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大阪・関西万博キャラクターデザイン〈優秀賞〉大分在住のフリーランスデザイナー吉﨑ゆみさんインタビュー

みなさん2025年に「大阪・関西万博」が開催されるのはご存知でしょうか?

デザイン界隈では、この大阪万博の公式ロゴマークが2020年8月に決定した際にもそのユニークさで話題になりましたが、今年の3月22日に大阪万博の公式キャラクターのデザインが決定しました。
日本全国から1,898作品の応募が集まり、最終候補として3作品が選出され一般からの意見も取り入れられ正式に公式キャラクターが決定しました。
その3作品のなかで、惜しくも最優秀賞は逃したものの【優秀賞】を獲得した
大分県在住のフリーランスデザイナーの吉﨑ゆみさんにお話しを伺うことができました。

 

編集部)吉﨑さん、インタビューお受けいただきありがとうございます。
吉﨑さん)デザインに関する学歴なども無いんですけど、ほんとうに私がインタビューを受けていいのかな、と思ってました。
大丈夫ですか?
編集部)もちろん大丈夫です!

 

吉﨑ゆみさんプロフィール

編集部)それではまずは吉﨑さまのプロフィールからお聞きできればと思います。

 

吉﨑さん)1968年生まれ、大分出身、大分育ち、
「てあそび工房」という屋号でイラスト、ロゴの制作、キャラクターのデザイン、似顔絵制作などをしています。

吉﨑さんがSNSで発信している絵日記

編集部)デザインの学歴は無いということですが、子供のころから絵を描いていたりしたんですか?
吉﨑さん)子供のころは田舎暮らしだったので、周りには何も無かったんですよね、
「無いなら作ればいいじゃないか」という家庭の教えで子供のころから絵を描いたり、モノを作ったりしていました。
作ることを推奨する家庭だったのですが、
幼稚園くらいの頃に唯一怒られたことが
家を囲っているキレイな白壁に
近くにあった木炭で「海」
内側と外側一面に描いたことがあって、
それはあとで怒られましたね(苦笑)
数週間後に全面リフォームすることになりました。

 

編集部)やはりご家族からの影響などもあったのですか?
吉﨑さん)父はカメラが趣味で家に暗室もありましたし、祖母は山とか畑で物を作ることをしていて 「作る」ことは日常にありましたね。
幼稚園くらいの頃からデザインの賞は毎年のように獲ってました。
そのときのデザインというのは例えばポスターカラーを使ってピーマンをデザイン的に描くなどの作品ですね。
人物画は苦手だったんですけど、今では似顔絵も仕事にしていると思うと不思議です。

 

デザイナー活動のスタートは?

編集部)デザイナーとしてのお仕事をスタートする経緯はどのような流れだったのですか?
吉﨑さん)社会人になって仕事は医療関係に勤めていました。
そのときも落書き程度の絵は描いていましたね。
子育てしながら趣味で描いていたって感じです。

吉﨑さん)そんな中で20代のころにビートたけしさんの「元気が出るテレビ」での似顔絵募集があって興味本位で似顔絵を2通送ってみたんです。
そしたら2通ともTVで紹介されたことがありました。
そしてまた時間は経って、仲間由紀恵さんが似顔絵捜査官の役を務めた「顔」というドラマでそれも似顔絵募集をしていたんですよね。
それにも応募したら入賞することができて、入賞
3作品のうち私以外の他2作品はとても写実的で上手だったんですけど私のはデフォルメしたマンガチックな絵だったんです。
そしたら仲間さんが「もし自分の部屋に飾るとしたら吉﨑さんの作品」って選ばれた瞬間「あ、似顔絵やろう」と思いました笑。
37歳の時、大分県佐伯市蒲江西ノ浦にある丸二水産・民宿まるにの女将で、蒲江観光協会会長であり漫画美味しんぼ出演・釣りバカ日誌誘致・日本女将さん百選と言う経歴をお持ちの橋本正恵さんに偶然出会って、趣味で描いていた絵を見た女将さんが『若いんだからどんどん表に出して行かないと!』と背中を押してくれました。
それがきっかけで公募に投稿するようになりました。
そして初公募の『猫の手帳』という雑誌で、イラストの年間グランプリを受賞しました。
審査員長は版画家で有名な大野隆司(おうのたかしさん)という方でした。

吉﨑さん)ここからが『そうだ絵を評価してもらおう!』と思った始まりです。

 

編集部)それまではデジタルではなくアナログで作成した作品だったんですか?
吉﨑さん)もちろんアナログでしたよ。
娘のポスターカラーを使ってました。
おさがりです(笑)
編集部)そこからだんだんとお仕事に繋がっていったんですね?
吉﨑さん)そうです、それで幼稚園の園章やロゴの依頼が来たり、公募での賞が増えていったりして口コミでだんだんと依頼が増えてきました。
それも今から10年前くらいからですかね、だからちゃんとしたスタートは遅いんです。

 

吉﨑さんがこれまで手掛けられたキャラクターデザイン

宇佐市公認キャラクター
「うさからくん」

 

大分県森林環境森づくりキャラクター
「もりりん」


全国クリーニング生活衛生同業組合連合会
「洗太くん&かごちゃん」

 

主婦業とデザイナーの両立について

編集部)やはりお子様もいて主婦業とデザイナー業の両立は大変だったんじゃないですか?
吉﨑さん)子育てのほうに重きを置いていたというとカッコイイ言い方ですけど、空いた時間に楽しむ感覚で仕事という感覚はそのときはあまり無かったですね。
10年くらい続けてたのは子育て支援のボランティアで
商業施設で家族のサッカーサポーター向けに
フェイスペイントを描くサービスに参加していました。
そこには娘も連れて行ったりしていたと思います。
そして子育てがひと段落して、
あらためて
デザイン業として活動の割合が増えたって感じです。

 

万博のキャラクターデザインについて

編集部)万博キャラクターのデザインについても聞かせてください。最終候補に残ったときっていうのはやはり嬉しかったですか?
吉﨑さん)本当の正直なことを言うと
最初連絡があったときは、本当に本当ですか信じられないんですが・・??という感じでした笑
応募したことを忘れていたくらいだったんです笑
だけど、だんだんと実感してきて嬉しさを実感してきましたね。
そもそもコンテストを知ったのがSNS経由で
期日までギリギリだったけど
大阪万博のロゴが面白かったので、軽い気持ちで参加してみよーっていう感じでした。
編集部キャラクターをデザインするときに最初には何を考えられたんですか?

 

吉﨑さん)大阪万博のロゴマークがもうすでにキャラクターっぽかったので、
この横にもう1キャラいるのは難しいと思ったんです。

 

そしたらキャラクターのデザイン規約に「ロゴを起用したものでも良い」とあったので
ロゴを補うキャラクターデザイン、を考えました。
ここは祖母から教えてもらった「補うものを作る」という考えがつながりましたね。
他のマスコットキャラクターのデザインと違って、
あくまでロゴがメインで、ロゴを補うキャラクターづくりを考えました。
ロゴを動かすための、車でいうタイヤの部分というイメージです。
なのでキャラクターとしてはかなり抑えて作りました。

 

本来はキャラクターの立体化まで考えると、私のデザインのような「球体」ってタブーなんですけど
可愛さと、あとコロナ禍のなかでソーシャルディスタンスも考えた際に、四方八方から見てもキャラクターの姿が変わらない球体にしました。
足としっぽで3本ある理由も、どの方向でも見ることができる、あと中の人が方向転換もできるという理由がありました。
吉﨑さん)最優秀賞ともうおひとりの方の採用された後のデザイン展開をするという知識や経験は私には無いものでしたので流石だな!と思いました。
今まで美術系の学校や大学に行っていない事を深く悔やんだ事はあまりなかったのですが、今回もしも最優秀賞になった後の専門的な打ち合わせやCG加工やVR、動画などの展開を想像した時に、プロフェッショナルな皆さんとのやり取りが私に出来るのか?と不安になりましたね。
その時初めて「専門的な場所で勉強していれば良かったなぁ…」と思いました。
結果、最優秀賞は逃してはいるのですが笑
授賞式のときに
審査員長の原研哉さんからもお褒めの言葉をもらえて
もうそれだけで満足でした笑
編集部)原研哉さんからのお褒めの言葉をもらえたらそれは嬉しいですね!

吉﨑さん貴重なお話しをお聞かせいただきありがとうございました!

 

 

文・PicoN!編集部 横山

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