった自衛隊駐屯地の地下施設、地下14メートルに造られた旧日本軍の防空壕跡が一般に公開されることを知ったのである。実際に訪れてみると、剥き出しの壮大な空間に内山は圧倒されたという。内山がその撮影をすぐに申請したことは言うまでもない。そして、その興奮は撮影が終わった後も続いた。地下に人知れず造られた広大な空間をさらに撮りすすめてみたい、そんな衝動がふつふつと湧いてきた。日本各地のジオフロントを巡る旅は、こうして始まったのである。
そして2000年に最初の『JAPAN UNDERGROUND』が刊行されると、大きな反響を得た。だが、内山にとって、この出版後も地下空間の撮影を続けることは予想外だったという。当初の予定は東京だけ、それも2、3年で終わりにするつもりであって、続編は考えていなかったのである。地下施設を管理する企業や自治体との撮影許可の交渉を、彼自身だけですることの負担も大きいと感じていた。それでもなお撮影を続けられたのは、そこでしか味わえない気分と発見があったからである
露見したクライシス
『JAPAN UNDERGROUND』を開いて見ると、それぞれの地下施設がどれも派手な色彩の照明でライトアップされている。だが、実際に設置されているのは、作業を安全に行なうのに必要なだけの蛍光灯や白熱球の単色の小さな光である。つまりフィルターワークで作り上げられたこの色彩は、地底に対して抱いている写真家の心情の投影なのである。
内山がこうした手法で撮るようになったのは、撮影を始めて3年目からだ。それまでは『都市は浮遊する』のようにモノクロフィルムを使っていたが、それでは過剰に観念的になりすぎるし、 同時に何かが足りないと感じていた。地下空間には生物のような、もっと肉感的なエロティシズムがある。それを表現するためにラーに変更し、それまでのカットはすべて捨ててしまった。
変化したのは撮影方法だけではなく、動機そのものだった。取り組み始めた当初は、少年時代に夢中になったSF小説の古典、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の主人公に自分を重ねていたという。地下の大空洞で失われた太古の生物と出会うように、自分は21世紀の「地下の森」を探検している。そんな気分でいた。だが都市生活のライフラインを支え、あるいは宇宙誕生の謎を解こうと24時間体制で機能する施設を見続けるうちに、内山はある認識にたどり着くことになった。
「テクノロジーが集約されたSF的な地下施設を撮っていくと、これが地上の世界を動かしていると気づいた。じつは見てはいけない文明のクライシスだったんだと。そして、この現代社会の奧に封印されたものは、おそらく心の奥にしまわれた無意識とつながっているに違いない。ぼくが地下を撮ってきた目的は、まさにそれを表現することだった」
この内山の言葉を端的に物語るイメージが、第三集の表紙に使われている。それは東京大学の地下実験室で行なわれている、ヤギを使った人工心臓の実験風景である。心臓を摘出されたヤギが、据え付けられた巨大な人工心臓から伸びる何本ものチューブにつながれ、どの子まで生きるかを観察されている。その姿は、地下のライフラインによって命脈を保っている日本の都市のあり方に置き換えられるだろう。私たちは進んで『ブレードランナー』が描く人工生命体レプリカントへの道を歩んでいるのかもしれないのである。これが人間の望んでいる未来の姿なのだろうか、という強い疑問を抱かせる。
かつて内山がまだ小さいころ、戦後まだ間もない時代の夜は本当に暗かった。だが、その暗闇上には、手を伸ばせばつかみ取れるような気にさせる星々が煌めいていた。だがそれから半世紀ほどの間にも、加速度を増して文明は進み、人は地上の明るさを求め続けた。その結果、夜の闇もそこに輝く星々の光も肉眼で見ることはできなくなった。
いま思えば、内山英明が地下の世界に見たのは、まさにこの記憶の風景だったのではないだろうか。それは広大な闇の中に点在する微かな光であり、その光は想像力を刺激し、人間の想像を超えた世界への憧れと恐れというアンビバレンツな感情を喚起させる。
そのように人間のクライシスを見つめた内山は2014年に死去したが、その後も地下世界はいまも広がり続けている。
内山英明(うちやま・ひであき)
1949年静岡県生まれ。1976年東京綜合写真専門学校中退。週刊誌などでドキュメンタリー作品を発表している。対象は都市、人などさまざま。1993年より地下世界の撮影を始め、2000年の個展「JAPAN UNDERGROUND」で伊奈信男賞、写真集『JAPAN UNDERGROUND Ⅲ』と『東京デーモン』で土門拳賞を受賞。同シリーズはこれまでに4冊が刊行される。主な写真集に『都市は浮遊する』『いつか晴れた海で―エイズと平田豊の道程』『東京デーモン』など。2014年死去。
参考文献
『日本機械学会誌』(一般社団法人日本機械学会) 2004年3月号 内山英明「‶根の国″の巨大施設と私」
『週刊朝日』(朝日新聞社) 2008年2月15日号
『読売ウィークリー』 (読売新聞社) 2004年2月8日号 「シリーズ「都市の遺伝子」第4回 「命」をつなぐ地下空間」
『日本カメラ』(日本カメラ社) 「インタビュー 内山英明」
『土木施工』(オフィス・スペース) 2009年9月号 「私の見た土木の世界 インタビュー (01) No.1内山英明氏 驚愕!地下空間の現実」
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文・写真評論家 鳥原学
NPI講師。1965年大阪府生まれ。近畿大学卒業。フリーの執筆者・写真評論家。写真雑誌や美術史に寄稿するほか、ワークショップや展示の企画などを手掛ける。2017年日本写真協会学芸賞受賞。著書に『時代を写した写真家100人の肖像』、『写真のなかの「わたし」:ポートレイトの歴史を読む』、『日本写真史』など多数。
鳥原学 時代を写した写真家100人の肖像 上・下巻(玄光社/定価2500円+税)より
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