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鈴木親が語る、ワールド・ファッションフォト・ヒストリー〈80~90年代〉

今日のファッション写真は、雑誌からWebメディア、SNSで多種多様のスタイルを見ることができる。
そこには、過去から連綿と続く表現方法が絡み合い息づいているが、それがどのように生み出されてきたかを紐解き、読み解くことは掲載された写真を見るだけではなかなか難しい。

そこで今回は、現在に続くファッション写真の在り方とその変遷を伺うべく、写真家・鈴木親氏にお話を伺った。鈴木氏は、90年代後半から雑誌『PURPLE』を筆頭にエディトリアル、ファッションフォトの最前線で活躍している写真家である。

今回はファッションフォトの表現が大きな転換点を迎えた80〜90年代を中心にお話を伺う。各時代で素晴らしい表現を生み出してきた写真家たちの生き方や周辺環境で培われた方法論を見出すことを通じて、皆さんがファッションフォトについて考える一助となれば幸いである。

80年代のファッション写真と聞くと、『VOUGE』や『Harper’s BAZAAR』などのファッションメディアに掲載された写真が頭に浮かびますが、80年代におけるファッション写真の表現とはどのようなものだったのでしょうか。

10代でしたので、80年代のものは誌面でしか見ていないですが、フィルムカメラの小型化やストロボやフィルムの性能が上がったことで、今のファッション写真の原型が出来た時期だと思います。80年代以前のものは絵画のような固まったポーズが多く、絵画の延長のようなファッション写真が多かったのですが、80年代はストロボや高感度フィルムにより動きのある撮影が簡単になり、絵画のような表現が減り写真独自の進化を遂げたのがこの時代だと思います。

コレクションで発表されるメインの服がオートクチュールから既製服であるプレタポルテに移行したことで、ファッションがより一般的なものになり始め、それにより写真の中でも撮影場所、モデルのポーズも優雅で絢爛豪華な貴族的なものから、現実世界に近いものに変わっていきました。ファッション写真というものは、字面の通り、ファッションを写すものなので、ファッションの流れに合わせて変容していきます。また、今はメンズのファッション写真というものが沢山見受けられますが、この時代はメンズのファッションメディアも少なかったので、ファッション写真のメインは女性が被写体のものでした。

著名な写真家で言うと、映画の一場面を切り取ったようなピーター・リンドバーグ、中判カメラでスナップショットのような撮り方のブルース・ウェバー、スタジオで新しいライティング表現にトライし続けたニック・ナイト、8×10のポラロイドフィルムでポラロイドの色味を極めたパオロ・ロヴェルシ、機材の発展と服の多様性により、多彩な表現が花開いた時代だと思います。

80年代の様々なアート表現からファッションフォトに影響を与えたアーティストは誰だと考えますか?

ファッションを一番身近なアートとして捉えるのであれば、ジャンポール・ゴルチエやアライア等のフェティッシュな服を作るファッションデザイナーだと思います。大前提として、「ファッション」フォトなので一番影響を受けるべきところは服です。

ゴルチエやアライアの服は、ボディコンシャスであることで身体自体も服の表現の大部分を担うことになり、そこから90年代に続くスーパーモデルブームに入っていきます。写真もスーパーモデルに合うようなセクシーでゴージャスなファッション写真に。ヴィヴィッドな色味、広角の挑発的な画角。映画と同等のセットに望遠レンズで映画の一場面を切り取ったようなカットがありました。機材の発展により絵画表現の影響から写真独自の表現になっていた時期なのですが、映画産業が活性化したことで、絵画より映画の影響が見受けられるようになりました。

アートの影響というよりは、大衆文化に降りてきたものをいち早く貪欲に取り入れたものがファッションフォトであり、これは現代にも言えることではないでしょうか。

90年代に入ってからはどうでしょう。親さんも作品を発表されていた雑誌『Purple』も創刊され、『VOUGE』 や 『i-D』とはまた違った表現がでてきたように思います。特に大型カメラを使わない、フットワークの軽さを生かした表現が印象に残ります。この変化はどのような状況の中で起こってきたとお考えですか。

様々なことが絡んでいますが、日本のカメラメーカーや富士フィルムの製品が一番大きい要因だと思います。

色々な人が手に取れる性能の良い135サイズの安価なカメラが出回り、富士フィルムのDPE店が早く安い現像、プリントを実現したことで写真人口が増え、写真家を目指す人が増えたこと。大きい予算や特殊な撮影技術が必要ないセンス優先のスナップ写真でも勝負出来るようになったこと。また、印刷技術の向上により以前より安価に本が作れるようになったこと。これらにより、若くて才能のある人たちが既存のファッション誌と違う表現を発表出来るようになったことが一番の要因だと思います。

これと似たことが今は動画の世界に起きているように思います。ラップトップの性能が高くなったこと、adobeの編集ソフトや安価な動画カメラの登場により動画が簡単に作れるようになり、作品をSNSで簡単に発表出来るようになりました。撮影現場に動画も入ることが多くなり、実際に動画の仕事が増えています。

本当の意味で90年代から今に続くこの流れを作ったのはCorinne Day(コリーヌ・デイ)だと私は思っています。彼女は180cmのスーパーモデルが全盛期の時代に、172cmのケイト・モスを見出し、有名になった後もVOGUE等のメジャーなモード誌の仕事はせず、彼女の周りの世界をスナップし続け、45歳で亡くなるまで素晴らしい作品をフィルムに焼き付けたのです。

90年代で親さんが注目すべきだと思うアーティストにはどのような方がいますか?

コリーヌ・デイについては先に触れたので。
アーティストで写真表現をしたWolfgang Tillmans(ヴォルフガング・ティルマンス)が今の美術的な写真の解釈を作ったと言っても過言ではないと思います。

スナップ的に見えてセッティングしたもの。カメラを使わず印画紙を感光させたり、平面の紙である印画紙を立体的に展示したり、写真というものを多角的に捉えた作家です。最近ではデジタルにシフトして、パソコンの画面をキャプチャーしたものや、出力のプリントでいち早く展示をしたり。展示方法もずば抜けています。

00年代以降の現代美術アプローチの写真家のほとんどは、彼の影響を受けていない作品は作れていないように思えます。

デジタル写真しか知らない世代の人が彼の影響を受けない作品を作れる可能性はあると思いますが、今は難しいでしょう。

コマーシャルの世界ではJuergen Teller(ヨーガン・テラー)ではないでしょうか。35mmフィルムで簡単なスナップのような質感、日中シンクロ、普通の場所でのロケ、技術的に誰でも出来そうなことをセンス良く撮るということに於いては、彼が一番だと思います。また最近はリモートでキャンペーンの撮影もしており、簡単にやっているようで本質は真似が出来ないというのが彼の凄さです。

ヘルムート・ニュートンや荒木経惟さん、ウイリアム・エグルストン、ヨゼフ・コウデルカ等の巨匠の良いところを尊敬して理解した上で彼の作品が成り立っているので、彼の作品の表層を真似ても彼にはなれないのは当たり前で、彼から写真への愛情を感じます。

総じて、80~90年代はファッションフォトの表現方法に多様化が見られた年代だと感じます。これらの変化は後の00年代以降にどのような影響を与えたとお考えですか?

00年代以降はデジタル写真に移行していくのですが、80年代や90年代の焼き回しを安価に出来るデジタルで再現する流れがメインストリームになっています。

00年代以降の表現として、フォトショップなどで湾曲させたりといったデジタルらしい表現は世界各地で見られるのですが、写実という写真本来の表現とは離れてしまうのでアートの表現の一部になるか、背景への肖像権の問題解決に使われたり、良い意味での新しい表現には結びついていない気がします。

iPhoneのカメラ機能が、ポートレートモードでパンフォーカスの画像に被写体深度を付け加えるということはフィルムの写真に近づけようとしていることだと感じます。また00年代を代表するRyan McGinleyの感光した写真もデジタルエフェクトで入れているものもあり、結局は、人が考える現状での写真というものは、フィルム時代の写真をイメージしているのではないでしょうか。

90年代末には色々な人から、写真は終わったメディアだと揶揄されてきました。終わったと言われるということは、違う見方をすれば、ある種の完成を遂げたからとも言えます。フィルムや印画紙で物質化した表現を続ければ、絵画のようにしぶとく生き残る可能性は高く。便利なデジタル化のみになるとメディアとしては動画に取って変わられるでしょう。

 

鈴木親

鈴木親は国内外の雑誌で作品を発表し、日本を代表するフォトグラファーの一人として、90年代よりエディトリアルやファッション・フォトの最前線で活躍。
世界中のクリエイターを魅了する東京という街、花、著名人、有名メゾンから若手のモデルまで。鈴木の写真はその対象が一瞬だけ見せる奥の部分を直感的に引き出し、シンプルに切り取っただけなのに胸に深く残るような美しさ、独特の世界を表現する。またデジタルの即時性とは対照的な、フィルムだからこそ可能になる凝縮された豊かさを追究し、写真というメディアの魅力を提示するとともに、その再解釈を促す。

1972年生まれ。1998年渡仏。
雑誌『Purple』にて写真家としてのキャリアをスタート。国内外の雑誌から、ISSEY MIYAKE、TOGA、CEBIT、GUCCIのコマーシャルなどを手掛ける。
主なグループ展をCOLETTE(1998年、パリ)、MOCA(2001年、ロサンゼルス)、HENRY ART GALLERY(2001年、ワシントン)で開催。主な個展をTREESARESOSPECIAL(2005年、東京)、G/P GALLERY(2009年、東京)で開催。
代表的な作品集に『shapes of blooming』(2005年、TREESARESOSPECIAL)、『Driving with Rinko Kikuchi』(2008年、THE INTERNATIONAL)、『CITE』(2009年、G/P GALLERY、TREESARESOSPECIAL)、『SAKURA!』(2014年、LITTLE MORE)。

 

この記事に出てきたクリエイター

Peter Lindbergh
(1944.11.23 – 2019.9.3)
https://peterlindbergh.obys.agency/

Bruce Weber
(1946.3.29 – )
https://www.bruceweber.com/

Nick Knight
(1958.11.24 – )
https://www.nickknight.com/

Paolo Roversi
(1947.9.25 – )
https://www.instagram.com/roversi/

Corinne Day
(1965/2/19 – 2010/8/27)
https://www.corinneday.co.uk/

Wolfgang Tillmans
(1968/8/16 – )
https://tillmans.co.uk/

Juergen Teller
(1964/1/28 – )
https://www.instagram.com/juergenteller_/

Helmut Newton
(1920/10/31 – 2004/1/23)
https://helmut-newton-foundation.org/en/

Nobuyoshi Araki
(1940/5/25 – )
http://www.arakinobuyoshi.com/

William Eggleston
(1939/7/27 – )
https://egglestonartfoundation.org/

Josef Koudelka
(1983/1/10 – )
https://www.josefkoudelka.org/

Ryan McGinley
(1977/10/17 – )
https://ryanmcginley.com/

 

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