PicoN!な読書案内 vol.6
この連載では、出版業界に携わるライターの中尾がこれまで読んできた本の中から、アートやデザインに纏わるおすすめの書籍をご紹介します。今回は、今年日本で刊行された海外ミュージシャンによる著書を2冊紹介。
『Hマートで泣きながら』
ミシェル・ザウナー著 雨海弘美訳(集英社クリエイティブ)
ミシェル・ザウナーはJapanese Breakfast名義で今年フジロックに来日するなど国内でも話題のアーティスト。
原題『Crying in H mart』は昨年2021年に刊行され、ニューヨークタイムズ、タイムなど10以上のメディアでベストブックに選ばれた。オバマ元大統領も「2021年のお気に入り書籍」の一冊に選び、各国で翻訳されることとなった。日本での刊行を待ち望んでいた読書好きも多いだろう。
本書は、アメリカ人の父と韓国人の母との間に生まれ、アメリカで育った彼女の回想録だ。白人がマジョリティの田舎町で自身の居場所・周囲や家族との関係に悩みながら、音楽にのめり込んで多感な時期を過ごすミシェル。特に厳格な母親とは衝突しながら、10代のころは複雑な親子関係を過ごしてきた。20代になり、ミュージシャンとしての成功を夢見ながら、母娘の関係性がようやく穏やかになった矢先、母親が末期がんを宣告される。
核となっているのは彼女が25歳で母を看取った体験と、そこからの自己再生の記録である。
タイトルに出てくる「Hマート」というのは韓国系の食材を扱うアメリカのスーパーマーケットだ。母親が日常的に作ってくれた韓国料理は特徴的で思い出深かった。大切な存在を亡くして喪失感に苛まれていたミシェルが、病床の母に作ってあげられなかった料理や母親との思い出の料理を自分自身で作ることで、癒されながら、ゆっくりと前に進んでいく。
人生の大きな出来事を目の当たりにしながら、数々の料理が登場する描写は、心底悲しいのに気が付くとお腹が空いてしまう温かさとリアリティがある。
また、彼女が影響を受けたミュージシャンやバンドで徐々に経験を踏んでいく様子や感情なども赤裸々に綴られており、彼女の音楽のファンも間違いなく楽しめる一冊だ。
何より、明るく奥深い、彼女の音楽性とよく似たピュアでキュートな人柄がよくわかる文章が本書の魅力だ。
『何卒よろしくお願いいたします』
イ・ラン/いがらしみきお著 甘栗舎訳(タバブックス)
韓国のアーティストであるイ・ランと『ほのぼの』で知られるいがらしみきおの往復書簡。
イ・ランは1986年生まれのアーティスト。日本との親交が深く、国内ミュージシャンとの共演やエッセイ・小説・漫画など著書も多数邦訳されている。『ほのぼの』は韓国でも大人気で、イ・ランがいがらしみきおのファンだったことをきっかけに交流がスタート。
本書は2020年~2021年の往復書簡だ。コロナで社会状況が一変してしまった二人のやりとりは、タイムリーでもあり、後年に振り返っても面白く読める1冊になっている。
往復書簡の魅力は、会話と違い、相手から受け取った言葉についてじっくりと考える時間があることだ。相手の意見についてゆっくりと考えながら、また少しそこからは離れた日常を過ごすことで、話題はどんどん広がっていく。
性別も年代も職業も異なる二人が国境を越えて繰り広げる対話は、時代性もありながら哲学的で、厳しい社会の状況の描写があるにも関わらず、読んでいて幸せで、このやりとりがずっと続いてほしいと思わせる魅力がある。おそらくそれは、二人の間に嘘がなく、互いにリスペクトと慈しみが詰まっているからだろう。読後はきっと二人のことが好きになり、自分自身の心もほんの少し救われるはずだ。
文・写真:ライター中尾