Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー vol.1

学校法人呉学園 日本写真芸術専門学校には、180日間でアジアを巡る海外フィールドワークを実施する、世界で唯一のカリキュラムを持つ「フォトフィールドワークゼミ」があります。

「少数民族」「貧困」「近代都市」「ポートレート」「アジアの子供たち」「壮大な自然」、、

《Lines of Sight ーそれぞれのアジアへの視線ー》では、多様な文化があふれるアジアの国々で、それぞれのテーマを持って旅をしてきた卒業生に、思い出に残るエピソードをお伺いし紹介していきます。

孤独のホームステイ

PFWゼミ9期生 山下 海

私は焦っていた。フィールドワーク二ヵ国目、ベトナムでの撮影期間も中盤に差し掛かっている。それなのに思った以上に撮影がうまくいっていない。元来の人見知りを発揮してしまい、撮りたいと思う人の前でどうしても足がすくんでしまう。なかなか話しかけられずに怪訝な顔で見られるということを繰り返し、人々のポートレートがテーマにも関わらず風景撮影に逃げがちになっていた。

 

そして、ベトナム中部ダクラク省にあるブオンジュンでは、少数民族ムノン族の家でのホームステイ生活が始まっていた。しかしこれは誰もが想像するような、ホストファミリーと同じ家で一緒に過ごすというものではない。事前に情報を仕入れていたエージェントから案内されたところは、使われていない木造の高床式納屋。そこにはホストファミリーなんていやしない。扇風機一台と蚊帳、布団が一枚敷いてあるだけ。何度確認しても村人が住んでいる家には泊まれないとのことだった。板の隙間からは地面が見え、そこには牛がのんびりと休んでいる。蚊は容赦無く入ってくるし、布団の上にはシロアリが梁などを食べたカスと思われるものが払っても払っても数分経てば積もっている。戸に鍵はついていない。

だが正直そういったことは全く気にならなかった。むしろ現地の人の生活を知るには好都合だった。ただ、ホストファミリーがいないことにはさすがに気が滅入った。彼らと寝食を共にして親密になることで、良い画が撮れるに違いない。半ばそう確信し、今までの挽回ができるという大きな期待を寄せていた。それが一気に崩れ去ってしまったのだ。こうして私の人生初のホームステイは空き家に一人で寝泊まりするということになった。

ブオンジュンで撮影を始めたもののやはり人見知りが邪魔をする。村を歩き回るだけで無駄に時が過ぎていってしまう。その日も悶々としながら村の横に広がるラック湖をただ眺めていた。そんな自分に腹が立ってきた頃、私は考えるのを辞めた。

「“撮る”ということを一回忘れてその場に身を委ねてみよう。」

そう思い立ったのだ。少し遠くを見ると、男たちが木の下で輪になり昼間から酒を飲んでいる。足が自然とそちらに向き、何気なく彼らに挨拶をした。

自分の撮影テーマは都市部からできるだけ離れた、その土地独特の文化が残っている地域の人々だった。だから旅中はどこに行っても英語が通じないことがほとんど。中には日本人を初めて見たという人たちもいた。
その男たちは言葉もわからないのに“こっち来い”という風に手招きし、盃を差し出してくれた。一人が飲むと隣の人に盃を渡し、誰かが酒を注ぐ。そしてまた隣の人にと繰り返していく。ツマミにはカエルのピリ辛和え。少し躊躇したがここで引き下がってはいられない。骨ごとバリバリ食べてみるとこれが実に美味い!見た目は全く違うけど故郷の郷土料理の味に似ていて酒も進む。一人が横の木になっていた実もちぎって食べさせてくれた。
最初はボディランゲージだったが、ちょうどメモ帳とペンを持っていたので、すぐさまベトナム語講座が始まった。目につくものを指差し、名前を発音してもらうと、それをベトナム語で書いてもらう。その横に日本語で読みと意味を書いていく。時にはこちらが日本語を教えたりとしているうちに、あっという間に夕方になっていた。

皆が家路に着く中、一人が“着いてくるか“という風に誘ってくれた。会ってまだ数時間しか経っていない異国の見知らぬ男を、なんの躊躇いもなく家に招待してくれる。その心遣いにとても感動した。招かれた家では野菜のスープと干し魚という質素な食事でもてなしてくれた。招いてくれた男と奥さん、そして幼い娘との拙いコミュニケーションをとりながら平らげていく。それまでの食事は買ってきたものを宿で食べたり、そこらの食堂で一人がほとんどだった。明かりに誘われて無数の虫たちが手足に留まっては飛んでいく。食事と一緒にどれだけの虫を食べたかわからない。だがその時は一人の食事より何倍も美味しく感じた。

それからというものいろんな人に話しかけては家に招待してもらったり、家の軒先で昼寝をさせてもらったりするようになっていった。毎晩のように誰かの家で開かれる寄り合いにも誘われて参加した。そして多少の図々しさも覚えていき、彼らとの距離を縮める上で役に立った。
そういった“まず一度撮影を忘れて村人とコミュニケーションをとる”ということがその後の旅、撮影での自分のスタイルになった。幸い(?)日本人離れした顔立ちであったし、旅中はボロボロの服を着て日に焼けていたので、どこに行っても現地人に間違われることが多く、道を尋ねられることもしばしばあった。その度に“お前外国人なのか?!”というふうに驚かれはしたが、そのおかげで現地の人と仲良くなるのに時間はかからなかった。そうして各地の村人たちのポートレートを撮っていくことができた。決してその後の撮影が全てうまくいったというわけではもちろんない。ただ、“撮らなきゃ撮らなきゃ”とカツカツするのではなく、時には撮影の手を止めて人々とのコミュニケーションに専念した方が、その先の撮影がだいぶしやすくなる。最初は警戒心剥き出しだったのが、一緒に食事を取るだけでだいぶ打ち解けることができる。中にはずっと解いてくれない人ももちろんいたが、数日前まで警戒心を含んだ顔で見られていた人からも笑顔で挨拶されるようになっていた。

ブオンジュンには一週間ほど滞在した。人生初のホームステイは、使われていない納屋に一人で過ごすということに終わってしまったが、それを覆す充実した経験を得ることができた。何より自分の撮影スタイルというものが身についたということが大きかったし、人と触れ合うことの喜びを改めて感じた。余談ではあるが、ここを経た後はどこでも寝られるという自信もついた。安宿の虫が這うような汚れたベッドも気にならなかったし、インドの砂漠では屋根も壁もないところで砂に吹かれながらでも快眠できた。むしろ困ったことにそういうところの方がぐっすり眠れるような体になってしまった、、、

村を去る時には泊まっていた納屋の持ち主(一応ホストファミリー?)の娘から金色の腕輪をもらった。その村では誰もが付けている腕輪だ。よく見ると細かい模様も刻んである。ボディランゲージで娘の手作りだということがわかりなおさら嬉しかった。観光客向けにお土産で売られているようなものとは違ってかなり丈夫で、不思議とサビることもない。言葉はわからなかったが、親睦の証だと勝手に解釈した。それは旅から数年が経った今でも私の左腕にお守り代わりとして付けてある。時折、腕輪を眺めてはその時のことを思い出している。

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