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セバスチャン・サルガド氏のご逝去に寄せて vol.3 - 写真家・志村賢一より追悼文

先日、惜しまれつつこの世を去った世界的写真家、セバスチャン・サルガド。本校名誉顧問を務めていただいたご縁のあるサルガド氏への追悼企画といたしまして、今回は本校講師で写真家の志村賢一先生による追悼文を掲載いたします。

 

フィールドノートと、替えのシャツのあいだに、一冊の写真集が挟まっていた。

サルカドの『Workers』。

金鉱山の男たちが、まるで時空を超えてこちらを見ていた。

旅に出る直前、何の迷いもなく、それをリュックに入れた。重量のある本だった。だが、それを持たずに旅に出るわけにはいかなかった。それは私にとって、写真のバイブルだった。

サルカドのワークショップを初めて受けたのは、日本写真芸術専門学校の1年生のとき。講師の語る言葉のひとつひとつが、どこか遠い世界の響きのようだった。

「構図」「光」「関係性」。確かに、心を震わせる言葉もあった。だが当時の自分には、それらが実感として結びつかなかった。写真について語るには、まだ経験が浅すぎた。

それから2年が過ぎ、3年生の春、180日間のフィールドワークが始まった。

湿った風が吹いていた。舗装されていない道に、乾いた砂埃が舞っていた。朝は街の喧騒で目が覚め、昼は強い日差しが肌を焼いていた。毎日カメラをぶら下げて歩いた。

シャッターを切った。けれど、写真には何かが欠けていた。 そこに写っていたのは風景であって、関係ではなかった。

「コミュニティーに入ってから1ヶ月たってやっと、いい写真が撮れてくる」
それが、サルカドの言葉だった。

最初の数週間、距離があった。笑っていても、心の奥は閉じていた。

三週間を越えた頃、変化が生まれた。会話の中でこちらの話を聞かれるようになり、自然に語るようになった。笑うことが増え、黙って座る時間も心地よくなっていった。

その頃から、少しずつ「いい写真」が撮れはじめた。

「被写体と関係値を作りなさい。そのためには自分を語りなさい」

サルガド先生のその言葉が、ようやく身体に落ちてきた。

語ることが、撮ることにつながっている。それを実感するまでに、時間がかかった。

ある朝、インドのダージリンにいた。山にかかる霧が濃く、視界はぼやけていた。雨に濡れた葉がしっとりと光を弾いていた。茶畑のなかで、傘をさした女性がひとり、無言で茶葉を摘んでいた。

音がしなかった。霧が音を吸っていたのかもしれない。その静けさが全体を包んでいた。何もかもが止まったような時間だった。

そのとき、頭のどこかで「今だ」と言われた気がした。

「感情、光、構図、そして指先から頭の先まで物事を見なさい」

サルカドの言葉が、ふいに胸の奥で響いた。シャッターを押した。手は確かに動いたが、音は聞こえなかった。霧のなかに吸い込まれたようだった。

「写真は狩りと同じだ」
彼は、そうも言っていた。

じっと待ち、耳を澄まし、風の気配を読む。獲物が姿を現した瞬間、迷わず引き金を引く。撮るとは、そういう行為なのだと、あのとき初めて感じた。

15年経った今、私はもう一度、『Workers』を開いた。

ページをめくるたび、かつて旅のあいだに背負っていた重みが蘇る。金鉱山の男たちの顔は、15年前と変わらない。だが、それを見る自分の目が変わっていた。

それが旅の成果だったのかもしれない。そして旅のなかで、「撮る」という行為の奥深さを、サルカドという写真家を通して、ようやく少しだけ理解したのかもしれない。

彼の作品は、永遠に歴史を問い続ける。問いは止まらない。人間の尊厳とは何かと。

そして私もまた、問い続ける者でありたいと思う。

 

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