Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー vol.23

学校法人呉学園 日本写真芸術専門学校には、180日間でアジアを巡る海外フィールドワークを実施する、世界で唯一のカリキュラムを持つ「フォトフィールドワークゼミ」があります。

「少数民族」「貧困」「近代都市」「ポートレート」「アジアの子供たち」「壮大な自然」、、

《Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー》では、多様な文化があふれるアジアの国々で、それぞれのテーマを持って旅をしてきた卒業生に、思い出に残るエピソードを伺い、紹介していきます。

象の頭 群衆の主

PFWゼミ9期生 本田 直之

この日は2014年9月8日、中秋の名月だった。10年近く経とうとする今この文章を書いているが、満月の日には遠い国の彼らを今でも思い出す。
定宿にしていたパハールガンジからは東の方向へ歩いていた。はじめて踏み入れた裏通りのひっそりとした道で、若い男が言う。

「マイフレンド、写真撮ってくれないか?」

インド旅行では数え切れないほど頻繁に発生するコミュニケーションで、男の隣には産まれて間もない子を抱く妻がいる。どうやら家族写真を撮ってほしいようで、若い夫婦がこれから築いていく明るい未来を思いながらシャッターを切った。
彼らの不思議なところは、撮影した写真が欲しいというのはほんの一部だけで、多くは撮ってもらったことに誇らしそうであったり、恥じらいを滲ませながらも満足そうにしていることだった。

この男も同様で、ディスプレイで写真を確認するとお気に召していただけたようだった。彼らの顔や衣服に付いていた見慣れない何かに引っ掛かりながらも、再び歩き始めた。大通りが近づいてくると、何事かけたたましい太鼓の音がまとまりを持たないまま大きくなってくる。目に飛び込んできたのは、狂乱だった。山車を曳く牛、赤や黄に染まった人々、色のついた粉塵が視界のあちこちで風に流れ、なにやらトラックに積んだスピーカーからの爆音に身体を揺らし、渋滞の合間を縫って踊り狂う。荷台には、許容を遥かに超えた人がこれでもかと詰め込まれていて、後続のトラックも同じように人で溢れていた。

目を疑うような光景が不意に立ち現れたとき、そうかここはインドだと、脳が処理できるまでどれくらいだっただろうか、立ち尽くした。
リズミカルな太鼓や人々の表情からは、ポジティブなエネルギーが発せられていて、楽しい催しであることはすぐに分かった。同じトラックに乗り合わせているグループの多くは家族やご近所、友人の集まりのようで地域単位でひとつのトラックや山車に乗り、ここまで運ばれてきたようだ。一体、目の前で繰り広げられるこの光景はなんだというのか。彼らはどこに辿り着くべく、この渋滞をつくるのか。

「ガンパティ*!チャトルティ!」「ガンパティ!ガネーシュ!!」「ガネーシュチャトルティ!!バースデー!」

目が合った彼らに尋ねると、日本人にも聞き馴染みのある神様、象の頭をしたガネーシャ神の生誕を祝うものだと分かった。どうやらガネーシャの呼び名はいくつかあるようで、この日最も多く聞いたのはガンパティという呼び名だった。

人を詰め込んだ荷台の一番奥に、ガネーシャがいた。大人よりも少し小さいか、少し大きいくらいのガネーシャ像がそれぞれの山車やトラックに、いかにも大切そうに鎮座させられている。歩いても着いていけそうな速さではあるが、まとまりを持たないまま大きさを増していくその群れに飲み込まれてみようと思った。

人口1300万を超えるデリーには当然のように様々な地域があり、各地からガネーシャを運んでくる彼らにはそれぞれの習わしがあるようだった。赤は血、黄色は尿、緑は田畑を表すという色粉を掛け合っては盛り上がりを増すトラックもあれば、比較的大人しく色を纏ったコミュニティもあり、カメラを持っていては選択肢は自ずと後者のみだった。

「君たち目立っていてとてもクールだね、乗せてもらえない?」
「ウェルカム!ウェルカムトゥインディア!ダンシング!ライクディス!」

大雑把に黄色で統一された彼らは、突然乗り込んできた東洋人に臆することもなく、狭い荷台で踊り迎えてくれる懐の深さを持っていた。自分と歳の近い若者も多く、男性だけのクルーだったことも影響してか、日本に彼女はいるのか、俺の彼女を見てくれ、など一通りの挨拶や自己紹介も済ませると、次第に居心地が良くなってきた。

この日は月曜日で、肌の深部を刺す太陽が傾いてきていた。渋滞に巻き込まれながらも溢れるエネルギーを前にして微笑みながら写真を撮るビジネスマンや、眉間に皺をつくった迷惑そうな大人など様々で、ガネーシャを担ぎあげた男達がその渋滞を縫うように流れ込んでくる様相はあまりにも不秩序で、無意識的に累積してきた常識の観念を押し広げてくれる光景だった。

一帯がガネーシャチャトルティの熱気だけに包まれた頃、どこかに到着した。それぞれが荷台からガネーシャ像を下ろし、数人で抱えて歩き始める。人混みのおかげで近付くまで見えなかった川が目の前に現れた。対岸はすぐそこのように見える。先をいくガネーシャ像たちがその川の中へ流され、沈んでいく様子が見えたときにようやく一連の終わりを理解した。

神様を送り出す最後に向けてヒートアップする太鼓隊に続き、黄色いクルーの我々も最高の音と踊りで辺りをいっぱいにする。直前には改めて祈りを捧げる時間があった。生活に根ざした彼らの敬虔な神事ということが感覚として分かり、その信仰心が胸を衝いた。

ガネーシャチャトルティは、8月末または9月初めの新月の日から4日目を皮切りに、満月までのおよそ10日間に渡って行われる。最終日には昼間から地域を練り歩き、人々が大きな祈りを捧げる中、ガネーシャは海や川へ帰っていく。その場にいる人の罪や障壁、病や悪運などをすべて持っていってくださると信じられている。

何体のガネーシャ神を見送っただろうか。気が付けば川岸から溢れていた人の波も散り散りになり、辺りはインドの怪しげな夜がいつものように始まりつつあった。パハールガンジの宿に戻ると、頭から足の先まで見事に赤く染まった自分が踊り場の全身鏡に映った。現実としての感触がようやく体内を駆け巡り、無事に帰ってきた安堵と、押し寄せてきた疲労を感じながらあの渦中にいた経験を噛み締めた。

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*ガネーシャ(गणेश, gaṇeśa)は、ヒンドゥー教の神の一柱。その名はサンスクリットで「群衆(ガナ)の主(イーシャ)」を意味する。同じ意味でガナパティ(गणपित, gaṇapati)とも呼ばれる。また現代ヒンディー語では短母音の/a/が落ち、同じデーヴァナーガリー綴りでもガネーシュ、ガンパティ(ガンパチ)などと発音される。

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